真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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ウクライナ戦争とイラク戦争、その扱いのあまりの違いに驚く

2022年04月24日 | 国際・政治

 日本は、すっかり武力主義制裁主義の国に変わってしまったのでしょうか?
 朝日新聞も、このところ、すっかり世の流れ迎合しているように思えます。下記のような考え方が、国連憲章や日本国憲法から出てくるでしょうか。
 私は、武器その他の供与も、日々強化されているロシアに対する制裁も、力によって相手を屈服させようとするもので、平和的な紛争解決の方法とは言えないと思います。恐ろしい考え方だと思います。

 一

 対話 もう打切るべき時(元仏大使 ミシェル・デュクロ氏)
” ・・・ 米国の核抑止力を欧州で維持してもらいたいなら、欧州は(米国が重視する)インド太平洋地域で、たとえ、象徴的な役割に過ぎないとしても、米国とともに血を流すことができると示さなければならない。

 ニ

 ジェノサイドの「意図」明確(ユージーン・フィンケル・米ジョンズポプキンス大準教授
 ”・・・ バイデン大統領がロシア軍の行為を「ジェノサイド」だと明言したことは、重要なトーンの変化だが、大事なのは今後の行動だ。
 道徳的にも政治的にも、ジェノサイドには重い意味があり、安易に使うべきではない。レトリックだけで何も行動しないのであれば、かえって大事な言葉を安っぽくしてしまう。ジェノサイドという言葉を使うことで、兵器をもっと提供し、重い制裁を加える方向に進むことが望まれる

 三

 コラムニストの眼(ポール・クルーグマン 「貿易は必ず平和をもたらすか」
”・・・ しかし、より短期的には、法を守る国々は、自由を守ることに躊躇しないと示す必要がある。独裁者たちは、自分たちの権威主義的な体制に経済的に依存した民主主義国は、自らの価値観のために立ち上がることを恐れるようになる、と考えているかもしれない。我々はそれが間違いだと証明する必要がある。
 具体的には、欧州はロシアの石油とガスの輸入を断つために迅速に行動しなければならず、欧米はウクライナに対し、プーチン氏を抑えるだけでなく、明確な勝利を得るために必要な武器を供給する必要ある。ここにはウクライナにとどまらない大きなものがかかっている。(THE NEW YOEK TIMES)

 また、下記のような主張も、平和的な解決を遠ざける考え方ではないかと思います。
 
 一

NATO東方不拡大 約束はあったのか」(吉留公太神奈川大教授)
 ”・・・ 特に後者の解釈に立てば、NATOが約束を破ったとするプーチンの主張にも少しは説得力があると思う人もいるかもしれない。しかし、歴史研究上一つの解釈を利用して、現在のウクライナ侵攻を正当化することは暴論だ。
 ドイツ統一の結果、西側は冷戦の勝利を確信し、ソ連は東西対立の克服、融和を期待した。この両者の認識の乖離は、90年代に双方が十分に努力すれば埋められたはずだ。だがNATOは東方に拡大し、反発するロシアは国内情勢が混乱する中で次第に権威主義化していった。結局、ロシアも含めた新しいヨーロッパの安全保障秩序を構築する機会は失われてしまった。

 ニ

天声人語
 ・・・ 4ヶ月後、エリツィン氏はこの長官を首相に指名した。無名だったプーチン氏その人だ。▼「最初はあまりに冷静なので警戒したが、持って生まれたものだった」「この国の将来を託せる人物にまちがいない」。エリツィン氏の証言集には、20歳も年下のプーチン氏をほめちぎる言葉が並ぶ▼抜擢されたその人物はいま、世界を混乱に陥れている。苦難のウクライナの人々ならずとも、権力継承の深き罪を思わざるをえない命日である

 こうした文章を読むと、河瀬監督の、”一方的な側からの意見に左右されてものの本質を見誤ってはいないだろうか?誤解を恐れずに言うと「悪」を存在させることで、私は安心していないだろうか?”という言葉を思い出します。

 先日も取り上げましたが、2月28日の英国ガーディアン紙は、「多くがNATOの拡大は戦争になると警告した。しかし、それが無視された。我々は今、米国の傲慢さの対価を支払っている」という見出しの下、「ロシアのウクライナ攻撃は侵略行為であり、最近の行為においてプーチンは主な責任を負う。しかしNATOのロシアに対する傲慢な聞く耳を持たない対ロシア政策は、同等の責任を負う」としています。そうした考え方基づけば、アメリカおよびウクライナの戦略に乗って、武器の供与や制裁の強化で、ウクライナ戦争を解決しようとすることが間違っていることは明らかだと思います。

 また、バイデン大統領やゼレンスキー大統領が、「戦争犯罪」だとか「ジェノサイド」というような言葉を頻繁につかっていますが、第二次世界大戦後も戦争をくり返してきたのはアメリカであり、その開戦理由にも、戦争結果にも多くの問題があったことを忘れてはならないと思います。
 
 そういう意味で、今回は「イラク戦争を検証するための20の論点」イラク戦争の検証をもとめるネットワーク編(合同出版社)から、ワセック・ジャシムさんの証言を抜萃しました。
 なぜなら、イラク戦争は、イラクが大量破壊兵器を保有しているという事実に反する情報に基づき、関係機関が査察中であったにもかかわらず強引に始められた戦争であり、当時のアナン国連事務総長が、”国連安保理の承認なく行われる対イラク戦争は国際法への侮辱であり国連憲章に合致しない”と米国を名指しして、その姿勢に警告を発し”た戦争であったからです。

 2004年のファルージャ総攻撃
 ファルージャでは、04年の4月の最初の攻撃で700以上、二回目の攻撃で6000人もの住民が殺され、行方不明者も3000人に及んだといわれます。とくに11月の攻撃はすさまじく、「息をしている者はすべて撃て」というのが米軍の姿勢でした。私や家族は、攻撃直前にからくもファルージャを脱出しましたが、攻撃の際、14歳以上は「戦闘可能年齢」だとして市外への避難も許されなかったため、実際には人口30万人の内のおよそ半数が市内に取り残されていました。
 当時、私はファルージャ近郊の村サグラウィーヤで避難民の支援を行なっていましたが、同村も米軍は包囲し、支援物資を乗せた車が入れなかったり、米軍ヘリに空爆されたリとさんざんでした。攻撃直後、私はファルージャ市内に入り遺体回収・引渡しをおこないました。苦悶の表情を浮かべたまま、焼け焦げた遺体、おびただしいうじ虫が群がり野犬に食い荒らされ骨が剥きだしになった遺体、戦意がないことを示す白旗を握り締めたまま撃ち殺された少年……、私はその後一カ月間まともに食べることも寝ることもできませんでした。何千回も体を洗いましたが、記憶に臭いが染み付いていました。報告のためとはいえ、今も、この映像を観るのは、とても辛いのです。

 米軍による不当拘束と虐待
 もっとも大規模な攻撃は04年におこなわれたものでしたが、その後も、米軍による空爆や人権侵害は続きました。私自身も米軍に拘束され、虐待を受けました。あれは、05年6月のことでした。当時、学生だった弟が大学からの帰宅途中に米軍の検問所で拘束されてしまったのです。それで、『弟は無実だ。解放してくれ』といいに行ったところ、私まで拘束されてしまいました。両手を縛られ、頭に袋を被せられたうえ、ワイヤーでのムチ打ちなどの暴行をアメリカ兵から受けました。あるアメリカ兵は「俺は家に帰る~、お前は監獄行き~」と歌いながら、石を投げつけました。翌日、私は、釈放されたものの、弟はアブグレイク刑務所に送られ、2年と7カ月、拘束されたのでした。結局、容疑は間違いだったのですが、釈放されるとき、「拷問はなかった」「米軍を訴えない」という書類に強制的にサインさせられました。さらに06年11月、今度は兄が逮捕されました。夜間、米軍が突入、家具やパソコンをめちゃくちゃに壊していきました。米兵は『二時間ほど、訊問する』といいましたが、兄が帰ってきたのは8カ月後でした。名前が指名手配中の武装勢力メンバーに似ているから誤解されたのでした。

 ファルージャの新生児たちを襲う異変
 総攻撃の後、ファルージャでは新生児の重度の健康障害が頻発しています。2,3年前から、ファルージャの病院では、口蓋裂、両足がくっついている、背中に異常に大きな瘤、目や鼻の穴が一つしかない、足が捻じれている、無脳症などといった症状が確認されています。
 これらは、総攻撃の前にはほとんど無かった症状で、ファルージャで生まれる新生児の20%が重い障害のため生後7日間以内に、亡くなってしまいます。原因として考えられるのが、劣化ウラン弾など米軍が使用した兵器による汚染でしょう。イラク環境省が、最近おこなった調査では、全国500ヶ所の中で、とくに放射能汚染のひどい42地域にファルージャとラマディも含まれています。イラク戦争の検証では、こうした汚染についての国際的な調査と責任追及を模索することも必要なのかもしれません。


 
 


 

 

 

 

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