6月15日朝日新聞「時事小言」に、東京大名誉教授の政治学者・藤原帰一氏が、下記のようなことを書いています。
”・・・東部地域に主力を集めたロシア軍は開戦時の劣勢をはね返し、ルハンスク州を制圧する勢いだ。短期戦による戦勝に失敗したロシアは、戦争の長期化を想定した巻き返しに転じ、成果を上げようとしている。
だがウクライナが負けたわけではない。そもそもロシアは戦争の行方を定めるような戦果はまだ手にしていない。時間が経過すれば北大西洋条約機構(NATO)諸国の提供する高性能兵器によってウクライナがロシア軍に対して優位となることも期待できるだけに、侵略者への屈服ではなく侵略に持ちこたえることがウクライナ側の目標になるだろう。
将来の戦況が有利だと双方が考えるとき、戦争終結の展望はない。今後ドイツやフランスなどの諸国は欧州連合(EU)加盟交渉を誘い水として停戦交渉の再開をウクライナに提案するものと見られるが、停戦交渉に応じれば、ロシアが既に合併したクリミアや東部地域の自称人民共和国だけでなく2月の侵攻後に制圧した地域の帰属さえ議題になりかねない。侵略と殺戮を加えた側への譲歩をウクライナ住民が受け入れる可能性は低い以上、極度の戦況の変化がない限り、外交交渉によって停戦が実現する見込みは少ない。
・・・”
私は、人が今殺し合っているというのに、どうしてこういうことを考えるのだろうと思いました。そして、藤原教授も、やはり停戦による話し合いの解決ではなく、アメリカの意向を受け入れて、ロシアの軍事的敗北による問題解決を期待しておられるのかも知れないと思いました。
現在、日本のメディアに登場する多くの知識人の主張に共通しているのは、ロシアのウクライナ侵攻から話を始めること、言い換えれば、侵攻に至る経緯はほとんど問題にしないことだと思います。侵攻前に、プーチン大統領が国民に語りかけた演説に対する分析や考察も、目にしたことがありません。きちんと受けとめて考えれば、平和的に解決することもできるのではないか、と私は思います。
また、ウクライナに対するアメリカの関わり方や、アメリカの意図の分析・考察などがほとんどないことも共通していると思います。それは、平和的解決の放棄に等しいように思います。
私は、メディアに登場する多くの知識人が、ロシアのウクライナ侵攻や軍事攻撃ばかりを問題にし、侵攻前のNATOによるロシアに対する軍事的威嚇を無視していることが、とても気になるのです。
また、50億ドルを費やし、アメリカがウクライナのヤヌコビッチ政権転覆に深く関わった事実や、その後のウクライナ政権との関わりも無視していると思います。米国務省のビクトリア・ヌーランド(オバマ大統領上級補佐官)が講演で、”我々は、ウクライナの繁栄、安全、民主主義を保障するため(現実は政権転覆)に50億ドル以上を投資してきた”と語り、元下院議員のロン・ポール氏が、”そういうことが許されるのか”と非難したという事実に目をつぶっていいのでしょうか。
ヤヌコーヴィチ大統領を失脚させることになったデモが、「ウクライナ騒乱」と呼ばれるように、実は平和的なものではなく、極めて悪質で暴力的なものであったこと、また、デモの指導者が報酬を得ていたことも知られるようになっていたといいますが、そういうことに目をつぶると、将来に禍根を残すことになるのではないでしょうか。ブルドーザーで強引に警官隊を押しのけたり、火焔瓶を投げつけたり、警官隊に化学薬品を吹き付けたりする、kla.tvの動画(https://www.kla.tv/21962)を無視してよいのでょうか。
さらに、ウクライナ戦争とノルドストリーム2の関連の問題なども無視していると思います。アメリカはウクライナ戦争によって、ヨーロッパに対するロシアの影響力拡大を阻止し、ロシアを弱体化させようとしていることは否定できないと思います。だからその目的を達成するために、話し合いをしないのだと思います。
だからやはり、日本のメディアに登場する人たちは、アメリカの意向を受け入れて、ロシアの軍事的敗北による問題解決を期待しているように思います。
事実はどうあれ、法律はどうあれ、アメリカの意向に従うというような姿勢を、私は受け入れることができません。下記は、NHKのサイトからプーチン大統領演説をコピーし貼り付けたものです。(空白を減らすために、いろいろなところで、行かえや段落は変更しています)。
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プーチン大統領演説 2022年2月24日
NATOの“東方拡大”への危機感
親愛なるロシア国民の皆さん、親愛なる友人の皆さん。
きょうは、ドンバス(=ウクライナ東部のドネツク州とルガンスク州)で起きている悲劇的な事態、そしてロシアの重要な安全保障問題に、改めて立ち返る必要があると思う。
まずことし2月21日の演説で話したことから始めたい。それは、私たちの特別な懸念や不安を呼び起こすもの、毎年着実に、西側諸国の無責任な政治家たちが我が国に対し、露骨に、無遠慮に作り出している、あの根源的な脅威のことだ。つまり、NATOの東方拡大、その軍備がロシア国境へ接近していることについてである。
この30年間、私たちが粘り強く忍耐強く、ヨーロッパにおける対等かつ不可分の安全保障の原則について、NATO主要諸国と合意を形成しようと試みてきたことは、広く知られている。
私たちからの提案に対して、私たちが常に直面してきたのは、冷笑的な欺まんと嘘、もしくは圧力や恐喝の試みだった。
その間、NATOは、私たちのあらゆる抗議や懸念にもかかわらず、絶えず拡大している。軍事機構は動いている。繰り返すが、それはロシアの国境のすぐ近くまで迫っている。西側諸国が打ち立てようとした“秩序”は混乱をもたらしてきた なぜ、このようなことが起きているのか。
自分が優位であり、絶対的に正しく、なんでもしたい放題できるという、その厚かましい態度はどこから来ているのか。私たちの国益や至極当然な要求に対する、無配慮かつ軽蔑的な態度はどこから来ているのか。答えは明白。すべては簡単で明瞭だ。
1980年代末、ソビエト連邦は弱体化し、その後、完全に崩壊した。当時起きたことの一連の流れは、今でも私たちにとってよい教訓となっている。それは、権力や意志のまひというものが、完全なる退廃と忘却への第一歩であるということをはっきりと示した。当時、私たちはしばらく自信を喪失し、あっという間に世界のパワーバランスが崩れたのだ。
これにより、従来の条約や協定には、事実上、効力がないという事態になった。説得や懇願ではどうにもならない。覇権、権力者が気に入らないことは、古風で、時代遅れで、必要ないと言われる。
それと反対に、彼らが有益だと思うことはすべて、最後の審判の真実かのように持ち上げられ、どんな代償を払ってでも、粗暴に、あらゆる手を使って押しつけてくる。賛同しない者は、ひざを折られる。
私が今話しているのは、ロシアに限ったことではないし、懸念を感じているのは私たちだけではない。これは国際関係のシステム全体、時にアメリカの同盟諸国にまでも関わってくるものだ。
ソビエト連邦の崩壊後、事実上の世界の再分割が始まり、これまで培われてきた国際法の規範が、そのうち最も重要で基本的なものは、第二次世界大戦の結果採択され、その結果を定着させてきたものであるが、それが、みずからを冷戦の勝者であると宣言した者たちにとって邪魔になるようになってきた。もちろん、実務において、国際関係において、また、それを規定するルールにおいては、世界情勢やパワーバランスそのものの変化も考慮しなければならなかった。しかしそれは、プロフェッショナルに、よどみなく、忍耐強く、そしてすべての国の国益を考慮し、尊重し、みずからの責任を理解したうえで実行すべきだった。しかしそうはいかなかった。
あったのは絶対的な優位性と現代版専制主義からくる陶酔状態であり、さらに、一般教養のレベルの低さや、自分にとってだけ有益な解決策を準備し、採択し、押しつけてきた者たちの高慢さが背景にあった。事態は違う方向へと展開し始めた。
例を挙げるのに遠くさかのぼる必要はない。まず、国連安保理の承認なしに、ベオグラードに対する流血の軍事作戦を行い、ヨーロッパの中心で戦闘機やミサイルを使った。数週間にわたり、民間の都市や生活インフラを、絶え間なく爆撃した。
この事実を思い起こさなければならない。というのも、西側には、あの出来事を思い出したがらない者たちがいるからだ。私たちがこのことに言及すると、彼らは国際法の規範について指摘するのではなく、そのような必要性があると思われる状況だったのだと指摘したがる。
その後、イラク、リビア、シリアの番が回ってきた。リビアに対して軍事力を不法に使い、リビア問題に関する国連安保理のあらゆる決定を曲解した結果、国家は完全に崩壊し、国際テロリズムの巨大な温床が生まれ、国は人道的大惨事にみまわれ、いまだに止まらない長年にわたる内戦の沼にはまっていった。リビアだけでなく、この地域全体の数十万人、数百万人もの人々が陥った悲劇は、北アフリカや中東からヨーロッパへ難民の大規模流出を引き起こした。
シリアにもまた、同じような運命が用意されていた。シリア政府の同意と国連安保理の承認が無いまま、この国で西側の連合が行った軍事活動は、侵略、介入にほかならない。ただ、中でも特別なのは、もちろん、これもまた何の法的根拠もなく行われたイラク侵攻だ。その口実とされたのは、イラクに大量破壊兵器が存在するという信頼性の高い情報をアメリカが持っているとされていることだった。それを公の場で証明するために、アメリカの国務長官が、全世界を前にして、白い粉が入った試験管を振って見せ、これこそがイラクで開発されている化学兵器だと断言した。後になって、それはすべて、デマであり、はったりであることが判明した。イラクに化学兵器など存在しなかったのだ。
信じがたい驚くべきことだが、事実は事実だ。国家の最上層で、国連の壇上からも、うそをついたのだ。その結果、大きな犠牲、破壊がもたらされ、テロリズムが一気に広がった。世界の多くの地域で、西側が自分の秩序を打ち立てようとやってきたところでは、ほとんどどこでも、結果として、流血の癒えない傷と、国際テロリズムと過激主義の温床が残されたという印象がある。
私が話したことはすべて、最もひどい例のいくつかであり、国際法を軽視した例はこのかぎりではない。アメリカは“うその帝国”NATOが1インチも東に拡大しないと我が国に約束したこともそうだ。繰り返すが、だまされたのだ。俗に言う「見捨てられた」ということだ。確かに、政治とは汚れたものだとよく言われる。そうかもしれないが、ここまでではない。ここまで汚くはない。
これだけのいかさま行為は、国際関係の原則に反するだけでなく、何よりもまず、一般的に認められている道徳と倫理の規範に反するものだ。正義と真実はどこにあるのだ?あるのはうそと偽善だけだ。ちなみに、アメリカの政治家、政治学者、ジャーナリストたち自身、ここ数年で、アメリカ国内で真の「うその帝国」ができあがっていると伝え、語っている。これに同意しないわけにはいかない。まさにそのとおりだ。
しかし謙遜する必要はない。アメリカは依然として偉大な国であり、システムを作り出す大国だ。
その衛星国はすべて、おとなしく従順に言うことを聞き、どんなことにでも同調するだけではない。
それどころか行動をまねし、提示されたルールを熱狂的に受け入れてもいる。だから、アメリカが自分のイメージどおりに形成した、いわゆる西側陣営全体が、まさに「うその帝国」であると、確信を持って言えるのには、それなりの理由があるのだ。
我が国について言えば、ソビエト連邦崩壊後、新生ロシアが先例のないほど胸襟を開き、アメリカや他の西側諸国と誠実に向き合う用意があることを示したにもかかわらず、事実上一方的に軍縮を進めるという条件のもと、彼らは我々を最後の一滴まで搾り切り、とどめを刺し、完全に壊滅させようとした。まさに90年代、2000年代初頭がそうで、いわゆる集団的西側諸国が最も積極的に、ロシア南部の分離主義者や傭兵集団を支援していた時だ。当時、最終的にコーカサス地方の国際テロリズムを断ち切るまでの間に、私たちはどれだけの犠牲を払い、どれだけの損失を被ったことか。どれだけの試練を乗り越えなければならなかったか。私たちはそれを覚えているし、決して忘れはしない。
実際のところ、つい最近まで、私たちを自分の利益のために利用しようとする試み、私たちの伝統的な価値観を破壊しようとする試み、私たちロシア国民を内側からむしばむであろう偽りの価値観や、すでに彼らが自分たち側の国々に乱暴に植え付けている志向を私たちに押しつけようとする試みが続いていた。それは、人間の本性そのものに反するゆえ、退廃と退化に直接つながるものだ。こんなことはありえないし、これまで誰も上手くいった試しがない。そして今も、成功しないだろう。
色々あったものの、2021年12月、私たちは、改めて、アメリカやその同盟諸国と、ヨーロッパの安全保障の原則とNATO不拡大について合意を成立させようと試みた。すべては無駄だった。アメリカの立場は変わらない。彼らは、ロシアにとって極めて重要なこの問題について私たちと合意する必要があるとは考えていない。自国の目標を追い求め、私たちの国益を無視している。そしてもちろん、こうした状況下では、私たちは疑問を抱くことになる。「今後どうするべきか。何が起きるだろうか」と。
私たちは、1940年から1941年初頭にかけて、ソビエト連邦がなんとか戦争を止めようとしていたこと、少なくとも戦争が始まるのを遅らせようとしていたことを歴史的によく知っている。そのために、文字どおりギリギリまで潜在的な侵略者を挑発しないよう努め、避けられない攻撃を撃退するための準備に必要な、最も必須で明白な行動を実行に移さない、あるいは先延ばしにした。
最後の最後で講じた措置は、すでに壊滅的なまでに時宜を逸したものだった。その結果、1941年6月22日、宣戦布告なしに我が国を攻撃したナチス・ドイツの侵攻に、十分対応する準備ができていなかった。敵をくい止め、その後潰すことはできたが、その代償はとてつもなく大きかった。
大祖国戦争を前に、侵略者に取り入ろうとしたことは、国民に大きな犠牲を強いる過ちであった。
最初の数か月の戦闘で、私たちは、戦略的に重要な広大な領土と数百万人の人々を失った。私たちは同じ失敗を2度は繰り返さないし、その権利もない。
世界覇権を求める者たちは、公然と、平然と、そしてここを強調したいのだが、何の根拠もなく、私たちロシアを敵国と呼ぶ。確かに彼らは現在、金融、科学技術、軍事において大きな力を有している。それを私たちは知っているし、経済分野において常に私たちに対して向けられている脅威を客観的に評価している。そしてまた、こうした厚かましい恒久的な恐喝に対抗する自国の力についても。
繰り返すが、私たちはそうしたことを、幻想を抱くことなく、極めて現実的に見ている。
軍事分野に関しては、現代のロシアは、ソビエトが崩壊し、その国力の大半を失った後の今でも、世界で最大の核保有国の1つだ。そしてさらに、最新鋭兵器においても一定の優位性を有している。
この点で、我が国への直接攻撃は、どんな潜在的な侵略者に対しても、壊滅と悲惨な結果をもたらすであろうことに、疑いの余地はない。
また、防衛技術などのテクノロジーは急速に変化している。この分野における主導権は、今もこれからも、目まぐるしく変わっていくだろう。しかし、私たちの国境に隣接する地域での軍事開発を許すならば、それは何十年も先まで、もしかしたら永遠に続くことになるかもしれないし、ロシアにとって増大し続ける、絶対に受け入れられない脅威を作り出すことになるだろう。NATOによるウクライナ領土の軍事開発は受け入れがたい。すでに今、NATOが東に拡大するにつれ、我が国にとって状況は年を追うごとにどんどん悪化し、危険になってきている。しかも、ここ数日、NATOの指導部は、みずからの軍備のロシア国境への接近を加速させ促進する必要があると明言している。言いかえれば、彼らは強硬化している。起きていることをただ傍観し続けることは、私たちにはもはやできない。
私たちからすれば、それは全く無責任な話だ。NATOが軍備をさらに拡大し、ウクライナの領土を軍事的に開発し始めることは、私たちにとって受け入れがたいことだ。
もちろん、問題はNATOの組織自体にあるのではない。それはアメリカの対外政策の道具にすぎない。問題なのは、私たちと隣接する土地に、言っておくが、それは私たちの歴史的領土だ、そこに、私たちに敵対的な「反ロシア」が作られようとしていることだ。それは、完全に外からのコントロール下に置かれ、NATO諸国の軍によって強化され、最新の武器が次々と供給されている。アメリカとその同盟諸国にとって、これはいわゆるロシア封じ込め政策であり、明らかな地政学的配当だ。一方、我が国にとっては、それは結局のところ、生死を分ける問題であり、民族としての歴史的な未来に関わる問題である。誇張しているわけではなく、実際そうなのだ。これは、私たちの国益に対してだけでなく、我が国家の存在、主権そのものに対する現実の脅威だ。それこそ、何度も言ってきた、レッドラインなのだ。彼らはそれを超えた。
そんな中、ドンバスの情勢がある。2014年にウクライナでクーデターを起こした勢力が権力を乗っ取り、お飾りの選挙手続きによってそれを(訳注:権力を)維持し、紛争の平和的解決を完全に拒否したのを、私たちは目にした。8年間、終わりの見えない長い8年もの間、私たちは、事態が平和的・政治的手段によって解決されるよう、あらゆる手を尽くしてきた。すべては徒労に帰した。先の演説でもすでに述べたように、現地で起きていることを同情の念なくして見ることはできない。
今やもう、そんなことは到底無理だ。この悪夢を、ロシアしか頼る先がなく、私たちにしか希望を託すことのできない数百万人の住民に対するジェノサイド、これを直ちに止める必要があったのだ。
まさに人々のそうした願望、感情、痛みが、ドンバスの人民共和国を承認する決定を下す主要な動機となった。
さらに強調しておくべきことがある。NATO主要諸国は、みずからの目的を達成するために、ウクライナの極右民族主義者やネオナチをあらゆる面で支援している。彼らは(訳注:民族主義者ら)、クリミアとセバストポリの住民が、自由な選択としてロシアとの再統合を選んだことを決して許さないだろう。当然、彼らはクリミアに潜り込むだろう。それこそドンバスと同じように。戦争を仕掛け、殺すために。大祖国戦争の際、ヒトラーの片棒を担いだウクライナ民族主義一味の虐殺者たちが、無防備な人々を殺したのと同じように。彼らは公然と、ロシアの他の数々の領土も狙っていると言っている。全体的な状況の流れや、入ってくる情報の分析の結果が示しているのは、ロシアとこうした勢力との衝突が不可避だということだ。それはもう時間の問題だ。彼らは準備を整え、タイミングをうかがっている。今やさらに、核兵器保有までも求めている。そんなことは絶対に許さない。前にも述べたとおり、ロシアは、ソビエト連邦の崩壊後、新たな地政学的現実を受け入れた。私たちは、旧ソビエトの空間に新たに誕生したすべての国々を尊重しているし、また今後もそのようにふるまうだろう。
それらの(訳注:旧ソビエト諸国の)主権を尊重しているし、今後も尊重していく。その例として挙げられるのが、悲劇的な事態、国家としての一体性への挑戦に直面したカザフスタンに対して、私たちが行った支援だ。
しかしロシアは、今のウクライナから常に脅威が発せられる中では、安全だと感じることはできないし、発展することも、存在することもできない。
2000年から2005年にかけ、私たちは、コーカサス地方のテロリストたちに反撃を加え、自国の一体性を守り抜き、ロシアを守ったことを思い出してほしい。2014年には、クリミアとセバストポリの住民を支援した。2015年、シリアからロシアにテロリストが入り込んでくるのを確実に防ぐため、軍を使った。それ以外、私たちにはみずからを守るすべがなかった。ウクライナ東部の親ロシア派の武装勢力からの支援要請 今もそれと同じことが起こっている。きょう、これから使わざるをえない方法の他に、ロシアを、そしてロシアの人々を守る方法は、私たちには1つも残されていない。この状況下では、断固とした素早い行動が求められている。
ドンバスの人民共和国はロシアに助けを求めてきた。これを受け、国連憲章第7章51条と、ロシア安全保障会議の承認に基づき、また、本年2月22日に連邦議会が批准した、ドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国との友好および協力に関する条約を履行するため、特別な軍事作戦を実施する決定を下した。その目的は、8年間、ウクライナ政府によって虐げられ、ジェノサイドにさらされてきた人々を保護することだ。そしてそのために、私たちはウクライナの非軍事化と非ナチ化を目指していく。また、ロシア国民を含む民間人に対し、数多くの血生臭い犯罪を犯してきた者たちを裁判にかけるつもりだ。
ただ、私たちの計画にウクライナ領土の占領は入っていない。私たちは誰のことも力で押さえつけるつもりはない。同時に、ソビエトの全体主義政権が署名した文書は、それは第二次世界大戦の結果を明記したものだが、もはや履行すべきではないという声を、最近、西側諸国から聞くことが多くなっている。さて、それにどう答えるべきだろうか。
第二次世界大戦の結果は、ナチズムに対する勝利の祭壇に、我が国民が捧げた犠牲と同じように、神聖なものだ。しかしそれは、戦後数十年の現実に基づいた、人権と自由という崇高な価値観と矛盾するものではない。また、国連憲章第1条に明記されている民族自決の権利を取り消すものでもない。
ソビエト連邦が誕生した時も、第二次世界大戦後も、今のウクライナの領土に住んでいた人々に、どのような生活を送っていきたいかと聞いた人など1人もいなかったことを思い出してほしい。
私たちの政治の根底にあるのは、自由、つまり、誰もが自分と自分の子どもたちの未来を自分で決めることのできる選択の自由だ。そして、今のウクライナの領土に住むすべての人々、希望するすべての人々が、この権利、つまり、選択の権利を行使できるようにすることが重要であると私たちは考えている。
これに関し、ウクライナの人々にも言いたい。2014年、ロシアは、あなた方自身が「ナチス」と呼ぶ者たちから、クリミアとセバストポリの住民を守らなければならなかった。クリミアとセバストポリの住民は、自分たちの歴史的な祖国であるロシアと一緒になることを、自分たちで選択した。そして私たちはそれを支持した。
繰り返すが、そのほかに道はなかった。目的はウクライナの“占領”ではなく、ロシアを守るため
現在起きていることは、ウクライナ国家やウクライナ人の利益を侵害したいという思いによるものではない。それは、ウクライナを人質にとり、我が国と我が国民に対し利用しようとしている者たちから、ロシア自身を守るためなのだ。
繰り返すが、私たちの行動は、我々に対して作り上げられた脅威、今起きていることよりも大きな災難に対する、自己防衛である。どんなにつらくとも、これだけは分かってほしい。そして協力を呼びかけたい。できるだけ早くこの悲劇のページをめくり、一緒に前へ進むために。
私たちの問題、私たちの関係を誰にも干渉させることなく、自分たちで作り上げ、それによって、あらゆる問題を克服するために必要な条件を生み出し、国境が存在するとしても、私たちが1つとなって内側から強くなれるように。私は、まさにそれが私たちの未来であると信じている。
ウクライナ軍の軍人たちにも呼びかけなければならない。親愛なる同志の皆さん。あなたたちの父、祖父、曽祖父は、今のネオナチがウクライナで権力を掌握するためにナチと戦ったのではないし、私たち共通の祖国を守ったのでもない。あなた方が忠誠を誓ったのは、ウクライナ国民に対してであり、ウクライナを略奪し国民を虐げている反人民的な集団に対してではない。その(訳注:反人民的な政権の)犯罪的な命令に従わないでください。直ちに武器を置き、家に帰るよう、あなた方に呼びかける。
はっきりさせておく。この要求に応じるウクライナ軍の軍人はすべて、支障なく戦場を離れ、家族の元へ帰ることができる。
もう一度、重ねて強調しておく。起こりうる流血のすべての責任は、全面的に、完全に、ウクライナの領土を統治する政権の良心にかかっている。
さて、今起きている事態に外から干渉したい思いに駆られているかもしれない者たちに対し、言っておきたい大変重要なことがある。私たちに干渉しようとする者は誰でも、ましてや我が国と国民に対して脅威を作り出そうとする者は、知っておくべきだ。ロシアは直ちに対応し、あなた方を、歴史上直面したことのないような事態に陥らせるだろうということを。私たちは、あらゆる事態の展開に対する準備ができている。そのために必要な決定はすべて下されている。私のことばが届くことを願う。
親愛なるロシア国民の皆さん。国家や国民全体の幸福、存在そのもの、その成功と存続は、常に、文化、価値観、祖先の功績と伝統といった強力で根幹的なシステムを起源とするものだ。そしてもちろん、絶えず変化する生活環境に素早く順応する能力や、社会の団結力、前へ進むために力を1つに集結する用意ができているかどうかに直接依存するものだ。力は常に必要だ。どんな時も。
しかし力と言っても色々な性質のものがある。冒頭で述べた「うその帝国」の政治の根底にあるのは、何よりもまず、強引で直接的な力だ。そんな時、ロシアではこう言う。「力があるなら知性は必要ない」と。
私たちは皆、真の力とは、私たちの側にある正義と真実にこそあるのだということを知っている。
もしそうだとしたら、まさに力および戦う意欲こそが独立と主権の基礎であり、その上にこそ私たちの未来、私たちの家、家族、祖国をしっかりと作り上げていくことができる。このことに同意しないわけにはいかない。
親愛なる同胞の皆さん。自国に献身的なロシア軍の兵士および士官は、プロフェッショナルに勇敢にみずからの義務を果たすだろうと確信している。あらゆるレベルの政府、経済や金融システムや社会分野の安定に携わる専門家、企業のトップ、ロシア財界全体が、足並みをそろえ効果的に動くであろうことに疑いの念はない。すべての議会政党、社会勢力が団結し愛国的な立場をとることを期待する。
結局のところ、歴史上常にそうであったように、ロシアの運命は、多民族からなる我が国民の信頼できる手に委ねられている。それはつまり、下された決定が実行され、設定された目標が達成され、我が祖国の安全がしっかりと保証されるということだ。あなたたちからの支持と、祖国愛がもたらす無敵の力を信じている。