真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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中国戦線における日本軍の毒ガス戦

2011年03月04日 | 国際・政治
 「未決の戦争責任」粟屋憲太郎(柏書房)によると、日本軍の中国戦線における大規模な毒ガス使用は、下記の北支那方面軍の晋南粛正戦からのようである。その後、中支那派遣軍も徐州会戦・安慶作戦、武漢作戦などであか筒あか弾を多用している(武漢作戦については下段に追加あり)。1939年以降も、修水渡河作戦、新墻河渡河作戦、奉新附近の戦闘、大洲鎮附近の戦闘などで毒ガス攻撃をしており、華南における翁英作戦では、最初のきい剤(イペリット)の使用が確認できるという。さらに、宣昌攻防戦での日本軍によるイペリット使用は、当時すでに国際的にも知られていたという。それは、形勢が不利になると、苦境を脱するために徐々に毒ガス兵器に頼るようになり、毒ガス兵器使用を秘匿するという配慮が影を潜めて、イペリットなどの糜爛性ガスを頻繁に使用するようになっていったことを物語っていると思われる。

 旧軍関係者その他に、日本軍の中国戦線における毒ガス使用を否定する動きがあるが、下記の毒ガス使用を秘匿しようとした軍の意図と重なって見える。しかし、この毒ガス使用の作戦命令が、天皇の裁可を得て発せられており、下記の命令も大陸指(大本営陸軍部指示)である事実を忘れてはならないと思う。当初は、知られてはならない作戦だったのである。また、これらの毒ガス戦は、著者が米国立公文書館にある国際検察局文書の中から見つけ出した陸軍習志野学校案「支那事変ニ於ケル化学戦例証集」などを中心とする日本側公文書によって裏付けされていることも重要である。
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               Ⅴ 毒ガス作戦の真実

 中国戦線での毒ガス作戦


 ・・・
 こうして、38年4月11日、閑院宮参謀総長から寺内寿一北支那方面軍司令官・蓮沼蕃駐蒙兵団司令官に対し、占拠領域の確保安定に関して次のような命令(大陸指110号)が出された。

 「左記範囲ニ於テあか筒軽迫撃砲用あか弾ヲ使用スルコトヲ得
  (1)使用目的 山地帯ニ蟠居スル敵匪ノ掃蕩戦ニ使用ス
  (2)使用地域 山西省及之ニ隣接スル山地地方
  (3)使用法 
 勉メテ煙ニ混用シ厳ニ瓦斯使用ノ事実ヲ秘匿シ其痕跡ヲ残ササ
          ル如ク注意スルヲ要ス」
(大陸指綴」2巻)

 こうして、あか剤の最初の大規模使用の戦場として山西省を中心とする奥地が撰ばれたことになるが、交付された資材は、北支那方面軍に、軽迫撃砲用あか弾15000発・あか筒4万本、駐蒙兵団にあか筒1万本であった。
 駐蒙兵団は、6月中に第26師団が行った綏遠省東南地区(清水河、和林格爾附近)の戦闘であか筒の使用を準備したが、「状況之ニ適セサリシ為」使用を中止した(駐蒙軍参謀長「発煙筒使用ニ関スル報告提出ノ件」1938年7月14日)。


 他方、北支那方面軍司令官は4月21日、「方軍作命甲第293号」において香月清司第1軍司令官にたいし参謀総長の命令を伝達し、岡部直三郎参謀長はあか弾・あか筒の「集結使用」を指示した(「第1軍機密作戦日誌」、以下これによる)。これをうけて第1軍司令官は5月3日、「特殊資材使用ニ伴フ秘密保持ニ関スル指示」を交付した。この文書で注目される点は毒ガス使用の企図、使用した証跡などを徹底して秘匿するために次のような指示をしていることである。
  
 すなわち、(1)ガス資材の筒・収容箱の標記を予め削除すること、(2)使用後のあか筒は蒐集して持ち帰ること、(3)教育には印刷物を使わず、被教育者以外の立入りを禁止し、修得事項の口外を禁止すること、(4)使用の場合「使用地域ノ敵ヲ為シ得ル限リ殲滅シ以テ之カ証跡ヲ残ササル如ク勉ム」ること、(5)住民の居住地域や外部との交通の便利な地点での使用を避けること、(6)毒ガス資材を「敵手ニ委セサルヲ期す」こと、(7)資材の運搬に現地住民や傭役車馬を利用しないこと、(8)毒ガスを使用したとの敵側の宣伝に対しては毒煙でなく単なる煙であると宣明すること、などである。

 国際法を意識し、いかに使用事実を秘匿するかに注意を集中している有様がよくうかがえる。このような指示は、その後の毒ガス戦でもくりかえしだされることになる。


晋南粛正戦
 1938年5月23日北支那方面軍は、徐州作戦の支作戦での毒ガス使用を決意し、第1軍に対しあか弾・あか筒の使用を許可し、これをうけて第1軍は109師団にその使用を許可し、実戦使用の段階に入った。ところが、この間に第20師団が候馬鎮・曲沃方面で中国軍の頑強な抵抗をうけ、臨汾・新絳が危機に陥る中で、27日、第1軍は第20師団にまずあか弾の使用を許可した。しかし、危機的状況が続いたために、6月15日、新任の梅津美治郎第1軍司令官は川岸文三郎第20師団長に対し、「一軍作命甲第263号」であか筒の使用をも許可し、飯田祥二郎参謀長は「主力ノ攻撃ニ際シ急襲的ニ之ヲ使用スル」よう命令した。こうして、毒ガスは晋南粛正戦で大規模に使用されることになる。第20師団には第1~第4特種指導班と迫撃第3大隊が配属されたが、「例証集」戦例11によれば18000本の中あか筒が準備されたという

 そして万全の準備を整えた後、7月6日払暁から、曲沃南方、絳県北方高地帯の中国軍に対し、大規模なガス攻撃が行われた。第20師団の報告(第1報)によれば、その状況は次のとおりであった。

 「第20師団ハ7月6日払暁ヨリノ攻撃ニ当リ其ノ部隊正面ニ於テ儀門村及北楽村各南方高地ノ線ニ4・5千米ニ亘リ6・7千筒ノ特種発煙筒ヲ使用セリ、尚時風北北東1米70、煙ハ克ク低迷ス、最初敵ハ発煙開始ノ信号弾ヲ見テ盛ンニ射撃ヲ開始スルモ煙ノ到達ト共ニ射撃ヲ全ク中止ス
 歩兵部隊ハ直ニ南下環及南樊鎮ノ線ヲ奪取シ更ニ其ノ南方地区ニ向ヒ前進シツツアリ、但シ煙ノ一部(一割以下ナラン)ハ風向及風速ノ動揺ニ依リ我カ方ニモ流来シ一部防毒面ヲ装着スルヲ要セリ」


 ここでの「特種発煙筒」とは、毒ガスのあか筒をさす秘匿保持のための用語である。
 これは「例証集」戦例11に収録されている曲沃附近の戦闘の記述と一致する。これによれば、あか筒の放射数は約7000本で、第1線部隊はほとんど損害なく、一挙に約3粁を突破したが、北董村附近では「毒煙逆流シ成果ノ利用十分ナラザリシ部隊アリ」ともいう。

 しかし、ガス攻撃はこれだけに止まらなかった。翌7日の第20師団の報告(第2報)によれば、「曲沃南方地区ニ於テハ7日未明東韓村ヨリ南吉ニ亘リ約3粁ノ正面ニ亘リ約3千箇ノ特種発煙筒ヲ使用シ煙ハ澮河ニ沿ウ地区ヲ西方ニ流動シ次テ風向ノ変化ニ依リ曲沃西方高地脚ヲ流セル若干ノ煙ハ澮河北岸ニモ流来セリ、曲沃南方澮河北岸ノ敵ハ6日夜盛ニ射撃セルモ朝迄ニハ退却セルモノノ如シ」という状況であった。
 こうして、この戦闘では2日間に約1万本のあか筒が使用されたのである。第20師団は迫撃を続行し、運城を占領して晋南粛正戦は終了した。

 ・・・(以下略)

追加-「毒ガスの島-大久野島悪夢の傷跡」(中国新聞社)--------
 吉見教授は84年、日中戦争の「武漢攻略戦」(38年)で少なくとも375回の毒ガス使用を裏付ける資料を米国議会図書館作成のマイクロフィルムから発見。その後も宣昌攻防戦(41年)などでの日本による猛毒のイペリット大量使用を分析した米軍の極秘文書や、終戦後に大久野島の毒ガス処理を行った英連邦軍の報告書などを次々と発掘してきた。

 http://www15.ocn.ne.jp/~hide20/ に投稿記事一覧表および一覧表とリンクさせた記事全文があります。一部漢数字をアラビア数字に換えたり、読点を省略または追加したりしています。また、ところどころに空行を挿入しています。青字が書名や抜粋部分です。赤字は特に記憶したい部分です。「・・・」は、段落全体の省略を「……」は、文の一部省略を示します。

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4 コメント

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大嫌いな日本から早く移住することをお勧めします... (日本大好き)
2011-03-06 00:26:04
大嫌いな日本から早く移住することをお勧めします、団塊の世代って最悪ですね、みんなそう思っていますよ。
返信する
 私は日本が大好きですよ。ただ、人を人と思わず... (syasya61)
2011-03-06 09:22:19
 私は日本が大好きですよ。ただ、人を人と思わず、あたかも虫けらのように人命を軽視し戦争を進めた関係者や、戦後手のひらをかえしたようにアメリカにひれ伏し、様々な事実を隠し続けて、戦犯として裁かれることを逃れ、戦後補償に応じようとしない人たちが気に入りません。そういう人たちの跋扈には抵抗したいと思います。
返信する
Unknown (日本が好きなので偏った右翼は嫌いです)
2016-01-24 21:30:23
日本は署名だけで批准してなかったので毒ガス条約には違反しないんですが
秘匿しようとした姿勢が見苦しいんですよね

実際には毒ガスを使ってるのに、国際社会に対しては
「我が大日本帝国は毒ガスを使用しておりません」みたいな態度をとってた訳で
こういう嘘が次々見つかるから戦後の検証で日本軍は信用されない訳ですし
返信する
そうです (syasya61)
2016-01-25 10:00:58
 私もそう思います。
 私は、反日だとか、中国人では?とか、韓国人では?とか言われるのですが、日本が大好きな日本人です。戦後復活した戦争指導層の流れをくむ、政治家や研究者が大きい顔をすることが許せないのです。

 忘れまい、塗炭の苦しみ味わった、
             父母の話も、加害の事実も
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