真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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曽根製造所-毒ガス充填施設工員の証言

2011年02月25日 | 国際・政治
 曽根製造所で、砲弾に毒ガスを充填するなどの作業をした元工員たちは、「今、自分が日々苦しんでいる病気や、かつての同僚たちの死が、毒ガスと結びついているとは、想像もしなかった」という。そして、「何もいわなかった私たちも落度があるが、国も私たちに何も教えてくれなかった」というのである。
 忠海(大久野島で働いた人たち)では、みんな医療手帳をもらっていると聞いて驚き、補償を要求すると、厚生省の担当者は「曽根製造所で毒ガスを扱っていたという記録はありません」と拒否し、3つの証拠が必要であるとされたという。まず曽根製造所で確かに毒ガスを充填したという「歴史的証拠」。二つ目は曽根製造所で働いていたという「雇用関係を示す証拠」。三つ目は毒ガス障害についての「医学的証拠」である。
 本来これは国が調べるべきことだろうと思うが、国が調べないので、関係者は救済制度の適用を受けるまで、大変な苦労を強いられたのである。証拠隠滅をはかり、戦争責任を回避しようとした旧軍関係者の姿勢が、戦後に受け継がれた結果ではないかと考えざるを得ない。「悪夢の遺産 毒ガス戦の果てに ヒロシマ~台湾~中国」尾崎祈美子著 常石敬一解説(学陽書房)からの抜粋である。
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            第3章 もうひとつの毒ガス工場

 (1)忘れられた毒ガス障害者

 44年目の証言

 「私たちは国の恥になることはいってはならないという風潮のなかで、戦後を生きてきました。でも、大久野島の工員たちが医療手当がもらえて、私たちがもらえないのはおかしい。このまま黙っていては運動はできません。」(朝日新聞西日本本社版1989年8月13日)

 1989年の夏、北九州市小倉南区にあった兵器工場で働いていた男女300人が、国に補償を求めて互助組織を発足させた。戦時中旧陸軍の毒ガス充填施設であった東京第2陸軍造兵廠曽根製造所(以下、曽根製造所)の従業員たちである。
 戦後44年目にして、初めて名乗りをあげた彼らの行動は、歴史の闇に埋もれようとしていた「もうひとつの毒ガス工場」の存在を再び浮かびあがらせることになった。


 曽根製造所。それは旧陸軍の毒ガス戦遂行のために、なくてはならない施設だった。
 1937年10月、日中戦争が始まった年に開設され、終戦までに約150万発もの毒ガス弾が製造された。大久野島で製造された毒ガスのほとんどが、関門海峡を渡って運び込まれ、加農砲、軽迫撃砲、野砲、山砲などの砲弾に充填された。製造された膨大な数の毒ガス弾は、旧日本軍の制式兵器として海を越え、前線に送られていったのである。


 曽根製造所には最大時、約1000人の従業員が働いていたという。毒ガス弾の製造に関わった多くの人が、戦後も後遺症に苦しみ続けることになった。大久野島と同じ状況が、ここでも起こっていたのである。
 歩くだけで肩で息をする、体がだるくてたまらない、いつも何かが咽喉につまったよう、咳が止まらなくて苦しい……。
 結成されたばかりの「曽根毒ガス障害者互助会」の会合で、会員たちが堰を切ったように健康の悩みをぶちまけた。気管支炎など呼吸器系の病気や、肺、心臓などを患う人が多く、工員仲間が次々と亡くなっていくことに、不安と恐れを抱いていた。

 「曽根製造所にいたころは、みんな若かったし、ガスがどのくらい危ないか知らなかった。戦後工員たちが上司に会っても、しゃべっちゃいけんよ、しゃべっちゃいけんよ、と言われていた。今になってみればそれがかえっていけなかったんですね」
 会員の吉岡多鶴子さんはそう語っている。(同前)
 大久野島の毒ガス障害者たちが、戦後早い時期に国への補償を求めて立ち上がったのに比べ、曽根の障害者たちはあまりにも対照的だった。
 なぜ彼らは44年も沈黙を守り続けていたのか。国からなんの補償もないまま、見捨てられたも同然の長い歳月をどんな気持ちで過ごしてきたのか。戦時中彼らは曽根製造所でどのような仕事をしていたのか。
 いくつもの疑問を抱いて、私は現地を訪ねたのだった。



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