エリザベス女王の死後、毎日毎日、英国王室に関わる報道を見せつけられ、うんざりしています。何か政治的意図があるようにも思います。
ふり返れば、大英帝国は、全盛期には地球上の陸地と人口の4分の1を支配下に置いたといわれています。そしてその一部が、今なお、イギリス連邦を構成していますが、偉大な大英帝国時代を懐かしむかのごときエリザベス女王の盛大な国葬と、また、それを羨むかのごとき日本の報道機関の眼差しが気になるのです。
英国王室ジャーナリストと言われるような人が出てきて、英国王室の伝統をあれやこれや説明する意味は、どこにあるのだろうと思います。
大英帝国の繁栄は、多くの植民地から利益を吸い上げ、収奪することによってもたらされたのではないでしょうか。私は、そのことを忘れてはならないと思うのです。
だから、英国王室の伝統をあれやこれや話すのではなく、ウクライナ戦争の停戦・和解の話が、なぜ進まないのかを追求し、どのようにすべきかを提起するような報道をしてほしいのです。
前回は、アメリカがメキシコに莫大な権益を保持し、その権益を守り抜くために、ウエルタ独裁政権の誕生を歓迎・支援したことを「メキシコ革命物語」渡辺建夫(朝日選書285:朝日新聞社)で確認しました。
1910年頃までは、アメリカ資本が最も多く投下されたのがメキシコであり、アメリカ資本は、メキシコの鉄道の三分の二、鉱山の76パーセント、製鉄業の72パーセント、石油の58パーセントを支配、またゴム園、農園、牧場、森林の68パーセントを所有するなどして、メキシコの富の半分以上を得ていたといわているのです。
それを踏まえて、今回は、「もう、たくさんだ! メキシコ先住民族蜂起の記録」サパティスタ民族解放軍:太田昌国・小林致広編訳(現代企画社)から、1980年以降のメキシコが、なお悲惨な状況に置かれていることを示す文章の一部と、「ラカンドン密林宣言」および「戦争宣言」を抜萃しました。メキシコにおいて、長く最も厳しい収奪にさらされてきた先住民族の生の叫びに耳を傾ければ、欧米の繁栄を手放しで賛美するような見方や考え方はできないのではないかと思います。
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第一の風
第一章
悲惨な生活を送るチアパス先住民を不憫に思った最高政府は、どうしてホテル、刑務所、軍飛行場をチアバスに作ったのか。野獣がどのようにチアバス先住民族の血を吸って生きているのか。その他の悲惨極まりない出来事について語ろう。
メヒコの北部、中央部、または西部で暮らしているあなた。「まず、メヒコを知ろう」。この陳腐な観光省の宣伝文句を聞いたことはある? メヒコ南東部を知ることにしよう。南東部から選んだのはチアパス。さあ、陸路で出掛けよう。(空路によるチアパス訪問は金がかかるだけで確実ではないし、酔狂そのものだ。二つの民間空港と一つの軍用空港しかないから)。テワンテペック地峡縦断道路を通って行こう。マテアス・ロメロを通ったけど、そこにある連邦政府軍の砲兵連隊兵舎に気づかないまま、ラ・ベントサに到着だ。そこにある内務省の出入国管理事務所の監視所に気づかなかった? (監視所を見ると、国を出て他の国に入る人のことを考えてしまう)。左側の道を進めば、間違いなくチアパスだ。数キロ進むと、オアハカとはお別れだ。「ようこそ、チアパスへ」という大きな看板が飛び込んでくる。出くわしたね? 見えたはずだ。あなたがチアパス州に入った経路は、チアパスに行く三つの道路のひとつだ。州北部からの道路、太平洋沿いの道路、そして今辿ったこの道路によって、メヒコの他の地域からメヒコ南東部に位置するこの州に到着できる。この州の豊富な資源は、三つの道路から出ていくとは限らない。チアパスの血を抜き取る経路は、石油・ガスパイプライン、送電線、貨物列車、銀行口座、トラックや軽トラック、船や飛行機、秘密の小道、砕石道路、踏み分け道や森の小道など、何千もある。チアパスの大地は石油、電力、家畜、現金、コーヒー、バナナ、蜂蜜、とうもろこし、カカオ、煙草、砂糖、大豆、ソルガム、メロン、マメイ、マンゴ、タマリンド、アボガドなどを帝国へ貢納し続ける。メヒコ南東隅の喉元に食い込んだ千一本の略奪の牙を通じ、チアパスの民の血が流れ出す。メヒコの港湾や鉄道・航空・トラックの集配センターに集まった何十億トンもの第一次産品は、米国、カナダ、オランダ、ドイツ、イタリア、日本へと向かう。しかし、行き着く先はひとつ、つまり帝国である。資本主義がこの国の南東隅に押しつける分担金は、帝国の誕生以来、血と泥のように滲み出ていく。
メヒコ国家を含めた一握りの商人たちは、チアパスからあらゆる資源を奪い去り、引き替えに致命的で有害な傷跡を残していく。金融という牙は1989年に1兆2266億6900万ペソ(約60億円)を獲得しながら、6163億4千万ペソしか融資や事業に回さなかった。6千億ペソ以上が野獣の胃袋に飲み込まれてしまった。
86本ものペメックス(メヒコ石油会社)の牙がチアパスの大地に食い込んでいる。その牙はエスタシオン・フアレス、レフォルマ、オストゥカン、ピチュカルコ、オコシンゴ地区にある。毎日、9万2千バレルの原油、5167億立法フィートのガスが大地から吸い出される。石油やガスを奪い去るのと引き替えに、環境破壊、農地略奪、超インフレ、アルコール依存症、売春、貧困といった資本主義の傷跡が残される。野獣は飽くことなく、ラカンドンの密林にまで触手を伸ばしている。八つの油田が開発中である。踏み分け道はマチューテ(山刀)で切り開かれる。それを握るのは、貪欲な野獣によって土地を奪われた農民である。木々は倒され、ダイナマイトの爆発音が鳴り響く。その土地では、播種のために農民が伐採することは禁じられている。一本伐採すれば、最低賃金十日分相当の罰金が科され、収監される。貧しい者は伐採できない。外国資本に握られつつある石油資本の野獣は伐採できる。農民は生活のため、野獣は略奪するため、木を伐り倒す。
チアパスはコーヒーによっても血を抜かれている。チアパスの大地は全国のコーヒーの35パーセントを産出し、8万7千人がコーヒー生産に従事している。生産の47パーセントは国内市場に、53パーセントが主に欧米諸国など外国に輸出される。チアパス州から出ていった10万トン以上のコーヒーは、野獣の銀行口座を膨らませる。1988年、証明書付きのコーヒー1キロは、国外で平均8千ペソで売れたが、チアパスのコーヒー生産者に支払われた額は2500ペソ弱だ。
コーヒーに次ぐ重要な略奪品は家畜である。300万頭の牛は、コヨーテ(ブローカー) や一握りの仲買い業者の手を経て、アリアガ、ビジャエルモサ、メヒコ市の冷凍庫に山積みされる。極貧のエヒード農民には、牛の脚肉1キロ当たり1400ペソ以下しか支払われない。コヨーテや仲買い業者の卸売り価格は、買上げ価格の10倍に釣り上がる。
資本主義がチアパスから徴収する貢ぎ物は、歴史上比類のないものである。全国の水力発電エネルギーの55パーセントを生産するチアパスは、メヒコの全電力の22パーセントを生産している。しかし、電気はチアパスの三分の一の家庭にしか届かない。チアパスの水力発電所が毎年生産する12,907ギガワットはどこに行くのか。
エコロジー・ブームにもかかわらず、木材伐採はチアパスの森林でいまなお続く。1981年から1989年にかけて、44万4700立方メートルの貴重材、針葉樹が伐り出され、熱帯からの潮流となり、メヒコ市、プエブラ、ベラクルス、キンタナ・ロー に流れ込んだ。1988年に木材開発が生み出した利潤は、1980年の60倍に相当する239億ペソに達した。
チアパス州の7万9千個の養蜂箱から採取された蜂蜜は、そっくりそのまま欧米の市場に向かった。農村で年間2756トンあまり生産される蜂蜜や蜜蠟は、チアパス人が見ることもない額のドルを稼ぎだす。
チアパス州で生産されたとうもろこしの半分以上は国内市場に向かう。チアパス州はとうもろこしの生産において、全国一、二を争う。ソルガムの大部分はタバスコ州へ行く。タマリンドの90パーセントはメヒコ市や他の州にいく。アボガドの三分の二が州外で取り引きされる。カカオの69パーセントは国内市場、31パーセントは米国やオランダ、日本、イタリアなど外国に輸出される。
”奪い去ったものと引き替えに、野獣は何を残すのか”、以下略
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ラカンドン密林宣言
いまわれわれは宣言する。もうたくさんだ。
メヒコの人民へ
メヒコの仲間たちへ。
われわれは五百年におよぶ戦いから生まれた。初めは奴隷制との戦いであった。ついで蜂起者が指導するスペインからの独立戦争、その後は北アメリカの拡張主義に吸収されることを回避する戦いであった。そして、われわれの憲法を制定し、われわれの領土からフランス帝国を追い出すために戦った。ポルフィリオ・ディアス独裁体制は改革諸法をわれわれに適正に適用することを拒んだが、人民は自らの指導者を創り出し決起した。こうしてサパタとビリャが登場したのである。彼らはわれわれと同じように貧しき人間であった。われわれ貧しき人間には、人間形成にもっとも基本的なことすら認められなかったが、それは、単なる肉弾としてわれわれを利用し、われわれの祖国から資源を略奪するためであった。飢えや治療可能な病気でわれわれが死んでも、彼らは何ら痛痒を感じない。われわれが何もない無一物でも、彼らは心を痛めることはない。われわれに雨露の凌げる家屋、土地、仕事、健康、食物、教育がなくても構わない。しかも、われわれの手には、自由かつ民主的に自分たちの権力執行者を選ぶ権利もなければ、外国勢力からの独立もなく、われわれやこどものための平和も正義もない。
しかし、いまわれわれはもうたくさんだと宣言する。
メヒコという民族性を本当に造り上げた者の後継者は、われわれである。われわれ持たざる者は無数にいる。われわれはあらゆる仲間に呼びかける。われわれのこの呼びかけに応じてほしい。それこそが、超保守的な売国奴連中の意向を代表する裏切り者の徒党によって70年以上にわたり牛耳られてきた独裁体制の貪欲な野望により、われわれが座して飢え死にすることをなくす唯一の道である。イダルゴやモレロスに敵対した者、ビセンテ・ゲレロを裏切った者、われわれの領土の半分以上を外国の侵略者に売り渡した者、われわれを支配するためにヨーロッパ的基準を持ち込んだ者、ポルフィリオ・ディアス期のシエンティフィコスによる独裁体制を造り上げた者、石油産業国有化に反対した者、1958年に鉄道労働者、1968年に学生を大量虐殺した者は、すべて同じ穴のむじなである。現在も、その連中はわれわれからあらゆるものを根こそぎ奪い取っている。
彼らによる略奪を回避するために、そしてわれわれの最後の希望として、メヒコの大憲章に基づいた合法的活動を実践しようとあらゆる努力をしてきた。その結果、われわれはメヒコ憲法に依拠し、その39条を適用することにした。そこには次のように記されている。
「民族の主権は、本質においても起源におきても、人民の手に委ねられている。すべての公権力は、人民に由来し、人民のよりよき生活のために制度化されている。人民はいかなる時も政府の形態を変更し修正する譲渡不能の権利を保有している」
それゆえ、メヒコ憲法に依拠し、われわれはこの宣言を公表する。
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戦争宣言
われわれは独裁体制を支える連邦政府軍に対し、宣戦布告する。われわれを苦しめ、権力を握る一政党(制度的革命党=PRI)により独裁体制は独占され、合法性のないまま大統領職にあるカルロス・サリナス・デ・ゴルタリが不法に掌握する連邦当局により、現在領導されている。
この戦争宣言を通じて、われわれは国の他の諸権力が結集し、独裁者を解任し、国の合法性と安定性を取り戻すように要請する
国際機関や国際赤十字に対しても、われわれの軍が市民を防衛しながら展開する戦闘を監視し規制するよう要請する。われわれの解放闘争のための軍事勢力としてサパティスタ民族解放軍を編成したわれわれは、現在そしてつねにジュネーブ協定の戦争法の規定を遵守することを宣言する。メヒコ人民はわれわれの側にいる。蜂起した戦士たちが愛し、敬意を抱く祖国と三色旗はわれわれのものである。われわれは制服の色として、ストライキで決起し戦う労働者人民のシンボルである赤と黒を採用する。われわれの旗には、EZLN(サパティスタ民族解放軍)と記されている。われわれはつねにこの旗を掲げ、戦闘の場に赴く。
われわれの戦いの正当な大義を歪め、麻薬密売組織、麻薬密売ゲリラ、山賊、われわれの敵が使うその他の言葉でわれわれを貶めようとする策動を、われわれはあらかじめ拒否しておく。われわれの戦いは、憲法が定めている権利の行使であり、正義と平等を旗印とする戦いである。
それゆえ、この戦争宣言に基づき、サパティスタ民族解放軍に属するわれわれの軍隊に以下の指令を与える。
一、メヒコ連邦軍を打ち破りつつ、首都にむけて前進する。解放闘争を前進させ、市民を守り、解放された人民が自由かつ民主的に自らの行政当局を選出できるようにしよう。
二、捕虜の生命を尊重し、負傷者は医療を受けるため国際赤十字に引き渡す。
三、メヒコ連邦軍兵士や政治警察官の略式裁判を行う。国内または外国で外国勢力による講義、指導、訓練や経済的支援を受けてきた者は、祖国に対する裏切りの嫌疑で告発される。さらに、市民を弾圧し虐待し、人民の財産を略奪、侵害した者の裁判も行う。
四、われわれの正義の戦いに合流する決意をしたすべてのメヒコ人とともに新しい隊列を創ろう。敵の兵士であった者でも交戦することなくわれわれの軍隊に降伏し、サパティスタ民族解放軍総司令部の指令に従うことを誓えば、われわれの隊列に参加できる。
五、戦闘を始める前には、敵の兵営に無条件降伏を呼びかける。
六、EZLNの統制下にある場所から、われわれの天然資源を略奪することを停止させる。
メヒコの人民へ。われわれ誠実で自由な男と女たちは、われわれが宣言したこの戦争が最後に残された正当な手段であると認識している。かなり前から、独裁者は布告のない大量虐殺戦争をわれわれに仕掛けてきた。それゆえ、われわれは君に要請する。仕事、土地、住宅、食料、健康、教育、独立、自由、民主主義、正義と平和を求めて戦うというこのメヒコ人民の計画を支持し、断乎とした決意をもって参加してほしい。自由で民主的な祖国の政府を創り出し、われわれ人民のこうした基本的
要求を充足できるまで、戦いを決して止めないことをわれわれは宣言する。
君もサパティスタ民族解放軍の決起部隊に加わるのだ。
EZLN総司令部
1993年、メヒコ、チアパス州ラカンドン密林にて。