衆罪如霜露
春来(き)なば心のどけく照す日にいかなる霜も露も残らん
半紙
【題出典】『普賢経』
【題意】 衆罪は霜露の如し
多くの罪は霜や露のようなもので、(仏の恵日が消除する。)
【歌の通釈】
春が来たならば、心のどかに照らす日(仏の恵日)に、どんな霜や露(罪)が残るのだろうか。すべて消え失せるのだ。
【寂然の左注・通釈】
この題も前歌と同じ箇所の文である。自分の心は実体のないものとして悟れば、罪障も実体がない。妄想の闇が晴れて仏の恵みの日が照らす時を、「春来なば」といったのか。
【考】
季節歌の最後の歌。冬の露霜が春の日に照らされて消え行くように、仏の恵みの日の前では罪障も跡形もなく消え失せるだろうといったもの。春の一番歌では、無明の氷が春風に解かされ法性の水となることが詠まれたが、春が煩悩を消し去る点でこれも同趣向である。
(以上、『寂然法門百首全釈』山本章博著 による。)
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これで季節の歌40首が終わります。
この後には、「祝」10首、「別」10首、「恋」10首、「述懐」10首、「無常」10首、「雑」10首がおさめられています。