月隠重山挙扇類之
朝夕に手ならす夏の扇にも心の月を思ひいでなん
半紙
【題出典】『摩訶止観』一・上
【題意】 月隠重山挙扇類之(月が重山に隠るれば、扇をあげてこれに類し)
月が連なる山に隠れると、扇を示して月に譬える。
【歌の通釈】
朝夕に使い馴らす扇を見ても、心の月(実相の理)を思い出そう。
【考】
文字を借りることによって、真理を解することができる。夏の盛り、一日中手に持つ丸い扇を見ても、常に真実の月を思いやろうという一首。
(以上、『寂然法門百首全釈』山本章博著 による。)
▼月が山に隠れてしまうともう見えないわけですが、それと同様に、「真実」はいつも世俗の中に隠れてしまいます。けれども、月を見ない者に、手に持つ扇で、「月はこのようなものだよ」と教えることができるというのです。
▼「月=実相=真理」が目に見えない(あるいは隠れて見えない)ものだとしても、それを「扇=文字=言葉」で譬えることで、捉えたり理解したりできるという教えのようです。
▼「扇」はいわゆる「扇形」じゃないかと思われるかもしれませんが、正式には「丸い」ものだと寂然は言っています。
▼このことは、普段の生活の中でも、応用できることではないでしょうか。何気なく見慣れているものでも、それを何かの「比喩」だと捉えることで、それが「意味あるもの」として立ち現れる。身の回りの自然も、いつも人間に語りかけているということでしょう。