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100のエッセイ・第9期・80 来ないほうがよかった?

2014-05-17 15:47:32 | 100のエッセイ・第9期

80 来ないほうがよかった?

2014.5.17


 

 「名物にうまいものなし」ということわざがあるが、「名所にろくなところなし」というのもアリなんじゃないだろうか。もちろん「名物」にだってうまいものはあるし、「名所」にだって素晴らしいところもある。けれども、実際に食べてみると、それほどでもないじゃん、とか、実際に行ってみると、来ないほうがよかったと思うことって結構多いものだ。

 先日、ヒマをもてあましているというわけでもないが、前から一度行ってみたいと思って気になっていた「田端文士村」を初めて訪ねた。毎週金曜日は、教科書関係の仕事のために王子まで出かけるのだが、現役教師だったころは、寄り道してから王子へ行くということはほとんどしなかった。しかし最近では、せっかく王子まで行くのだから、6時から始まる会議の前に、途中下車していろいろと回ってみようなんて気になって、こんどは、まず一直線で王子へ行くことのほうが少なくなった。これを、ヒマをもてあましていると見るか、心にゆとりができたと見るかは、意見の分かれるところだろう。

 この「田端文士村」は、実に面白くなかった。行く前は、かつて芥川龍之介や室生犀星が暮らしていた「村」だから、それなりの「文士好み」の風景が少しは残っているのだろうと何となく思っていた。室生犀星は、ぼくが大学の卒業論文で扱った人で、彼の作品はかなり多く読んだのだが、その中に何度も田端の名が出てきて、ずいぶんと気に入っているような書きぶりだったから、さぞかしいいところなんだろうと思っていたのだ。しかし、山手線や京浜東北線で田端駅を通りすぎるたびに、こんなゴミゴミしたところに「文士村」と称する場所なんてあるのだろうかという疑問も長いこと抱いていたのも事実である。

 行ってみて驚いた。何にもないのである。文学や芸術の香りなんて、どこを探してもありゃしない。田端駅のすぐ近くに、「田端文士村記念館」という立派な、いやむしろ立派すぎるビルはある。しかし、この記念館の展示室は、建物の立派さにくらべると拍子抜けするくらいスペースが狭く、展示内容も貧弱で、芥川龍之介や室生犀星の原稿などが展示されてはいるが、ほとんど複製品である。それでも、この「文士村」がどのように形成されたのかについての詳しい説明はあり、それを読めば、この「田端文士村」は、芥川龍之介の自殺によってなくなってしまったということが分かるのであった。

 つまりは、芥川龍之介の魅力が、多くの文士や芸術家をこの地に引き寄せ、一種の「芸術家村」を形成し、それを面白がって芥川が「文士村」と称したというわけで、その中心人物たる芥川が自殺してしまうと、みんなちりぢりになっていったということらしいのだ。室生犀星もひどくショックを受けて、そうそうに馬込に引っ越したという。そういえば、犀星の文章には馬込もよく出てきていた。

 つまり、「田端文士村」というのは、土地や風景の魅力によって形成されたのではなく、人のつながりが生んだ「村」だったのだ。それならば、ぼくが芥川の死から90年近くもたってそこを訪れたとしても、「何にもない。」と感じても仕方のないことなのだ。

 しかし、それにしても、「田端文士村」をうたって、地元を活性化しようという動きがあることは確かで、「文士たちの歩いた道を歩こう」などという地図まで作っているのに、「ここが誰それの住んだ跡です」という案内プレートがたった3箇所しかないという不親切さはいったいどうしたことなのか。

 この「何にもなさ」から、この土地の人は、あんまり芥川龍之介にも室生犀星にも興味がないんだろうなという寂しい感想が生まれるのはいかんともしがたく、酒屋の店先に「田端文士村」という銘柄の日本酒があったのが、かえって妙にうらさびしかった。

 その数週間あと(つまり昨日)、今度は鶯谷駅で降りて、「書道博物館」を見学しがてら「子規庵」を訪ねた。どちらも初めての訪問だったけれど、この二つの建物は、細い道路を隔てて向かい合っている。「書道博物館」は画家であり書家でもあった中村不折の住居跡に建てられたものらしく、ここは企画展示(「美しい隷書」)も充実していて素晴らしかったが、肝心の「子規庵」の方は、開館時間が4時までということで入れなかった。

 それはそれでまた来ればいいだけの話なのだが、この「書道博物館」と「子規庵」をとりまく環境がこれまた目を覆うほどにひどい。その周辺のビルは、ほとんどがいわゆる「ラブホ(ラブホテルのこと)」なのである。(今、ふと気づいたのだが、昨今はやりの「スマホ」という名称がどことなく下品なのは、「ラブホ」に似ているからかもしれない。)時間も夕方ちかくだったので、アヤシげな女の影もちらほらし、ぼくのような欲望の衰えたジイサンでさえ、通るのがはばかられるような場所。まあ、「子規庵」も、開館時間が4時までなら、夜にこんなところに来る人もいないだろうからいいようなものの、子規のいう「根岸の里」も、風流どころのさわぎではなく、風俗の巷となりはてていたというわけだ。

 「子規庵」は、いずれゆっくり訪れるつもりだが、「来ない方がよかった」という感想が生まれないことを祈るばかりである。


 


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100のエッセイ・第9期・79 野尻湖とテラピア

2014-05-11 13:46:20 | 100のエッセイ・第9期

79 野尻湖とテラピア

2014.5.11


 

 「野尻湖へ行ったことがない。」と始まる文章を蜂飼耳が書いているのをふと目にして、野尻湖のことを書こうと思った。

 彼女は行ったことのない野尻湖について、なぜ文章を書いているのかというと、高校生の頃、中勘助の『島守』という文章が好きで繰り返し読んだが、どうやらその「島」が野尻湖の中に浮かぶ「弁天島」らしいということを知ったかららしい。今どきの人間は、世界文化遺産にまだ決まっていないうちから、富岡製糸場を一目見たいと殺到するわけだが、彼女は、野尻湖に興味を持ってから10年以上経っても、まだ行ったことがないのだそうだ。つつましくてよい。

 余計なことだが、蜂飼耳の文章は、ほんとうに必要な場合以外は、「私」という主語を書かない。これも、とてもよい。ぼくも、なるべくそうしている。で、ぼくの文章は、これからだ。

 野尻湖へ行ったことがある。

 20年以上も前のことだ。その頃、勤務校栄光学園の国語科では、退職する教師が出ると、その教師の送別会のために2泊程度の旅行をした。今では、そんな余裕もないが、まだ時代がゆるやかだったのだろうか。

 その年、ぼくの恩師でもあるA先生が定年退職ということで、幹事となったぼくともう一人の教師で、旅行の計画を立てた。国語科の旅行だから、いかにも国語科らしくということで、新潟・長野に、良寛と一茶を訪ねるというテーマをたてた。弥彦神社に参拝し、寺泊に良寛を訪ね、1泊目は、岩室温泉に泊まった。旅館の名前は忘れたが、民芸調の家具に囲まれたともてもいい感じの旅館で、温泉も素晴らしかった。翌日、一茶を訪ねてということで、信州は柏原へ行き、一茶の住んだ土蔵などを見学した後、2泊目となる野尻湖ホテルへとタクシーで向かった。

 これが大問題だった。もともとの計画では、わざわざ野尻湖まで泊まりに行くことにぼくは反対だった。3月下旬というまだ寒いシーズンオフなのだから、湖なんて見るところもない、温泉がいいと主張したのだが、もう一人の幹事が(この人もぼくの恩師であった。)が、なぜだか分からないが、野尻湖がいいと言って譲らなかった。温泉ではないが、野尻湖プリンスホテルというのがあるから、そこならきっと豪華な食事もできるだろうというので、まあ、恩師でもあり先輩でもあるその人をたてて妥協したのだったが、出かける何週間前だったか、チケットや宿泊予約を頼んでおいて某旅行会社から、「野尻湖プリンスホテルは、改装中で駄目でした。そのかわりに、野尻湖ホテルに予約を入れておきました。」という連絡が入った。嫌な予感がしたが、まあ、「プリンス」が間に入るか入らないかの違いで、ホテルには違いないのだからいいかと納得してしまったのだった。

 さて、1泊目で温泉や料理でとてもいい思いをした我々国語科教師一行(10名ぐらいだったろうか。)は、さらなる「いい思い」を期待して、野尻湖ホテルに向かった。タクシーは、急な山道をぐんぐん登って行く。雪もあちこちにまだ残っている。寒そうである。この辺から、何でわざわざ野尻湖なの? という疑問が再び胸に去来しはじめたが、そのうち、タクシーが、はいここです、と到着したのは、野尻湖のほとりの何の変哲もない家、というか、ちょっと大きめの木造の宿屋。どうみても、「ホテル」のたたずまいではない。少なくとも「プリンスホテル」の面影はどこにもない。でも、看板には、たしかに「野尻湖ホテル」と書いてある。

 しまった、と思った。「プリンス」があるかないかは、大違いじゃないか。都会のいかがわしい宿屋だって「ホテル」を名乗ることはいくらでもある。そう気づいたときは、もう後の祭り。しかも、その後が驚愕の展開だった。

 ぼくは恐る恐る「野尻湖ホテル」のガラスの汚い大きな横開きのドアをあけた。するといわゆる玄関ロビーがあったが、そこに置かれているお土産などを入れるガラスケースに、白い大きな布がかぶせてある。どうみても、「閉店」の風情である。ドアがはげしく軋んで鳴ったのに、誰も出てこないので、中に向かって大声で叫ぶと、ホテル(宿屋)の女将(オバサン)らしき女性が怪訝な顔をして出てきた。

 今日予約している栄光学園の者ですが、と言うと、その女性は、びっくりした顔をして「あ、ほんとにいらしたんですか。」というではないか。え、ほんとに、ってどういうことですかと、こっちは更にびっくりして聞くと、「いやね、こんな季節に10人ものお方が来るということでしたが、何かの間違いではないかと思いまして、旅行社にお電話したのですが、何だかはっきりしないお答えで、たぶん行くんじゃないでしょうか、というようなことで。ですから、やっぱり間違えだと思ってしまいまして。すみません。何も用意もできていないのですが、とにかく、どうぞ。」と言う。

 あまりのことに、開いた口も塞がらない思いだったが、しかたないので案内された部屋に行くと、8畳ほどの畳部屋が2部屋で、窓には安っぽいアルミサッシ。エアコンもない。女将(オバサン)があわててガスストーブを運んできたが、ぜんぜん部屋は暖まらない。寒いので、取りあえず、風呂にでも入ろうということで2、3人で連れだって行ってみると、風呂の中から子どもがキャッキャと騒ぐ声がする。何と、そのホテル(宿屋)の子どもが入っているのだ。ようやく子どもが出た後に入ってみれば、もうほとんど普通の家庭のタイル張りの風呂で、3人ぐらいしか入れない。もう呆れかえっていちいち文句も出なくなってきたが、それでも、夜の宴会を楽しみにしているうちに、その時間になった。

 案内されたのは、「食堂」である。床はリノリウム、そこに安っぽいチェックの柄のビニールをかけたテーブルに、足の錆びたパイプ椅子、要するに、場末の潰れかかった食堂をイメージすればいい。え、ここで? と一瞬ひるんだが、さすがに、そこで宴会はできない。その食堂の一角の、床が10センチほど高くなった(10センチでは、「小上がり」とも言えない。)6畳ほどのスペースがあって、そのスペースの周囲がガラスで囲われている。部屋といえばいえるようなスペースが、宴会場だった。

 すみません、何も用意していなかったものですから、近所からのかき集めで、と正直に言いながら、まだ解凍しきれていない蟹の足だの、お吸い物だの、もう何でもいいから食えるものを並べました、といった感じの「料理」が並んでいったが、唯一ここの自慢らしい魚の天ぷらが出てきた。「これ、なんという魚?」と聞いたら、「これは野尻湖で採れる、テラピアという魚です。」と言う。テラピアだって? ピラニアみたいな魚か? って思いながらも、まずいのかうまいのかも分からないその魚を食べ、熱燗なのか冷やなのか分からない酒を飲み、まあ、みんなでぶつぶついいながらも、幹事のぼくとしては何とかこの場を盛り上げようとするのだが、何しろ、この時の送別の対象たるA先生は、なかなか気むずかしい人で、何かにつけて文句を言わずにはいられない人。よりによってその先生の送別旅行の最後の夜が、こんなひどいホテル(宿屋)になってしまい、いつ先生が切れてしまうかしれたものではないから、もう気が気じゃない。それに、この部屋(スペース)も妙に寒い。すきま風も食堂から吹き込んでくる。見ると、全員、もう冗談も言う元気もなく、寒さにほとんど中腰になって、冷たくまずい蟹の足やら、えたいのしれないテラピアの天ぷらを食べている。幸い、A先生は、さすがに幹事に同情してくれたのか、最後まで切れずにいてくれたが、ときどき、神経質にピクピクする目尻を見ては、ぼくはほんとに生きた心地もしなかった。

 女将(オバサン)がやってきて、この期に及んでよせばいいのに、この野尻湖はナウマン象で有名なんですが、その骨が最初に出たのが、うちのすぐそばなんです、なんて自慢をする。みんなはふんふんと頷きながら、ナウマン象なんて知ったことか、このテラピアを何とかしろ、って思っていたことだろう。(少なくともぼくはこのとき以来、ナウマン象が嫌いになった。)

 後で、ようやく分かったのだが、このホテル(宿屋)は、夏に大学などのボート部なんかの合宿のために使うところで、冬や春はほとんどお客が来ないのだという。だから、こんな3月の寒い時期に、男ばかり10人もの人間がやってくる意味(あるいは目的)がどうしても女将(オバサン)には分からなかったのだというのだ。(ぼくだって分からなかった。)

 だからいったじゃないの、温泉じゃなきゃ駄目だって、とぼくは思ったが、「プリンス」がないだけだからいいかと思った自分も悪かったと反省もした。しかし、旅行社も「たぶん行くと思う。」とはなんたる言いぐさか。思い出す度に、腹も立ち、情けなくもなる。

 野尻湖は、蜂飼耳みたいに、「中勘助が書いているところかあ。」とかぼんやり思っているだけのほうがよっぽどいいのかもしれない。


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100のエッセイ・第9期・78 「させていただきます」

2014-05-04 09:45:56 | 100のエッセイ・第9期

78 「させていただきます」

2014.5.4


 

 近ごろ妙に気にさわる表現がある。それは「○○させていただきます。」とか、「○○させていただいております。」とかいった表現である。

 例えば、お昼や夕方のバラエティというのか、ワイドショーというのか、何だかよく分からない、やけっぱちのような番組では、もうバカの一つ覚えみたいに、「激安ラーメン店の裏側に迫る」とか、「驚きの食べ放題の現場」とか、とにかく食べ物関連のレポートばっかりやっているのだが、その時に、取材に応じたお店の人が言うセリフには、「このラーメンの出汁には、鰹節の他にサバ節も入れて、より濃厚なコクをださせていただいております。」とか、「このパスタの生地はよく練ったあと、6時間ほど冷蔵庫で寝かせていただいております。」とか、まあ、とにかく「させていただく」のオンパレードである。ちょっと気をつけて見ていると、気持ち悪くなるくらい使われているのが分かるはずだ。

 その度に、いったい誰に向かって「させていただく」と言っているのか、勝手にさらせ、と思って腹立たしくなるのだ。ラーメンの出汁にサバ節を使おうが、パスタの生地を冷蔵庫で6時間寝かそうが、そんなこと誰の許可が必要だというのか。たとえ、そうさせてくださいと言われたって、いやダメだとか、まあそんならよかろうとか、こっちは言える立場ではない。それなのに、勝手にやっておきながら、いやこれは私どもの勝手なふるまいではなくて、あなた様のお許しを得たものと判断して、そうしたのでして、もしそんな許可を出した覚えはないというのでしたら、どうぞ今お許し願いたいのです、とでも言いたげな表現である。これでは、まるで、江戸時代の悪代官の前に引き出された憐れな農民ではないか。

 どうして単純明快に、「出汁にサバ節も使いました!」とか、「パスタの生地は冷蔵庫で6時間寝かせました!」とか、言えないのか。そう言ったからといって、いったいどこから文句が出るというのだろうか。いったい彼らは何に気を使っているのだろうか。

 こうしたいわば権力(飲食店にとっては、客はまさに権力だ。「神様」ではない。)におもねるような、いちいち権力の顔色をうかがうような表現がまかりとおり、そう言わないと、傲慢だとでもとられかねない今の世の中は、根本的におかしい。これは、どこかで、何かというとイチャモンをつけてくるお役所があって、そういうお役所を相手にしている商売をしている人間が使い出した言葉が、だんだん一般にも浸透してきた結果なのかもしれない。飲食店についていえば、客がクレーマー化して、何かというと文句を言ってくる結果とも考えられる。

 教育の世界でも、こうした表現こそ使わないにしても、こういう構造ができつつあるように思える。公立の学校では、詳しい事情は知らないけれど、シラバスとかいって、一年間の授業計画を立て、それを保護者や生徒に公開するというようなことが行われるようになって久しいと聞く。まさに「こういう授業計画で、授業をやらせていただいております。」といったところであろう。

 この場合、誰に向かってこれを言っているのかは、必ずしも明確ではない。生徒かもしれないし、親かもしれないし、教育委員会かもしれない。逆に言えば、授業ひとつやるにしても、現場の教師は、教育委員会や、親や、生徒の「許可」を得て、あるいは「顔色」を見てやらねばならないということだ。

 お前の学校では、国語でこんな文章を読ませているらしいが、いったいこの文章を読むことで、どんな力がつくというのか、きちんと説明しろ、と言ってくる親がいるかもしれないのである。そういう親が出てきたときに、現場で、きちんと対応できるようにするには、1年間の授業計画を立てて、この文章を読むのは、こういう力がつくと思っているからですとあらかじめ書類に書いておくようにする。その書類は、各教師が年度の初めにちゃんと書いて、国語科主任やら校長やらのハンコをもらうというようなシステムを構築しておく、といった対策を講じておけばいいということになるだろう。

 つくづくバカバカしいと思うのだが、実際にこういうことが行われているらしい。ぼくも、大学を出てすぐに都立高校に12年間勤めたが、その頃は、こうしたバカバカしいことは一切行われていなかった。だから、ぼくのような縛られることの嫌いな自分勝手な人間でも、何とか勤めることができたのである。今のような公立高校には、ぼくは、たぶん1日として勤めることはできない。まったく、ある意味では、いい時代に生まれたといってもいいだろう。(ということは、ある意味では、最悪だったということだが。)

 今はもう、自由気ままな身の上なので、勝手にさせていただいておりますです、はい。

 


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100のエッセイ・第9期・77 「きょう」は長いか短いか

2014-04-27 10:14:57 | 100のエッセイ・第9期

77 「きょう」は長いか短いか

2014.4.27


 

 同級生の友人に近況をメールして、そこに、「毎日が日曜日状態となったけど、何ていうのかなあ、とにかく、一日があっという間に過ぎるのでオソロシイ。どこかへ出かけたほうが少しでも、一日が長くなるかと、バカみたいに出かけてみても、時間の過ぎ方は、変わらないもんだね。結局、人生って、短いんだというのが毎日の結論です。」と書いたところ、「あっという間に過ぎる一日、とは思わなかった。なかなか過ぎないので、お寺まわりなどで紛らわし、夫婦二人きりの老後の練習をしているのかと思ってた。ぼくは、(定年になったら)家の片隅に置いてもらって、長い一日を、溜めた本を読んで、のんびり過ごそう、過ごせるぞと期待していました。そうか、短いのか。30年、40年、50年前の過去もつい昨日、どころか半日前ぐらいの気分だけど、きょうが短い、とは思わなかった。」という返事が来たので驚いてしまった。

 歳を取ればとるほど、時間の経つのが早くなるのが当たり前だと思っていたし、その中には「きょう」も短いというのは当然含まれると思っていたからだ。

 けれども、彼は、「30年、40年、50年前の過去もつい昨日、どころか半日前ぐらいの気分だけど、きょうが短い、とは思わなかった。」と、「30年、40年、50年前の過去」と「きょう」を分けて考えている。やっぱり、物事は経験しないと分からないということなのか、それとも、「きょう」まで短いと感じるのは、ぼくだけの特殊事情なのだろうか。

 たとえば、鎌倉へ行ったり、公園に行ったりしない最近の日の様子は、こんな感じだ。

 朝は、7時すぎまでベッドを出ない。5時半ごろにはたいてい目が覚めているのだが、トイレに行っても、またベッドにもぐり込み、ラジオを聞いたり、iPadでブログを読んだり本を読んだりして、ウトウトしたりグズグズしたりしているうちに、隣の部屋の家内が起きて階下へ行く気配で、ようやくベッドから出る。

 朝食を食べながら、『花子とアン』を見たあと、まだ肌寒いので、コタツに入って横になると、また眠くなる。下手をするとそのまま1時間ぐらいコタツに入ったままウトウトしてしまう。週に2~3回、マッサージへ出かけるが、帰ってくるともう昼食だ。昼食を食べながら、『ヒルナンデス』を見たりしているうちに、あっという間に、1時を過ぎる。午後にはブログを書いたり、書を書いたり、教科書の仕事をしたりはするが、気がつくと6時近くになっている。夕食は6時と決めている。

 最近は、夕食では(朝も昼もだが)米の飯は食べずに、そのかわり日本酒なら1合、ビールなら缶ビール一杯を飲む。それだけしか飲まないのに、かなりいい気持ちになる。夕食は7時には終了。昔は、夕食も15分ぐらいで食べてしまったものだが、最近では、家内の母と一緒に食べているので、それに合わせて、なるべくゆっくり食べることにしている。その後は、もう仕事めいたことはいっさいしないことにしているが、7時半ぐらいまでは、パソコンの前でなにやかやとやっていて、7時半ぐらいになると、片付けを終えた家内と一緒に、テレビを見る。

 家内と一緒にテレビを見るようになってから、はや10年以上になると思うのだが、以前は、たいてい録画していた日本のサスペンス系のドラマを見ていた。しかし、さすがに、10年も見続けていると飽きてきてしまい、しかも、年々ドラマの質が落ちてくるので、どうしたものかと思っていたら、次男が「Hulu」を教えてくれた。月額1000円ほどかかるが、ドラマや映画が見放題というヤツである。映画は、それほどたいしたものがあるわけではないが、アメリカのテレビドラマがなかなかいい。

 中でも『名探偵モンク』(原題「MONK」)が素晴らしい。これは、随分前に、たしかNHKで吹き替えで放送していたのをずっと見ていたのだが、これが、字幕で、全シリーズ(?)ある。最初のうちは字幕はどうかなあと思っていたのだが、今ではすっかり慣れてしまい、英語もだいぶ分かるようになってしまった。しかしそれも、45分ぐらいで終わるので、続けてもう1話見たり、『アグリーベティ』を見たりする。『アグリーベティ』は最初は面白かったけれど、シーズン2の真ん中ぐらいまで見て、だんだんばからしくなり、面倒くさくもなってきて挫折。それで、ごく最近では、日本のテレビドラマ『深夜食堂』やら『孤独のグルメ』を見たりしている。この2つは、1本が30分ほどなので、気軽に見ることができる。いったい、いつ放送していたのだろうか。

 『深夜食堂』のプロデューサーに竹園元の名前が出るので、おっと思う。彼は、栄光時代の教え子である。ついでに思い出したが、『花子とアン』に出てくる綾小路先生役の那須佐代子は、青山高校時代の教え子である。いろいろなところで教え子が活躍しているのは嬉しい限りだし、思わず自慢したくなる。

 まあ、そんなことをしているうちに、10時ぐらいになる。それから風呂に入り、その後、録画してある『吉田類の酒場放浪記』を1回分か2回分見て、11時にはベッドに入る。ぼくは寝付きがいいので、すとんと寝てしまう。

 こう書いてくると、「けっこう長い」と思うけれど、実は、これが「あっ」という間に終わってしまうというのも実感である。長いようでもあり、短いようでもある。

 長いか、短いか。結局は、どっちでもいいのだ。「きょう」がある。それだけでいい。




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100のエッセイ・第9期・76 虚栄心は遺伝

2014-04-22 16:37:22 | 100のエッセイ・第9期

76 虚栄心は遺伝

2014.4.22


 

 前回の「好奇心と虚栄」を読んだ友人の林部英雄氏から、「パンセのあのくだりは全く覚えていなかったけど、僕が『ことばの発達』について研究してきてたどりついたいくつかの結論に大変よく似ているので興味深いものがありました。」といった内容のメールが来た。ちなみに、彼の専門は「発達言語心理学」。「いくつかの結論」の内容は次の通りである。

 一つは「ことば」は情報伝達のためだけにあるのではなくて、人と人との親密な関係を作り上げそれを維持する役割があるのだということであります。これを「社会的調整の機能」といいます。例えば挨拶というのが一番いい例でしょう。「こんにちは」というのはほとんど何の情報も伝えてないけど、人同士の親密さを保つためには非常に重要でしょ。実は多くの会話が内容はどうでもよくて、会話すること自体に意義があるのだということです。そしてヒトは常に会話をするための「話のたね」を探しているのだということでもあります。別にSTAP細胞が存在しようとしまいと、話のタネになりさえすればどちらでもいいのです。

 友人なのに、実に丁寧な言葉使いで書いてくれている。まるで講義を聞いているみたいだ。すごく得した気分。持つべきものは友である。そういえば、今、思い出したのだが、高校生の頃、よく彼と一緒に丹沢へ行ったのだが、その帰りに駅の公衆電話から彼が自宅へ電話するのを聞いて驚いたことがある。電話の向こうの母親に、敬語を使って話していたのだ。下町のペンキ職人の息子のぼくにはまったく考えられないことで、こんな人間も(家族も)いるんだと、ほんとにびっくりした。

 それはそれとして、「ヒトは常に会話をするための『話のたね』を探しているのだ」という指摘にはうならされる。そう言われてみれば、世の中のことがほぼ理解できる。

 テレビのワイドショーで、小保方さんの会見を見たオバサンコメンテーターが、「あのさ、報道記者もさ、もっと分かりやすい質問の仕方をしてくれれば、私たちも、『自分なりの意見』を持てるのにねえ。」なんて言っていたが、専門家でもない素人の「わたしたち」が「STAP細胞があるかないか」についての「自分なりの意見」なんて持つ必要がどこにあるのかと腹立たしく思ったが、それも林部氏によれば、結局、事実がどうであるかなんてどうでもよくて、「話のたね」になればそれでいいわけで、そのためには、「そうよ、STAP細胞なんてなかったのよ。」とか「小保方さんは嘘つきなのよ。」とか「小保方さんが悪いんじゃなくて、理研という組織のあり方の問題なのよ。」とか言って、しばし雑談ができるような「はっきりした意見」を手に入れることが必要なのだ。

 そして、そのような雑談は無駄なのではなくて、十分に「人と人との親密な関係を作り上げそれを維持する役割」を果たしているということになる。世のためにはならないけれど、自分たちの生活はそれなりに潤うというわけだ。なるほどなあ。更に、林部氏は続ける。

 またもう一つ別の知見は、自分だけが知っていることは他人に話したいという遺伝的な傾向があるということです。王様の耳はロバの耳とか物言わぬは腹膨るるわざなりとかいう例を出すまでもなく、理解して頂けるでしょう。ですから虚栄というならその虚栄心は遺伝的な傾向でヒトである限り逃れられないということです。

 そうかあ。遺伝的傾向なんだ。なぜ、「自分だけが知っていることは他人に話したいという遺伝的な傾向がある」のかということについての彼の説明はないけれど、多分、それは、動物としての人間が身を守り、種族を繁栄させるためには必須のことだったということだろう。原始人が、どこかで食べ物を見つけたとする。その「知識」を自分だけのものにしていたら、種族は繁栄しない。誰かにそれを伝える。そうすれば、誰かもその食べ物にありつける。誰かが、山火事で焼けた牛の肉を食べたらうまかったとする。それを誰かに伝えることで、「料理法」が確立する。このように「知識」を伝えることで、ヒトは、文明や文化を作ってきたのだ。

 この遺伝的な傾向が、生活の低レベルのところで発揮されると、「自慢するために何かをする」という行為となるわけだが、見方を変えれば、パスカルのいう虚栄こそが、文化・文明の根源なのだとも言えるわけである。

 そういえば、ジョージ・オーウェルが「なぜ書くか」という評論で、作家がものを書く理由を4つ挙げているが、その第1としてこんなふうに書いていたのを思い出した。(正確に言うと、何か虚栄心について書いていたことを思いだしたので、本を取り出して──というか、電子書籍化したファイルを開いて──調べたらこんな風に書いてあった。)

一、純然たるエゴイズム。頭がいいと思われたい、有名になりたい、死後に名声をのこしたい、子供のころに自分をいじめた連中を大人になったところで見返してやりたいといった動機。こういうものが一つの動機であること、それも強い動機であることを否定して格好をつけてみたところで、それはごまかしでしかない。その点では、作家といえども科学者、芸術家、政治家、法律家、軍人、大実業家──要するに人類の最上層にいる人間と、なんら変わるところはないのだ。人類の大部分はそう自己中心的ではない。三十をこす頃になると個人的な野心など捨ててしまい──それどころか、そもそも個人としての意識さえ捨てたのも同然になって──他人の生活のために生きるようになるか、骨が折れるだけの労働の中で窒息してしまうものだ。ところが一方には、少数ながら死ぬまで自分の人生を貫徹しようという決意を抱いている、才能のある強情な人聞がいるもので、作家はこの種の人間なのである。れっきとした作家はだいたいにおいて、金銭的関心ではかなわなくとも、虚栄心となるとジャーナリスト以上につよく、自己中心的だと言っていいだろう。(「オーウェル評論集」小野寺健編訳・岩波文庫)

 ここで注目されるのは、作家がエゴイストであることはともかくとして、エゴイストの筆頭に「科学者」があげられていることだ。科学者も昔から、「有名になりたい」人が多かったということらしい。小保方さんも、この誘惑の犠牲者なのだろうか。

 虚栄については、オーウェルは、パスカルのように「虚栄にすぎない」と切って捨てるのではなく、むしろ「虚栄だよ。それがなぜ悪い。」と居直っているふうでもある。作家が虚栄心からものを書いていることは疑いがないとしても、それだけじゃないぜ、というように彼は、あとの3つを挙げる。「二、美への情熱」「三、歴史的衝動」「四、政治的目的」。中でもオーウェルは4番目の「政治的目的」を最も重視している。彼によれば、「政治的」とは、昨今の日本の(あるいは世界の)ような、ずるがしこい駆け引きのことではなく、「世界をある一定の方向に動かしたい、世の人々が理想とする社会観を変えたいという欲望。」であるとする。

 虚栄心から自由にはなれないかもしれないが、そんなことはたいしたことじゃない。オレは、世の中を変えたいから物を書くのだ、という意気込みが伝わってくる。ちなみに、この文章の最後はこんなふうに締めくくられる。

 これまでの仕事をふりかえってみるとき、命が通っていない本になったり、美文調や無意味な文章に走り、ごてごてした形容詞を並べて、結局インチキなものになったのは、きまって自分に「政治的」目標がなかったばあいであることに気がつくのである。

 ぼくの書くエッセイに「政治的」な目標などはこれっぽっちもないから、インチキな文章になっていることは確かだが、まあ人類の遺伝的な傾向ということで、許してもらうしかないだろう。


 



 この文章をアップしたあと、これを読んだ林部氏から、次のようなメールが届いたので、転載します。科学というのは、どこまでも厳密でなければならないのですね。改めて勉強しました。

 

 確かに自分だけが知っていることを人に言いたくなる(これをことばの「開示機能」といっておきましょう)のが何故遺伝的傾向になったのかはよくわからないのです。
 実は言語の遺伝的な機能と考えられる側面が他にも2種類あるのです。一つは、「模倣機能」で、今一つは「警告機能」です。これらは説明の必要もないかもしれませんが、「模倣」は他人のことばをそのまま真似するというもので、「警告」というのは、危険な状況に立ち至った時に他人に対して「危ない!」とか「逃げろ!」とかいう場合です。
 「模倣」は、ことばに限らず、幼い子どもが大人の真似をして様々な行動を学んでいくことが進化的に選択されてきたというのは充分にあり得る話ですし、「警告」は、例えば親が危険な状況にある子どもに対して発することばがもとになっていると考えればこれも進化的には大変合理的です。ですからこれらが遺伝的傾向になってきたというのは、誰でも頷いて頂けるでしょう。
 しかし「開示」については、どうもよくわかりません。勿論あなたの考えのように「その「知識」を自分だけのものにしていたら、種族は繁栄しない。誰かにそれを伝える。そうすれば、誰かもその食べ物にありつける」ということも充分に考えられます。しかしそれが進化的に選択されるためには、群れの中の他のメンバーの利益が結局は自分の利益にもなるのだということを明示しなければなりません。ただ、他のメンバーというのが自分の子どもである場合は、進化的に選択されて遺伝的な傾向になるということはわかっています。ですからもしかすると「開示」も親子関係に関連した機能として説明されるべきなのかも知れず、「一子相伝」なんていう考え方に何かヒントがあるのかもしれません。とはいえ今のところよくわかっていないのです。
 ただ笹井副センター長ではないけれど、「開示が遺伝的な傾向だと仮定しないと説明のつかないことがある」のです。
 とにかく開示が遺伝的な傾向だということが正しいとしても、何故遺伝的行動になったのかというのは今のところよくはわからないということです。
 尚、「開示」ということばは今僕が勝手に使っただけで専門用語でも何でもないことを付記しておきます。(でも案外うまい表現かも知れない :-))

 

 


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