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木洩れ日抄 7 青春の影、あるいは音楽のチカラ

2016-11-04 15:59:00 | 木洩れ日抄

木洩れ日抄 7 青春の影、あるいは音楽のチカラ

2016.11.4



 思わず涙がこみ上げてきて、あわてた。暗いライブハウスの客席の隅っこにいたから、もちろん誰にも気づかれなかったが、いったいどうしたことかと思いつつ、大げさにいえば嗚咽をこらえた。

 青山高校時代の教え子のバンド。教え子といっても一回りほど年下に過ぎないのだが、たった1年ちょっと教えただけなのに、今でも、「恩師」として丁重に扱ってくれる見上陽一郎君が、中心となったバンド、「AMB」。彼の中学時代の2年にまたがる同窓生が結成した、チューリップ(いちおう念のために書いておくが、花の名前ではありません。バンド名です。)のトリビュートバンドだ。

 チューリップの曲が立て続けに演奏されたあと、「青春の影」がきれいな声で歌い出されたとき、それは起きた。涙だ。

 ぼくは音楽を聴いていて、涙を流した記憶があまりない。しかし、まったくないわけではない。30年ほど前、侯孝賢監督の映画『冬冬(とんとん)の夏休み』を見たときのことだ。主人公の冬冬が田舎に帰って、お祖父さんに、電蓄でレコードを聴かせてもらうシーンがあるのだが、その時流れた音楽が、スッペの「詩人と農夫序曲」だった。その曲とともに、台湾の緑の田園が画面いっぱいに映し出されたとき、最前列で見ていたぼくは(混雑していたのではない。その頃ぼくは映画はとにかく一番前の席で見ることに決めていたのだ。)大泣きしてしまった。もちろん声たてて「号泣」したのではないが、涙がとめどなく流れた。どうしてなのか分からなかったが、その映像と音楽がぼくの深いところにある「何か」をはげしく揺り動かしたことは確かだ。

 スッペの「詩人と農夫序曲」は、いわゆるクラシック音楽の入門曲のようなものだが、中学生のころ、初めてクラシック音楽に触れ、45センチのドーナツ盤で何度も聴いた曲のひとつだった。その頃の思い出がよみがえったのだろうか、それとも、緑の田園への憧れだったのだろうか、それとも祖父への追憶だったのだろうか、今ではまったく分からない。

 それと同質のことが起きたのだろうか、といぶかりつつ聴いていると、やがて「銀の指環」「心の旅」と続き(順番の記憶は不確か)、こみ上げそうになる涙を何とか抑えることができたものの、心はいいようもなく震え続けた。途中ビートルズナンバーが3曲入り、しばらくして、突然、イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」の演奏が始まった。これには参った。発売されたころからLPレコードを買い、何度聴いたか分からないこの「ホテル・カリフォルニア」。それをナマで聴けた。涙もとぎれるほどの感動だった。

 音楽の「チカラ」というものを思い知らされた、なんて、テイのいいことは今更言いたくないけれど、そう言うしかない。

 誰にも「青春」と呼べる時代があって、それが何歳から何歳までかは、人それぞれの考え方だし、「青春とは心の若さである」なんて洒落た言葉もあるけれど、そうは言っても、60を過ぎても(あるいは50を過ぎても?)「青春を生きている」とはとても言えない。それを「心の若さ」で無理矢理補おうとしても、「体の衰え」は、情け容赦もなく襲いかかってくる。「青春」は必ずどこかで「失われる」ものであり、そうだからこそ「青春」なのだ。

 その「失われた青春」を、何とか自分の中に回復したいと切なく願いながらも、現実の生活では、それは決して果たせない。けれども、音楽は、それをまるでタイムカプセルのようにそのまま閉じ込めることができる。そしてそれを聴く者の中に、生々しくそれを蘇らせることができる。

 昔愛した歌を、CDで聴きながら思わず涙するのもそのせいだ。けれども、このライブで演奏された「昔の歌」は、チューリップの、ビートルズの、イーグルスの「昔の歌」でありながら、それを「この今の歌」として、生身の人間が目の前、耳の前で現前させている。しかもその昔、夢中になって歌い演奏したその曲を、40年を隔ててすっかり「オヤジ」になったその人たち自身が、今、生き生きと演奏している。「失われた青春」が、取り返しのつかない時間をそのうちに含有しつつ、それでも、その時間の重みと厚さ(演奏者の経験というべきだろうか)が音楽に込められて見事に蘇っている。それがぼくらに涙を流させる。これが「音楽のチカラ」だ。これは、文学にも、美術にも、映画にもできないことだ。

 「泣けた」というのが映画などへの安易な賛辞の言葉となっている昨今だが、そんな涙は薄っぺらなセンチメンタルなものに過ぎない。そんなレベルで人を泣かせることなんてわけもないことだ。そうではなくて、なぜか分からないけれど、心の奥底にある「何か」(それを古めかしく「琴線」と呼んでもいい)を、ゆさぶり、うごかし、涙を流させる、そういう芸術こそ本物だと言えるだろう。その本物の芸術を、今回の「AMB」に見た・聴いたといえば、見上君は照れるかもしれないけれど、やっぱりぼくには、そう言うしか言葉が見つからないのだ。



 

【AMB 5th Anniversary Live at Shibuya DESEO】

2016.11.3

会場:Shibuya DESEO
http://www.deseo.co.jp/contents/map.html
OPEN / 11:00
START / 11:30(13:30頃終演予定)
TICKET / ¥2000+ドリンク代(¥500)

AMB are...
山藤やまさん勇一 gtr, chor
宮﨑ケイゴ恵五郎 bs, chor
小友おともっち博 gtr, chor
萩原ノッツァン健太 drs
清水しみず克一郎 key, gtr, vo
見上ブーラン陽一郎 gtr, key, vo


 



前掲写真は、筆者撮影。

Canon PowerShot G7X

 

 

 


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