萩原朔太郎「卵」
30×38cm
コーヒー染めの紙に
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卵
いと高き梢にありて
ちひさなる卵ら光り
あふげば小鳥の巢は光り
いまはや罪人の祈るときなる
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全回の詩が、犀星の影響を色濃く感じさせるのに対して
これは、朔太郎独自の感性の詩。
朔太郎の「罪」の意識は、犀星には無縁のもの。
犀星は、鋭すぎる感性の世界から次第に離れ
「愛の詩集」に見られるような、いわば「人道的」な詩を書くようになるのですが
朔太郎は、ますます自己の内部にある「罪意識」を深め
人間の深淵をのぞき込んでいくのです。
そこに描かれる、いわば「観念的なエロチシズム」の世界は
朔太郎以外の誰にも想像できなかったもので
今でも、日本の現代詩の
ひとつのピークとなっているのだと思います。