真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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真実を知らないのか、知らないふりか、それとも隠蔽しようということか

2022年06月09日 | 国際・政治

 私は、ウクライナで、武器を使って人が殺し合う戦争が続いていること、また、そのあおりで、エネルギー問題や食糧問題が、世界的規模で深刻になっていることが、納得できません。戦争も、制裁も直ちにやめてほしいと思います。だから、ロシアのウクライナ侵攻以上に、アメリカの対応に問題があると思います。国連憲章その他の法の精神に反していると思います。

 また、朝日新聞が、ロシアを「悪」とし、欧米日を「善」とするアメリカの戦略に乗って、ロシアを力で屈服させようとする記事を、連日掲載していることも、受け入れることができません。

 

 「世界はどこへ ウクライナ侵攻100」欄に国末憲人氏が書いています。”…ロシアの支配下の停戦は、犠牲を重ねる結果となりかねない。加えて、ロシアとの安易な妥協は戦略戦争の容認であり、国際秩序の崩壊を招く恐れが否定できない。軍事大国の攻撃に常におびえて暮らす世界を、次世代に残すべきではない。…”

 ”軍事大国の攻撃に常におびえて暮らす世界を、次世代に残すべきではない”ということで、今、殺し合うこと、すなわち戦争することを正当化できるんでしょうか。おかしいと思います。矛盾していると思います。

 

 また、駒木明義氏も同欄に書いています。”…三年前、プーチン氏は「リベラルな価値観は時代遅れになった」と断言し世界を驚かせた。さらに、武力で隣国に独善的な価値観と歴史認識を押しつけようとしているのが、今回の戦争の本質的な構図だ。停戦が実現しても、ロシアに従順なウクライナしか存在を認めないプーチン氏のような指導者がいる限り、危機は去らない。

 ”武力で隣国に独善的な価値観と歴史認識を押しつけようとしているのが、今回の戦争の本質的な構図だ。”というのも、相手の主張にまったく耳を傾けない、独善的なものだと思います。また、「危機」を乗り越えるために戦争をするというのも間違っていると思います。

 

 バイデン政権の意向に沿って、日々、ウクライナの惨状と反ロ的な感情をあらわにするウクライナ市民の証言の報道に徹し、ロシアのウクライナ侵攻に至る経緯は、ほとんど取り上げない。

 例えば、冷戦終結にともないワルシャワ条約機構が解散したにもかかわらず、アメリカが北大西洋条約機構(NATO)を存続させ、ロシアを取り囲むように拡大させたことは、ほとんど問題にしない。

 ロシアを脅すように、くり返されたNATO諸国とウクライナの軍事訓練もまったく取り上げない。

 オバマ政権の時から、アメリカがロシアを敵国と想定し、ドローンやレーダーその他をウクライナに供与し、バイデン政権では武器を配備したというのに、それも取り上げない。

 ロシアがウクライナに侵攻する前、プーチン大統領が演説しています。その演説で、アメリカが軍事力を不法に使い、ベオグラード、イラク、リビア、シリアを攻撃した事実を取り上げ、そうした国と同じ立場に置かれることは受け入れられないと言っているのに、無視。

 溯れば、マイダン革命におけるアメリカの介入も、まるでなかったかのように、”武力で隣国に独善的な価値観と歴史認識を押しつけようとしているのが、今回の戦争の本質的な構図だ”などと断定する。

 平和憲法を持つ日本の、それも朝日新聞がこれでは、将来は真っ暗だと思います。なぜ、話し合いを呼びかけないのか。話し合いでは、解決できないということであれば、人類が直面している地球規模の諸問題も解決できないのではないかと思います。

 スイス平和エネルギー研究所のガンザー所長が”8年前のオバマ大統領の国際法違反がなければ、プーチンの違法な軍事侵攻はおそらく起こらなかったでしょう”と語ったと言います。ガンザー博士は、スイスの歴史学者で、1945年以降の現代史と国際政治の専門家だということですが、

 https://www.kla.tv/index.php?a=showlanguage&lang=ja&id=22242 の動画は、事実に向き合い、戦争を終結させるために重要だと思います。「ブチャの虐殺」も、ウクライナやアメリカ側が主張する通りかどうか、極めて疑わしいことがわかります。

 

 また、ノーム・チョムスキーの「メディア・コントロール 正義なき民主主義と国際社会」鈴木主税訳(集英社新書)の下記の、東チモールアフガニスタンに関する記述は、アメリカを中心とするNATO諸国が、人命や人権を無視する蛮行をくり返してきた事実を明らかにしています。そしてそれは、ウクライナ戦争の本質を考える上で、無視できない内容だと思います。

 

 2月の国連安全保障理事会緊急会合で、ケニアのキマニ大使が、ロシアの行動を正当化できないと非難したうえで、”アフリカをさんざん虐げてきた西欧が人権や非暴力の重要性を唱えることには偽善を感じざるを得ない”と主張したと言います。アフリカの多くの国が、同じ思いで、ロシア非難の決議に賛成しなかったのだと思います。だから、やはり戦争をとめることに全力を傾けるべきで、アメリカのウクライナ軍支援の姿勢に同調してはならないと思います。朝日新聞も、根本的に方針転換するべきだと思います。

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                インタビュー 根源的な反戦・平和を語る

 

 チョムスキー証言を日本が妨害

 

チョムスキー いささか個人的な話になりますが、私が東チモール問題について初めて国連で証言したのは二十四年前、1978年のことでした。証言は裏で妨害されていましたが、妨害しようとしていたのは日本の大使館だということがあとでわかりました。

 

辺見 えっ、そんなことがあったのですか。

 

チョムスキー インドネシアの友人たちが行った大量虐殺が告発されるのを防ぎたかったのです。だから日本の行いも、決して誉められたものではない。アメリカだけではないのです。

 とはいえインドネシアの東チモール政策の主な支援者はイギリスとアメリカだった。最後まで支援し続けたのです。一度たりともやめなかった。最後には、ありとあらゆる圧制が行われていたことなど気づかなかったふりです。世論の圧力に負けて、クリントン政権は最終的にはインドネシア軍との公的な関係を断たざるをえなくなった。けれども政府は関係の再構築を欲していた。そこでいわゆる対テロ戦争を利用して、血に飢えたインドネシア軍の将軍たちと再び手を結ぼうとしているのです。彼らは主に日本とアメリカによって、虐殺の責任について西側の調査の手が及ばないよう、守られています。

 ですから、これはももう一つの非常に重要な問題なのです。ただし簡単にはいかないでしょう。例えばオーストラリアでは大きな反対が起きています。そして名前はわかりませんが、オーストラリアの情報部の人がとても重要な文書をリークしました。ついこの数日の間に出てきた文書もあります。それによると、オーストラリアは1998年から99年の虐殺行為を承知していた。 

 

辺見 国連管理下の住民投票のころですね。独立派が圧勝したけれども、いわゆる併合派民兵が発砲、放火、略奪を繰り返し、多国籍軍「東チモール国際軍」が展開を開始した。

 

チョムスキー オーストラリアのマスコミによって明らかになった話は、極めてショッキングです。オーストラリアの情報部が承知しているなら、アメリカの情報部も知っていただろうし、イギリスの情報部も認識していたはずです。アメリカはオーストラリアに大規模な情報収集センターを持っているんですから。ここはあらゆる出来事を把握していたでしょう。つまりビル・クリントンは東チモールで途方もない大量虐殺が行われているのを知りながら、コソボよりひどい状況であるのを知りながら、軍隊を送り、訓練も行っていたのです。

 トニー・ブレアはこれに輪をかけて悪質です。オーストラリアの平和維持軍が駐留を始めたあとも、戦闘機を派遣しているのですから。それが「倫理的外交政策」だというのです。これもまた、知識人にとっては大きな問題です。知識人は「我々の指導者」をトニー・ブレアでもロビン・クック(第一期ブレア政権の外相)でもビル・クリントンでも誰でもいいが、とにかく聖人に見せなければなりません。大量殺戮の手に、完全に意識的に武器を手渡すような類の聖人です。それを二十五年間やってきたのです。

 メディアが取り上げてもいい恰好の材料ですよ、これは。イギリスの新聞を読んで、どのように書かれているか見てみるといい。いや、見るまでもないでしょう。まったく触れられてもいないのだから。

 しかし和解は成立するでしょう。そういうことは大切だ。世界の形勢を少しばかりは変えることになる。しかし大きく変えはしません。

 

 中央アジアでグレートゲーム

 中央アジアはおそらく最も重要な場所ですよ。十九世紀の「グレートゲーム」の再現です。十九世紀、イギリスとロシアは中央アジアまで拡張していき、そこで衝突した。アフガニスタン周辺で、イギリスとロシアが覇権を争って随分戦いました。それが「グレートゲーム」と呼ばれたのです。

 これは新しいグレートゲームです。当事国の顔も違う。イギリスはいまや片隅に追いやられてしまいました。今度の主役はアメリカとロシアと中国です。利害も当時とは異なる。中央アジアの豊富なエネルギー資源をどこが支配下におくか、ということが争点なのです。湾岸地域ほどではないが、

豊富です。日本も関わってきています。

 

辺見 最近、アフガニスタン復興国際会議が東京で行われました。私の考えでは、アフガニスタンの経済的、社会的な復興はたしかに大事なんですけれども、非常に残念だったのは、アメリカによる一方的な軍事攻撃に対しての非難の声、それを問題にする声がなかったことです。逆にいえば、アメリカの一方的な攻撃が、紛争解決のための一つの定式として、国際社会に受け入れられつつある。私はこの定式に反対です。

 

 チョムスキー 一方的な軍事攻撃は新しい方法などではまるでありません。じつに古臭い方法です。イギリスが世界を支配していたころのことを考えてみましょう。イギリスは何をしたか。例えば、第一次世界大戦後、イギリスは弱体化しました。大英帝国全域を直接の兵力で支配することはもはやかなわなくなった。そこでやり方を変えねばならなかった。どのように? ウィンストン・チャーチルが音頭をとったんですよ。彼は陸軍大臣でした。彼はアフガン人とクルド人に対して毒ガスを使うことを推奨しました。なぜならそれが、「生々しい恐怖」を駆り立てるからです。そうやって、完全に制圧できない未開の人々、アフガン人やクルド人を、支配下におこうとしたのです。

 インド省からは反対がありました。毒ガスを使うのは立派なことではないと。チャーチルは激怒しました。「未開人たちに毒ガスを浴びせるのは気分がよくないという心境は理解できん。それが多くのイギリス人の命を救うのだぞ。これは優れた科学の成果なのだ」

 第一次大戦後の話です。毒ガスは残虐の極みですが、クルド人やアフガン人相手ならそうではなかった。当時、空軍力はようやく出はじめたところでした。そこでイギリス軍は空軍力を一般市民に投入することにした。中央アジアの一帯、アフガニスタンやイラクなどを爆撃しはじめたのです。

 当時も軍縮会議はありました。軍縮会議のたびにイギリスが心を砕いたのは、空軍力を市民に行使することに対して、いかなる障害も持ち上がらないようにすることでした。首尾よくやり遂げたとき、イギリスの偉大な政治家ロイド・ジョージは、政府代表を称えて日記に書いた。「ニガーに爆弾を落とす権利は守られなければならない」と。これがロイド・ジョージの姿です。有名な政治家の。そしてウィンストン・チャーチルです。偉大な指導者の。ふたりとも大英帝国のヒーローです。どこか違いがあるでしょうか? 実際のところ、もし時間が許せばフランスのこと、日本のこと、ドイツのことも話したい。大国はいつもこうやって人の顔を正面から蹴飛ばしてきた。何も目新しいことではないんです。だから誰ひとり驚かない。

 

 数百万人の餓死を推定して空爆

(アフガンへの)空爆を始めたのはたしかにアメリカです。ジョン・F・ケネディの話に戻りましょう。ハーバード大学にはケネディ・スクールがある。ここが政府の頭脳です。この大学院は『インターナショナル・セキュリティ(国際安全保障)』 という機関誌を出しています。今月号を見ると、アフガニスタン専門家が記事を書いている。この文章が書かれたのは空爆が始まって一ヶ月後くらいで、戦闘はそのころほとんど終わっていたはずです。この作戦は、数百万のアフガン人を飢餓に追いこむであろうという見積もりの上に行われた、と筆者は書いています。数百万の人々が餓死する可能性があると、前もってわかっていたのです。

 彼らがいまどうなっているか、わかっているでしょうか。いいえ。自分たちの犯罪を調べていないからです。誰ひとり知りません。ヴェトナムで何人が殺されたか、数百万の単位でなら知っています。我々は自らの罪を調査することはしません。負けた国だけが「悪いことをした」といわされる。第二次大戦後の東京裁判が行われたのは、日本が負けたからです。ワシントン裁判などといういうものは開かれませんでした。毒ガスを使ったチャーチルに対する戦争裁判もありませんでした。敗れたときだけ、自らの罪を見つめる。そのように仕向けられるのです。

 しかしいったい何人の人が死んだのか、正確なところを見出すことは誰にもできないでしょう。ただ推定はできます。アメリカ軍は、数百万の人々を死なせることになるという推定のもと、空爆を行った。それをかなり高いところで話し合ったのでしょう。誰か気にかけたでしょうか? いいえ。それが当たり前だから。ヨーロッパとその分家は、何世紀にもわたって、常にそうやって世界を扱ってきました。そして日本もこの半世紀、できる限りそうしてきたのです。

 例えば、フランスを例にとってみましょう。アルジェリア独立戦争の際、フランスの国防相は「我々はいま原住民を撲滅している」といった。これが当たり前でした。ベルギーはおびただしい数の人を殺している。これはことさら驚くような数字ではありません。

 だからアメリカが盛んに空爆するのも驚くにはあたらない。いたって普通のことなのですから。弱い人たち、貧しい人たちをそうやってあしらってきたのです。何もいまさら驚くことではありません。

 

 米英はアフガンに賠償を払え

 アフガン復興の東京会議は資金援助を約束しました。金は現地に届けられたのか? 届いていません。約束はされたけれども届けられてはいない。届けられない理由はいくらでも並べられるでしょう。ただ援助のポーズだけでも、先進国の我々はなんてすばらしいんだろうという、たいそうな宣伝になる。あきれた話です。ロシアとアメリカはアフガニスタンに賠償すべきです。1980年代、この二つの国がアフガニスタンをめちゃくちゃにしました。よってたかって国土を破壊した。アメリカはイスラム過激派テロリストの組織化を援助した。アフガニスタンの利益のためではありません。支援を通して国土を荒廃させ、狂信的な宗教指導者の手に委ねてしまった。こういう場合、援助ではなく補償を支払うべきです。ほんの少しでも誠実さのかけらがあるのなら、援助などと口走らないほうがいい。自分たちのしたことに対して、巨額の賠償を支払うべきなのです。しかしそれは協議項目になかった。

 実際のところ、アメリカが一ドルでも支払うとしたら驚きです。いまアフガニスタンは群雄割拠のころに逆戻りしようとしています。ロシアとアメリカが掃討したあとに、いくつかの軍事勢力が国土を分断したように、そういうふうになりつつある。

 911日のことで人々が何よりショックを受けたのは……あの行為は大変に残虐でした。しかし衝撃的なのはあれだけではない。残虐非道な行為はほかにもたくさんあります。ただ西側で起こったのはあれが初めてというだけのことです。世界のほかの人々に対して、我々がやってきたことなのです。ほかの人々は、我々にあんなことはしなかった。だからショックだったのです。ほかの国の新聞を見ると、かならずしも驚いていません。パナマでは、メディアが残虐行為を批判している例があり、そこでは父親のジョージ・ブッシュの名前が出てきます。1989年、パナマに侵攻したとき、ブッシュはパナマのスラムを空爆させています。2000人あまりの人が犠牲になった。そういうことをよく知っているので、「自分たちがこれまで我々にしてきたことをよく見てみなさい」となる。だからといって残虐さが薄れるというものではないけれども、衝撃は小さくなりますね。世界のどこにでも同様の戦争の話があるんです。

 

辺見 最後の質問です。いまの日本の首相は、ブッシュ政権を、前のクリントン政権より好きらしく、ほとんど運命をともにするようなことをいっています。同時に、日本がずっと大事にしてきた平和憲法を変えようともしています。アメリカのアフガンに対する報復攻撃の際には、インド洋に自衛隊の艦隊を出したり、憲法に真っ向から反する法律をつくったりして、アメリカの意のままに平和的政策を変えようとしています。日本にはいま重大な変化が生じていますが、この点、あなたはどうお考えですか?

 

チョムスキー 日本はこれまでもアメリカ軍国主義に全面的に協力してきました。戦後期の日本の経済復興は、徹頭徹尾、アジア諸国に対する戦争に加担することによっています。朝鮮戦争までは、日本の経済は回復しませんでした。朝鮮に対するアメリカの戦争で、日本は供給国になった。それが日本経済に大いに活を入れたのです。ヴェトナム戦争もまたしかり。アメリカ兵の遺体を収容する袋から武器まで、日本はありとあらゆるものを製造して提供した。そしてインドシナ半島の破壊行為に加担することで国を肥やしていったのです。

 そして沖縄は相変わらず、米軍の一大軍事基地のままです。五十年間、アメリカのアジア地域における戦争に、全面的に関わってきたのです。日本の経済発展の多くは、まずその上に積み上げられたのです。

 五十年前に遡ってみましょう。サンフランシスコで講和条約が調印されました。五十周年を祝ったばかりですね。

 

辺見 昨年九月ですね。サンフランシスコのオペラハウスで五十周年記念式典が開かれ、日本から田中真紀子外相(当時)が出席しました。これには、戦争責任を回避しているというアジアからの非難の声もありまあした。

 

チョムスキー その条約にどこの国が参加して、どこがしなかったか、ご存知ですか? アジアの国は軒並み出ませんでした。コリアは出なかった。中国も出なかった。インドも出なかった。フィリピンも出なかった。出席したのはフランスの植民地と、当時イギリスの植民地だったセイロンとパキスタンだけでした。植民地だけが出席した。なぜか? それは講和条約が、日本がアジアで犯した犯罪の責任をとるようにつくられていなかったからです。日本がすることになった賠償は、アジアに物品を送ること。日本にとっては万々歳です。資金はアメリカが賄ってくれるからです。しかしもちろん、アメリカには支払いをしなければなりませんでした。占領経費やその他の犯罪のつけをアメリカに支払う。アジアの人々には支払わない。アジアに対しては何も提案されませんでした。それは日本が、誰もが知るところの真の戦争犯罪人である天皇のもと、以前のファシズム体制を復活させて国家を再建しようとしていたからです。それも、アメリカの覇権の枠組の中で。

 

辺見 同時に締結された日米安保条約とともにサンフランシスコ体制という、日本の対米盲従構造をつくりました。これが今日もつづいている。

 

チョムスキー 日本はその状態にいたく満足していました。それで富を蓄積することができたからです。日本の戦後復興はこのようにして成された。日本はそこを見つめる必要があります。だがもしも  

憲法を変えるというのなら、たしかに由々しいことではあります。しかし五十年にわたってアジア地域での戦争に貢献してきたことに比べたら、ささいな問題です。

 

辺見 おっしゃっている意味はわかりますが、我々にとってはささいなことではありません。

 

チョムスキー この五十年を含む前の世紀には、日本が記憶に留めておくべきことが数多くあります。何度もいうようですが、他人の犯罪に目をつけるのはたやすい。東京にいて「アメリカ人は何てひどいことをするんだ」といっているのは簡単です。日本の人たちがいましなければならないのは、鏡を覗いてみることです。そうなるとそれほど安閑としてはいられないのではないですか。

2002315日、米マサチューセッツ州ケンブリッジのマサチューセッツ工科大学にて)

 

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