戦後長く日本の政治を主導してきた自由民主党は、GHQの「逆コース」といわれる政策転換によって、公職追放を解除され復活した戦争指導層の考え方や思いを深く受け継いでいる政党だと思います。
戦前、国民に「鬼畜米英」を強制しながら、戦後は、アメリカに追随し、あたかも独立国家としての主権を自ら放棄しているかのようなアメリカ従属を続けています。だから私は、自由民主党が法に基づいて、日本国民の生命・自由および幸福追求の権利を保障するための政治をやっているとは思えません。
4割に満たない得票数で、6割以上の議席を獲得するという選挙制度や欺瞞的な権力の行使によって政権を維持し続け、自らに都合のよい政治を続けてきていると思います。
先日、朝日新聞は、西村経済産業相について、経産省職員が作成した出張時の対応マニュアルを入手し、公表しました。その帰宅時の対応に関する部分には、”「弁当購入部隊とサラダ購入部隊の二手に分かれて対応」とあり、発射時刻の20~30分前には駅に到着していることが必要”などとありました。国家公務員が公僕であることをすっかり忘れ、あたかも大名に仕える家来のように、西村大臣の身の回りのことに気を使っていることがよくわかりました。
これは、安倍政権のときに「内閣人事局」が発足し、事実上、各省幹部の人事権を掌握する体制を整えた結果、政と官の関係が歪められ、多くの官僚が、官邸の意向を忖度するようになったからだと思います。安倍元首相による官僚支配体制のシステム構築によって、優秀な日本の官僚の堕落と腐敗が一気に進んだと言っても言い過ぎではないように思います。
だから私は、自由民主党が、私利私欲にまみれた政治を続けてきたとしか思えないのです。
同じように、私は、アメリカから大量の武器を買い込む蔡英文総統も、台湾の人たちの思いや利益を代表しているとは思えません。先月ペロシ米下院議長が訪台しましたが、その後、バイデン政権は、再び、台湾に対する、約11億ドル(1500億円)にのぼる武器の売却を承認しました。
これは、「中国は一つであり、台湾は中国の一部である」とした米中共同宣言(上海コミュニケ)に基づけば、不当な内政干渉にあたると思います。中国と微妙な関係にある台湾に対する高度の武器の大量売却は、民主主義国のやることではないと思います。
蔡英文総統はもともと民進党の政治家なので、台湾人(本省人)の思いを受け継いでいるはずですが、アメリカからの大量の武器の購入は、多くの台湾人(本省人)の思いとは違っているように思います。
大部分の台湾人(本省人)は、中国大陸との経済関係が切断されたり、戦争になったりしては大変という現実的な判断から、「現状維持」を望んでいることは、台湾行政院の大陸委員会が行った世論調査でもはっきり示されていると思います。だから、あたかも中国が敵であるかのように位置付け、アメリカから大量の武器を購入することは、多くの台湾人(本省人)の望んでいることに反するものだと思います。
多くの台湾人(本省人)に受け継がれているのが、中華人民共和国に対する敵対意識ではなく、台湾人(本省人)を差別し、抑圧した蒋介石国民党政権の人たち、すなわち大陸人(外省人)に対する敵対意識であることは、下記のアミ族青年(バスの運転手)の話でよくわかります。
すでに乗車していた台湾人(本省人)を威嚇して下車させ、暴力をふるって出発を命じた国民党軍の兵士を乗せたアミ族の青年が、その兵士たちを道連れに、断崖から海につっこんだという話が、日本の特攻精神とともに語り伝えられている事実は見逃せないと思います。
だから、 台湾人(本省人)を差別し、抑圧した蒋介石国民党政権を支援したアメリカから武器を購入し、中華人民共和国に敵対するような政策を進めることに違和感を感じるのです。
さらに、アメリカが、現在も外交上「一つの中国」政策を堅持し、正式な国交も、台湾とではなく中国と結んでいるにもかかわらず、先日、ジョー・バイデン米大統領が、”台湾を軍事的に防衛するのか”と記者から問われ、「イエス」と答えたという報道にも驚きました。公然と内政に干渉することを宣言したに等しいと思います。
最近、中国と台湾の関係が緊張状態にあるにもかかわらず、多くの台湾人が比較的平静を保っていることを示す調査結果があるといいます。それは昨年、台湾民意基金会が、「いずれ中国と戦争が起こる」と思うか質問したところ、回答者のほぼ3分の2(64.3%)が「あまりそう思わない」、「まったくそう思わない」と答えたというものです。
台湾のほとんどの人が「台湾人」を自認しており、中国大陸の人とは明確に異なるアイデンティティーを持っていることも明らかにされています。
”台湾行政院の大陸委員会が昨年9月に行った世論調査では、「広義の現状維持」を望む人は85.4%を占めている”ということです。
だから最近の中華人民共和国(中国)と台湾の緊張状態は、やはり、中国の急成長と一帯一路の政策による影響力拡大によって、自らの覇権と利益が危うくなりつつあるアメリカによってもたらされたものだと、私は思います。
アメリカは、台湾やウイグル自治区の人権問題をきっかけに、中国を孤立化させ弱体化させようと動いているように思うのです。
下記は、「非情城市の人びと 台湾と日本のうた」田村志津枝(晶文社)から、「2 二二八事件の暗い影」の「アミ族青年の特攻精神」を抜萃しました。
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2 二二八事件の暗い影
アミ族青年の特攻精神
去りぎわに、塀のそばで小さな台を並べて売っているテープを買った。鍾逸人(ジョン・イーレン)の「二・二八について語る」という講演を録音したものだ。 鍾逸人は『辛酸六十年』という、日本の植民地時代から戦後にいたる苦悩を語った本の著者で、二・二八事件のとき、台湾人を率いた二十七部隊の部隊長だったという。彼のような特別の立場にいた人だけではなく、人々は二・二八事件について重い口をひらきはじめている。
四川料理をたらふく食べたあと、阿東(アトン)の部屋で数人の友人と一緒にテープを聞いてみた。日本の敗戦により、1945年に祖国中国に復帰できるのがどれほどうれしかったかが語られていた。その後、その気持がしだいに裏切られていく。テープは全部台湾語で、ところどころに夏目漱石とか、猿も木から落ちる、などと流暢な日本語が突然はさまる。聞く者の注意をそらさせない、たくみな語り口だ。阿東が、私のためにすばやく北京語の説明を入れてくれ、私は日本語の部分を説明した。
祖国復帰の喜びもつかの間、新しい支配者の横暴に不満が鬱積していく。二・二八事件にいたるまでのいくつかの小さい事件の話がつづいた。そのなかに、アミ族事件というのがあった。
<終戦当時は、列車は台北から蘇澳(スーアオ)までで、そこから花蓮(ホアリエン)までのバスの便もあてにならなかった。乗客は一昼夜も待ってやっと乗れるというありさまだった。あるとき、苦労して手に入れた切符をもった乗客が、バスのなかで発射を持っていた。すると、、中国兵がいきなり乗りこんできて銃で台湾人乗客をおどして降ろした。車内ではやつらが、一人でいくつもの座席を占領し、椅子に足を投げ出して高笑いだ。徹夜してくたくたになっていた乗客たちは怒り心頭に発した。「豚野郎、おぼえてろ!」
バスの運転手は、日本の軍隊で特攻精神をたたきこまれたアミ族の青年であった。目をぎんぎん光らせ、この情景に耐えた。中国兵たちは、わがもの顔で、運転手にむかって「はやくバスを出せ」とどなり、揚げ句はげんこつの催促だ。アミ族の運転手は、きっとにらみかえすや急発進して中国兵をなぎはらうように尻もちをつかせ、なおもスピードをあげた。走った、走った、走りに走った。やがて前方に断崖が見えてきた。豚野郎たちは青くなった。それでもバスはスピードを落とさず、走りに走り、人も車ももろとも崖から海にまっさかさま。アミ族青年は、日本の軍隊でたたきこまれた特攻隊精神を実行したのだ。この話はたちまち全島に伝わり、みなおおいに感激した。
日本語をしゃべらぬ阿東は、テープをまねたのかあるいは前から知っていたのか、北京語の説明のあいまに「特攻隊」と日本語で言ったとき、一瞬、沈黙があたりを支配した。私がいるせいなのか、それともほかの理由か、よくわからなかった。
阿東は日本の植民地支配の名残りや、いいきになってのさばってくる日本人には、激しい憎悪をあらわにする。台湾の青年が、たった一人で中国人支配者に反抗した起動力は、日本軍でたたきこまれた特攻精神だったと、特攻精神をあたかも称讃するようなテープの言葉が、阿東を怒らせたのか。しかもその青年は、台湾社会のなかでも差別を受けているアミ族だ。先住少数民族は、日本の植民地時代には、討蕃あるいは理蕃事業の名のもとに、居住地区への侵略を受け、従属を強要された。それが、太平洋戦争の勃発後は、一転して同胞扱いされ、「高砂義勇隊」として南方作戦に動員されて危険にさらされた。1974年、戦後30年ぶりにインドネシアのモロタイ島で発見された元皇軍兵士、中村輝夫(アミ族名はスニオン、中国名は李光輝)さんも、数多い犠牲者の一例だ。
テープの話は、二・二八事件のなまなましい実相にすすんでいった。テープを口うつしに北京語に変えながら、阿東は思いつめたときのクセで、青ざめた無表情になっていった。彼の胸中を去来するのは何だったのか。日本の植民地時代に生まれ育って、軍隊の経験もあり、だが家の中では一貫して絶対に日本語はしゃべらないという父親の姿なのか。あるいは、同世代の友人たちをもいまだに暗くおおっている、きびしい抑圧のことなのか。テープを最後まで聞きおえたときには、せっかく愉快に飲んだ紹興酒の酔いもすっかりさめてしまった。
それまでに政治に無縁だった葉菊蘭(イエジュラン)は、12月はじめの選挙でみごとに当選を果たした。民主進歩党は大躍進をとげた。台湾の政治は国民党と民進党の二政党時代にむけて一歩を踏みだしたと、阿東が送ってくれた台湾の雑誌に書かれていた。