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一日一書 1594 寂然法門百首 18

2020-03-20 15:18:29 | 一日一書

月隠重山挙扇類之

 

朝夕に手ならす夏の扇にも心の月を思ひいでなん
 

半紙

 

 

【題出典】『摩訶止観』一・上

 

【題意】 月隠重山挙扇類之(月が重山に隠るれば、扇をあげてこれに類し) 

月が連なる山に隠れると、扇を示して月に譬える。

 

【歌の通釈】

朝夕に使い馴らす扇を見ても、心の月(実相の理)を思い出そう。

【考】

文字を借りることによって、真理を解することができる。夏の盛り、一日中手に持つ丸い扇を見ても、常に真実の月を思いやろうという一首。

(以上、『寂然法門百首全釈』山本章博著 による。)

 

 


▼月が山に隠れてしまうともう見えないわけですが、それと同様に、「真実」はいつも世俗の中に隠れてしまいます。けれども、月を見ない者に、手に持つ扇で、「月はこのようなものだよ」と教えることができるというのです。

▼「月=実相=真理」が目に見えない(あるいは隠れて見えない)ものだとしても、それを「扇=文字=言葉」で譬えることで、捉えたり理解したりできるという教えのようです。

▼「扇」はいわゆる「扇形」じゃないかと思われるかもしれませんが、正式には「丸い」ものだと寂然は言っています。

▼このことは、普段の生活の中でも、応用できることではないでしょうか。何気なく見慣れているものでも、それを何かの「比喩」だと捉えることで、それが「意味あるもの」として立ち現れる。身の回りの自然も、いつも人間に語りかけているということでしょう。

 

 

 

 

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