日本近代文学の森へ (210) 志賀直哉『暗夜行路』 97 「汽車」と「電車」 「後篇第三 七」 その1
2022.2.6
お才は、翌朝、故郷の岐阜へ用があるらしく出かけていった。
その日の午後、謙作は、鎌倉に住んでいる兄の信行を訪ねた。そこには、石本がいて、信行は風邪をひいていた。信行は熱があるらしく、目がとろんとしているので、謙作は心配になって、「本郷」へ連絡してみたらと聞いてみたが、二三日こうしていれば治るというので、「吸入器」だけ買ってきて、大家のおかみさんに後を頼み、石本と東京へ向かう汽車に乗った。
汽車の中では、謙作は一人ぼんやりと薄暮の景色を眺めていたが、気が沈んで仕方がなかった。やはりお栄と別れる事が淋しかったのだ。 自身のためにも淋しかったが、お栄のためにも淋しい気がした。窓外の薄暮が彼を一層そういう気持に誘っていた。
「後篇第三 六」は、これで終わり、「七」へと進む。
謙作は近く別れねばならぬお栄と一緒にいながら、今までにない一種の気づまりを感じた。こうしている事もそう長くないと思うと、彼はなるべく外出もひかえるようにしているのだが、それが不思議に気づまりで、かつ退屈でかなわなかった。第一、一緒にいて、話の種が急になくなったような気がした。お栄の方は、しかし忙しかった。その忙しさからそういう気持には遠いらしく見えた。
お栄は女らしい心持で、謙作の着物は一つでも汚れたものを残したくなかった。それらを洗張りにやり、縫直し、それに余念なかった。
謙作とお栄との関係は、「恋人」でもなければ「親子」でもない。実に不思議な関係だ。鎌倉から東京へ向かう汽車の中で謙作が感じた「淋しさ」は、親しい人との別れの淋しさには違いないが、かといって、その人とずっと一緒に暮らしたいという気持ちでもない。
現に、こうして残りわずかな同居生活は、なんともいえない「きづまり」を感じさせる。急に話の種がなくなり、気づまりのうえに、退屈でもある。まあ、そういうことってあるんだろうなあとは思う。「恋愛」とは明らかに違う、「親愛の情」、それも、「肉親」に限りなく近い情愛。そんなものなのだろうか。
ある朝、謙作はいつになく早く眼を覚ました。彼は理(わけ)もなく変に落ちつかない気持になって、朝の食事もせずにそのまま自家(うち)を出た。停車場へ来たが汽車までは時間があるので、京浜電車の方へいって乗った。そして品川まで行くその間に彼はふと、明け方夢を見ていたという事を憶い出した。そしてその夢が彼の落ちつかない気持の原因だった事は分ったが、それを思い出そうとすると、不安な気持だけが、はっきりしていて、どういう夢だったか、その事実の方はかえってぼんやりしていた。
ここに出てくる「京浜電車」というのは、今の京浜急行のことだ。1898年に設立された「大師電気鉄道株式会社」は、1899(明治32)年に、川崎駅(後の六郷橋駅)から大師駅(現在の川崎大師駅)の営業を開始し、社名を「京浜電気鉄道株式会社」に変えた。これが現在の京急の始まりである。その後、1901(明治34)年には、「大森停車場前駅(現在の大森駅)」から、現在の「大森海岸駅」を経て、川崎駅までが開業している。「品川駅(現在の北品川駅)」が開業したのは1904(明治37)年。志賀がこの小説を書いていたころ(大正10年から断続的に、昭和12年まで。「後編」の前のほうは、大正11年ごろ)は、「京浜電車」と呼ばれていたことがわかる。鎌倉へは「汽車」で行っていたが、こっちは「電車」なのだ。
ここでふと思うのだが、志賀直哉の小説には、「鉄道」がよく登場する。この「暗夜行路」にしても、尾道までの汽車とか、鎌倉までの汽車や、京浜電車などが頻繁に出てくるわけだが、有名な「城の崎にて」は、「電車にはねられた」話である。その冒頭からして、「山の手線の電車に跳飛ばされて怪我をした。」である。初期の名作「網走まで」も、宇都宮へ行こうとして乗った、青森行きの「汽車」の中の出来事だ。また、「出来事」は、東京の路面電車に子どもが跳ねられた話。「正義派」の冒頭も、「或る夕方、日本橋の方から永代を渡って来た電車が橋を渡ると直ぐの処で、湯の帰りらしい二十一二の母親に連れられた五つばかりの女の児を轢き殺した。」だ。また「真鶴」では、弟を連れて夜の道をえんえんと歩いていく子どもの脇を「列車」が走っていくさまが印象的に描かれている。ちょっと引用しよう。
夜が迫つて来た。沖には漁火が点々と見え始めた。高く掛つて居た半かけの白つぽい月が何時か光を増して来た。が、真鶴までは未だ一里あつた。丁度熱海行きの小さい軌道列車が大粒な火の粉を散らしながら、息せき彼等を追い抜いて行つた。二台連結した客車の窓からさす鈍いランプの光がチラチラと二人の横顔を照して行つた。
この「軌道列車」が散らす「大粒な火の粉」の印象は、初めてよんだ若い頃から今に至るまで、鮮烈さを失わない。
「文学と鉄道」ということで言えば、ドストエフスキーの「白痴」の冒頭は列車の中。トルストイの「アンナ・カレーニナ」では、アンナは鉄道自殺をする。プルーストは眠れぬ夜に、遠くの汽笛を聞いている。岩野泡鳴の樺太への旅も鉄道がふんだんに出てくるし(しかも北海道の鉄道だ!)、萩原朔太郎は、汽車にのって、フランスを夢見、絶望の魂を抱えて汽車で故郷に帰る。啄木は、故郷の言葉を聴きに上野駅に行く。池澤夏樹の芥川賞受賞作「スティル・ライフ」には、京急が出てくる。
「まあ、きりのないことだが、「鉄道と文学」なんて、アンソロジーがどこかにきっとあるんだろうな。