真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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「帝国の慰安婦」事実に反する断定の数々 NO6

2019年07月01日 | 国際・政治

 「帝国の慰安婦」の著者は、日本軍慰安婦問題で最も大事な部分を、推察や思い込みで結論付けているように思います。そして、それは下記のように、名誉・尊厳・人権の回復を求めて名乗り出た日本軍慰安婦の証言ではなく、彼女たちの証言を否定するような人の証言に依拠してなされているように思います。

 「帝国の慰安婦」には、なぜ、 日本政府に対して謝罪や賠償を求めて名乗り出た人たちの証言がほとんど出てこないのでしょうか。また、当時の日本軍の慰安婦に関わる文書もほとんど出てきませんが、なぜでしょうか。それで、日本軍慰安婦のことが語れるとは思えません。

  p230 
 補助軍としての慰安婦
 「慰安婦」たちが兵士たちに「群がってきた彼女たちは商売熱心に私たちに媚び」たとか、「実に明るく楽しそう」で「『性奴隷』に該当する様な影はどこにも見いだせな」(小野田寛郎2007)いように見えたのはそういう構造によるものだ。彼女たちが商売熱心に「媚び」たり、そのために「明るく」振る舞い、「楽しそう」にもしていたとしたら、それは彼女たちなりに「国家」に尽くそうとしてのことなのである。業者の厳しい拘束と監視のなかで、自分の意志では帰れないことが分かった彼女たちが、時間の経つにつれて最初の当惑と怒りと悲しみを押して積極的に行動したとしても、それを非難することは誰にもできない。歌う慰安婦が悲惨な慰安婦と対峙するものではないように、「媚び」る笑顔も、慰安婦たちの悲惨性と対峙するわけではないのである。
 彼女たちは、自分たちに与えられていた「慰安」という役割に忠実だった。彼女たちの笑みは売春婦としての笑みというより、兵士を慰安する役割に忠実な<愛国娘>の笑みだった。たとえ「兵士や下士官を涙で騙して規定の料金以外に金をせしめているしたたかな女」(同)がいたとしても、兵士を「慰安」するために、植民地支配下の彼女たちを必要とした主体が、彼女たちを非難することはできないはずだ。そして、そのようなタフさこそが、昼は洗濯や看護を、夜は性の相手をするような過酷な重労働の生活を耐えさせたものだったのだろう。
 植民地人として、そして<国家のために>闘っているという大義名分を持つ男たちのために尽くすべき「民間」の「女」として彼女たちに許された誇り──自己存在の意義、承認──は「国のために働いている兵隊さんを慰めている」(木村才蔵2007)との役割を肯定的に内面化する愛国心しかなかった。「内地はもちろん朝鮮・台湾から戦地希望者があとをたたなかった」(同)とすれば、そのような<愛国>を、ほかならぬ日本が、植民地の人にまで内面化させた結果でしかない。
 慰安婦でも山中や奥地の駐屯地まで行ったのは、植民地の女性が多かったようだ。それが個人的選択の結果なのか、構造的なことなのか明確ではないが、いずれにしても彼女たちがそのような場所まで行って日本軍とともにいたことを、日本の愛国者<慰安婦問題を否定する日本人の中には愛国者が多いようだ>たちが批判するのは矛盾している。朝鮮人の方がより多く過酷な環境に置かれていたとしたら、それは植民地の女性という、階級的で民族的な二重差別によるものである。たとえ自発的な選択だったとしても、その自発性と<積極>性は、そのような構造的な強制性の中でのことなのである。


 こういう文章を読むと、また、同じことを確認しなければならなくなります。日本軍慰安婦の問題は、名誉・尊厳・人権の回復のために、違法行為(犯罪行為)を主導した日本軍や日本政府に対して、謝罪や賠償を求めて名乗り出た人たちに、どのように対応するかという問題です。前にも書きましたが、慰安所の設けられた時期や国や地域、また、戦況によって、慰安婦のおかれた環境は大きく異異なります。したがって、当然のことながら、慰安婦だった人が全て名乗り出たわけではありません。問題は、謝罪と賠償を求めて名乗り出た人たちに対してどう対応するかということです。
 ”内地はもちろん朝鮮・台湾から戦地希望者があとをたたなかった”というようなことが、何時、何処であったのでしょうか。根拠を示してほしいと思います。すでに触れたように、慰安婦集めに関する軍の文書には、
支那事変地ニ於ケル慰安所設置ノ為、内地ニ於テ之ガ従業婦等ヲ募集スルニ当リ、故ラ(コトサラ)ニ軍部諒解等ノ名義ヲ利用シ、為ニ軍ノ威信ヲ傷ツケ、且(カ)ツ一般民ノ誤解ヲ招ク虞(オソレ)アルモノ、或ハ従軍記者、慰問者等ヲ介シテ不統制ニ募集シ社会問題ヲ惹起スル虞アルモノ、或ハ募集ニ任ズル者ノ人選適切ヲ欠キ、為ニ募集方法誘拐ニ類シ、警察当局ニ検挙取調ヲ受クルモノアル等、注意ヲ要スルモノ少ナカラザルニ就テハ、将来是等(コレラ)ノ募集ニ当タリテハ、派遣軍ニ於テ統制シ、之ニ任ズル人物ノ選定ヲ周到適切ニシ、其ノ実施ニ当リテハ、関係地方ノ憲兵及警察当局トノ連繋(レンケイ)ヲ密ニシ、以テ軍ノ威信保持上、並ニ社会問題上、遺漏ナキ様配慮相成度(アイナリタク)、依命(メイニヨリ)通牒ス。
などとあるのです。なぜこうした文書は取り上げないのでしょうか。

 また、”彼女たちは、自分たちに与えられていた「慰安」という役割に忠実だった。彼女たちの笑みは売春婦としての笑みというより、兵士を慰安する役割に忠実な<愛国娘>の笑みだった。”などと断定することのできる朝鮮人慰安婦の証言があるのでしょうか。日本の軍人の証言が正しく、日本軍慰安婦の証言は信用できないということでしょうか。さらに言えば、こうした「愛国娘」が、日本政府に対して、謝罪や賠償を求めて名乗り出ることがあるでしょうか。私には信じられません。
 ”醜業ヲ目的トスル婦女ノ渡航ハ、現在内地ニ於テ娼妓其ノ他、事実上醜業ヲ営ミ、満21歳以上…”という国際条約に基づいて、合意の上で、日本から戦地に行った慰安婦なら話はわかりますが…。
 日本軍慰安婦問題で大事なことは、証言に基づいた対応だと思います。

 p255
台湾・朝鮮半島での補償事業がうまくいかなかったのは、何よりも、過去にこの両地域・国家が植民地だったという関係性にある。つまり朝鮮人慰安婦や台湾人慰安婦は、戦争を媒介として加害者と被害者の関係で規定される存在ではなく、植民地になったがために動員された<帝国主義の被害者>でありながら、実質的にはいっしょに国家への協力<戦争遂行>をしてアジアに対して加害者となった複雑な存在だった。彼女たちはかつて「誇り」を傷つけられ、しかも協力させられた存在として、一方的に被害を受けた他の国よりも「誇り」へのこだわりは強くなる。そのような心理構造も、基金拒否の背後には働いていたと考えられる。

 ここで著者が何を言わんとしておられるのか、よくはわかりませんが、”…というのは、かつて「誇り」を傷つけられ、しかも協力させられた存在として、一方的に被害を受けた他の国よりも「誇り」へのこだわりは強くなる”とはどういうことでしょうか。朝鮮人慰安婦は”一方的に被害を受けた”のではないということでしょうか。多くの証言からは、そうしたことが読み取れません。また、「誇り」にこだわることを否定するのでしょうか。私には、協力させられたことを受け入れていたとは思えませんが、「誇り」にこだわりがあるからこそ、名誉・尊厳・人権の回復が必要なのではないかと思います。 
 6月29日の朝日新聞は、家族離散などを強いられたハンセン病患者家族が、患者ではなく家族に対する損害賠償と謝罪を求めた集団訴訟で、国の責任を認め、総額3億7675万円の支払いを命じたという熊本地裁の判決を伝えています。だから、日本軍慰安婦の訴えを受け入れないことは間違っていると思います。国が、国際法や国内法に違反するかたちで被害を与えた被害者には、国が謝罪や賠償をすることは当然のことだと思うからです。 

 p259
 もっとも、アメリカが戦後の日本で慰安所を利用し、そしていまなお軍事基地を各国において利用しつづけているという現実を認識せずに、日本批判に走っているのは矛盾でしかない。

 日本軍慰安婦の問題を、あえて、一般的な売春の問題とごちゃまぜにして、謝罪や賠償は必要ないと主張されているように思います。米軍が基地の周りに慰安所を設置し、女性を騙してつれてきて慰安婦にして、奴隷的状態に置いているなどということがあるとは思えません。 

p266
支援者たちにその意図がなかったとしても、「慰安婦」=「当事者」たちは、いつのまにか一部の人にとっては日本の政治運動のための人質になっていたとさえ言える。そのとき目指された「社会改革」が市民の意識変化だったのか、政権交代だったのか、あるいは天皇制廃止だったのか明らかでないが、2009年、民主党政権が誕生して政権交代が果たされても慰安婦問題は解決されなかった。

 慰安婦問題が解決されなかったのは、支援者たちの運動が間違っているからということのようですが、こうした考え方は、日本軍慰安婦の問題を根本的に解決しようとすることなく、日本軍慰安婦や国際社会が求める「法的責任」を曖昧にしたまま、政治的取り引きのような形で決着させようとする日本政府の姿勢に通じるものではないかと思います。日本政府の側に問題があることをまったく無視しているように思います。

 p267
 基金は、政府なりに誠意をこめた<手段>であり、当時の国民の<総意>として、「謝罪と補償」の役割を担えるものだった。もちろん基金は、支援者たちの一部が望むような天皇制批判意識を共有していたわけではなく、支援者たちが考えるような<改革された日本社会の形>など気にかけていなかったであろう。それでも慰安婦問題の解決には寄与しうるものだったのである。
 当時そのことが無視されたのは、そこでは問題解決自体よりも、少数の支援者たちの考える<日本社会の改革>という理念のほうが重視されていたからと言うほかない。支援者たちのほとんどが、当事者主義を取り、誰よりも慰安婦たちの身になって考え行動してきたであろうことは疑いの余地がない。しかし、正義自体が目的化してしまったために、皮肉にも慰安婦は、そこではすでに当事者ではなくなっていたのである。

 どう繕っても、「基金」は責任逃れであることを否定することはできないと思います。
 支援者たちが、”誰よりも慰安婦たちの身になって考え行動してきたであろうことは疑いの余地がない。”と認めておきながら、支援者たちの運動については、”しかし、正義自体が目的化してしまったために、皮肉にも慰安婦は、そこではすでに当事者ではなくなっていたのである。”などと断定し、否定される根拠はどこにあるのでしょうか。”少数の支援者たちの考える<日本社会の改革>という理念のほうが重視されていた”などというのも、著者の思い込みではないかと思います。根拠がありません。

 こうした考え方は、歴史的な事実をきちんと見ていないことから来るのではないかと思います。大戦後、冷戦の影響で、GHQの対日政策が転換されました。そして、戦犯として獄中にあった人を含め、戦中活躍した人たちが公職追放を解除されて復帰しました。そのため、戦後の日本は、戦争責任を回避しようとする政治勢力が強い影響力を持ったのです。それは、GHQが活動を終了し、日本が主権を回復するや否や、戦前・戦中の考え方をそのまま引き継いだ軍人恩給が復活したことでわかります。大将はおよそ830万円、大佐は550万円 兵150万円というように戦争中の階級によって、元軍人やその遺族には手厚い援護をしながら、空襲被害者をはじめとする一般被害国民や国家総動員法で徴用された多くの人は、補償の対象外でした。また、国籍により外国人を補償から排除するという問題も、戦後70年以上を経ても、いまだに解決されていないのです。
 この軍人恩給制度は、GHQが「この制度こそは世襲軍人階級の永続を計る一手段であり、その世襲軍人階級は日本の侵略政策の大きな源となったのである」と指摘し、「惨憺たる窮境をもたらした最大の責任者たる軍国主義者が…極めて特権的な取扱いを受けるが如き制度は廃止されなければならない」として、廃止させたものでした。にもかかわらず、軍人恩給を復活させ、戦争責任を負うべき立場の人が、多くのお金を受領しているということは、日本の政権が、戦争の責任を認めない姿勢を持っていることの証しだろうと思います。
 また、植民地支配を正当化する発言や、要職にある人の戦争に関わる失言が国会でくり返えされていることでも、日本に根強く責任回避の姿勢があることは明らかではないかと思います。したがって、日本軍慰安婦問題を担当し、交渉にあたった関係者は、誠意をもって努力した部分もあるでしょうが、責任回避のために公式謝罪や法的賠償を避けなければならない立場に立たされている面があったことを見逃してはならないと思います。「基金」は責任回避の苦肉の策といえるのではないかと思います。

 p270
ところで、基金構想が報じられたあとに出された、日本メディアへの抗議の意見広告には「わたしたちは『民間基金』による『見舞金』ではなく日本政府の直接謝罪と補償を求めています」という言葉が見える。基金は単に「民間」のものと理解され、「償い金」は単に「見舞金」と認識されていた。同じ広告に掲載された元慰安婦キム・ハクスン(金学順)氏も同じく基金を「見舞金」と認識している。
そこで「民間人に何の罪があるというのです?(キム・ハクスン)」「私は乞食ではありません。民間から集めた同情の金はいりません。(イ・スンドク)」(「毎日新聞」意見広告、1994年11月29日付)と述べているのだろう。「乞食」という言葉や「金だけよこしてことが済むと思っているのか?」といった抗議も、「基金」が政府の「戦後処理」の意味を持つ作業だったことがほとんど理解されなかった結果である。

「戦後処理」の意味を持つ作業だったことがほとんど理解されなかった結果である。”というのは、勝手な解釈だと思います。理解されなかったからではなく、「基金」が、日本軍や日本政府の違法行為(戦争犯罪)を認めなかったからです。

 p273 
 日本の支援者たちの、心からの謝罪意識と根気強い長年の運動は、ほかの多くの市民運動と同じように、戦後日本の精神を体現したものであった。おそらく、だからこそ、と言うべきだが、日本の支援者たちの基金反対は、まず慰安婦に関して十分に理解していなかったゆえのことと言えるかもしれない。
 支援者たちは、長い間「慰安婦」を「性奴隷」とみなし、慰安婦の自由を拘束した主体を「軍」に限定してきた。それこそが、支援者たちの<徹底した謝罪意識>へのこだわりを作ったものだろう。そして、人身売買などの手段で集めていた業者たちを見過ごさせたのも、そのような認識だったためだろう。

 名乗り出た慰安婦を支援してきた人たちが、”慰安婦に関して十分に理解していなかった”などというのは、なぜでしょうか。”人身売買などの手段で集めていた業者たちを見過ごさせたのも、そのような認識だったためだろう。”というのも違うと思います。業者を動かしていたのが軍だったからだと思います。
 著者は、朝鮮人の女性や少女を騙して慰安婦にしたのは「業者」、慰安婦を奴隷状態に置いたのは「業者」、慰安婦を戦地に放置したのは「業者」と、責任の主体をすべて「業者」にして、日本軍や日本政府を免責するようなことをいろいろ書かれていまが、前掲のものとは別の慰安所規定には、下記のようにあります。
ーーーー
第2大隊
 常州駐屯間内務規定ヲ本書ノ通リ定ム
  昭和13年3月16日
                                                 大隊長 万波少佐
 〔第1章~第8章・略〕
第9章 慰安所使用規定

第59 方針
    緩和慰安ノ道ヲ講シテ軍紀粛正ノ一助トナサントスルニ在リ
第60 設備
    慰安所ハ日華会館南側囲壁内ニ設ケ、日華会館付属建物及下士官、兵棟ニ区分ス
    下士官、兵ノ出入口南側表門トス
    衛生上ニ関シ楼主ハ消毒設備ヲナシ置クモノトス
    各隊ノ使用日ヲ左ノ如ク定ム
      星 部隊  日 曜日
      栗岩部隊  月火曜日
      松村部隊  水木曜日
      成田部隊  土 曜日
      阿知波部隊 金 曜日
      村田部隊  日 曜日
    其他臨時駐屯部隊ノ使用ニ関シテハ別ニ示ス
第61 実施単価及時間
     1 下士官、兵営業時間ヲ午前9時ヨリ午後6時迄トス
     2 単価
      使用時間ハ一人一時間ヲ限度トス
      支那人   1円00銭
      半島人   1円50銭
      内地人   2円00銭
     以上ハ下士官、兵トシ将校(准尉含ム)ハ倍額トス
     (防毒面ヲ付ス)
第62 検査
    毎週、月曜日及金曜日トシ金曜日ヲ定例検黴(ケンバイ)日トス
    検査時間ハ午前8時ヨリ午前10時迄トス
    検査主任官ハ第4野戦病院医官トシ兵站予備病院並各隊医官ハ之ヲ補助スルモノトス
    検査主任官ハ其ノ結果ヲ第3項部隊ニ通報スルモノトス
第63 慰安所使用ノ注意事項左ノ如シ
     1、慰安所内ニ於テ飲酒スルヲ禁ス
     2、金額支払及時間ヲ厳守ス
     3、女ハ総テ有毒者ト思惟シ防毒ニ関シ万全ヲ期スヘシ
     4、営業者ニ対シ粗暴ノ行為アルヘラカス
     5、酒気ヲ帯ヒタル者ノ出入ヲ禁ス
第64 雑件
     1、営業者ハ支那人ヲ客トシテ採ルコトヲ許サス
     2、営業者ハ酒肴茶菓ノ饗応ヲ禁ス
     3、営業者ハ特ニ許シタル場所以外ニ外出スルヲ禁ス
     4、営業者ハ総テ検黴ノ結果合格証ヲ所持スルモノニ限ル
第65 監督担任
     監督担任部隊ハ憲兵分遣隊トス
第65 付加事項
     1、部隊慰安日ハ木曜日トシ当日ハ各隊ヨリ使用時限ニ幹部ヲシテ巡察セシムルモノトス
     2、慰安所ニ至ルトキハ各隊毎ニ引率セシムヘシ
       但シ巻脚絆ヲ除クコトヲ得
     3、毎日15日ハ慰安所ノ公休日トス
 〔後略〕

この慰安所規定で業者ほとんど決定権がなかったことがわかります。日本軍の責任は明らかではないでしょうか。こうした文書を無視するから、”日本の支援者たちの基金反対は、まず慰安婦に関して十分に理解していなかったゆえのことと言えるかもしれない。”などと言わざるを得なくなるのではないかと、私は思います。

 p285
 社会の下層階級の女性たちの移動が活発だったのは、異なる経済システムの中に編入される<移動>自体が彼女たちの身体を格上げしたからである。つまり、慰安婦問題とは、国家や帝国といった政治システムの問題であるだけでなく、より本質的に資本の問題である。帝国・国家が「交易」を名分に他国に不平等条約を強いて有利なシステムの中で商品を売って利益を得たように、人身売買などの行者と抱え主、主人たちは、女性たちの身体を商品化して消費者に売った。そういう意味でも、慰安婦システムを使ってもっとも経済的利益をあげたものと見える「業者」や「抱え主」の存在を消去しては「慰安婦問題」の本質は見えてこない。
 帝国主義はそのように祖国を離れた商人たちが自分と自国の利益を図るなか、生じうる衝突──日常的トラブルから戦争まで──勝ち抜き、そこにより長く留まれるように、言い換えれば彼らが国家勢力を拡張し、経済を潤沢にする任務を果たす道から離脱しないように管理した。慰安所は表面的には軍隊の戦争遂行のためのもののように見えるが、その本質はそのような「帝国主義」と、人間を搾取して利潤を残そうとする資本主義にある。「戦争」は、そのような経済戦争での妨害物を物理的に制圧し、成功させるための手段に過ぎない。日本の近代啓蒙主義者だった福沢諭吉が「娼婦の海外への出稼ぎは日本の『経世上必要なる可』し」(矢野 45頁から再引用)としたのは、くしくもそこのところを語ったものだった。

 これは、明らかに日本軍慰安婦の問題の論点をずらすものだと思います。日本軍慰安婦の問題の歴史的背景を考えたり、国家経済とのかかわりや戦争とのかかわりを考えたり、分析したりすることは意味のある事だと思いますが、それは日本軍慰安婦であったことを名乗り出た人たちの名誉・尊厳・人権を回復させることとは、直接関係ないことです。日本軍慰安婦の問題は、”国家や帝国といった政治システムの問題”ではありませんし、”資本の問題”でもありません。日本軍や日本政府の違法行為(戦争犯罪)によって、被害を受けた慰安婦に、どのように対応するかという問題です。だから、論ずべきは、いかなる違法行為(戦争犯罪)があったかということや、被害の実態です。論点をずらしてはならないと思います。

 P293
 2006年になると、「東豆川ではほとんど韓国女性を見かけることがなくな」(週刊京郷」)669 2006年4月11日号)り、韓国女性を代替していた中国人朝鮮族やロシアの人たちがフィリピンやペルーの人に取って代わっているという。
 これはまさしく、大日本帝国時代に日本人慰安婦がしていたことを朝鮮人慰安婦がするようになったのと同じ構造である。韓国が経済力をつけるようになって、より貧しい外国の女性たちが、生活のために韓国という遠い国に<移動>してきて、韓国人女性がやっていたことを代替しているのである。
違いは、あのときは<強制された国籍>がその移動を強制し、かつ支えていたのに対して、今ではグローバリゼーションの名のもとに、より広い地域にまたがる階級化が進んで、女性たちの移動がより<自発的に>見えていることである。そして今でもその代替のために、「東アジアに向かって、世界各国で人身売買された女性たちが送り込まれている」(林博史 2012 152頁)

 この受け止め方も間違っていると思います。朝鮮人慰安婦は、貧しいから売られていったということを前提にしているようですが、多数の証言は騙されて慰安婦にさせられたというものです。また、”より貧しい外国の女性たちが”ということで、当時の朝鮮が日本より貧しかったから、”大日本帝国時代に日本人慰安婦がしていたことを朝鮮人慰安婦がするようになった”というのも問題です。『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成(財)女性のためのアジア平和国民基金編』や、「従軍慰安婦資料集」吉見義明編(大月書店)にある資料は、それが軍の方針であったことを証明しています。経済的な理由で、取って代わったとは言えないのです。

 P294
 人間にとって、存在することの尊厳──人権にとって必要不可欠なのは、身を安息させることのできる空間である。しかし家や土地を持てる経済力を持たずに、別の場所へ追いやられるのは、いつでも社会で最も弱い者たちだ。貧困が、故郷を離れるように彼らの背中を押し、中でももっとも貧しい女たちが「慰安婦」となった。彼女たちが一般の売春婦と違うのは、戦争や戦争待機のために動員された男たちのために働いていることである。貧しい者たちは、経済的自立の可能な文化資本(教育)や社会的セーフティネットを持たないために、働く先を見つけられずに、最後の資本──自分の身体(臓器、血液、性)を売るようになる。最初から身体自体、命自体を国家に抵当にとられた者たちが貧しい階層の兵士たちであり、そうした人たちは今でも世界中に存在する。<慰安婦>と<兵士>はそのように、同じく国家によって動員された存在でありながら、そしてその「国家」が自国である場合は、同志でありながら、構造的に加害者と被害者となった。

 もっともらしい主張ですが、同じように、これも、違うと言わざるを得ません。”貧困が、故郷を離れるように彼らの背中を押し”とか、”中でももっとも貧しい女たちが「慰安婦」となった”とすべて貧困に結びつけることは事実に反すると思います。貧困が全く関係ないとはいえませんが、”騙された”という多くの証言を無視してはならないのです。
 また、軍の方針も見逃してはならないと思います。”もっとも貧しい女たちが「慰安婦」となった”と結論づけることは、日本軍慰安婦だった人の証言や軍の文書の無視から生まれるものだと思います。
 怒りの声が聞こえてくるようで、地獄の苦しみを味わった日本軍慰安婦の人たちを、再び地獄に突き落とすような断定の数々に、批判を試みました。

 

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