「戦争を語り継ぐ」というMLから「東ティモールの日本軍性奴隷制被害者に関する要請書」(あて先: mm3k-frsw@asahi-net.or.jp (東ティモール全国協議会/古沢)というメールが届いた。東ティモールといえば、当時中立国ポルトガルの領土であったが、日本軍が無断で占領したオーストラリアに近い南半球の島である。占領中も、また日本の敗戦後にもさまざまな悲劇が発生した。忘れてはならない島であると思う。「ナクロマ東ティモール民族独立小史」古沢希代子・松野明久(日本評論社)からの抜粋である。
---------------------------------
第5章 日本と東ティモール
日本軍占領時代
1942年2月、日本軍は英連邦(オーストラリア)・オランダ領の駐留下にあるティモール島に上陸した。そして英蘭軍を圧倒して全島を支配下においたが、1年後には、連合軍(オーストラリア軍)の巻き返しによってティモール島の周辺の制海・制空権を失った。その結果、2万の兵士は、連合軍の空爆にさらされながらティモール島に閉じこめられた状態となった。
ポルトガルは、日本軍の進駐をポルトガルの領土主権と中立を侵害するものとして、外交ルートを通じ日本に抗議したが、「ポルトガルの主権を尊重し、英蘭軍の掃討という進駐目的の達成後には撤退する」という日本側の説明に押し切られ、国交断絶にはいたらなかった。むしろ、東ティモール人のポルトガル政庁に対する反乱が頻繁したため、総督みずから日本軍にポルトガル人の保護を申し入れることになった。日本側は、①ポルトガル人は、日本軍が指定した一定の場所において治安回復のときまで集合自活生活をする(ただし、総督、市長は日本側との折衝のためディリに残留 ②英(濠)蘭軍との協力、利敵行為を今後絶対にしないこと ③ポルトガル側の武器弾薬が英(濠)蘭軍に利用されるのを防ぐため、自衛上の所要分を除き治安が回復するまで日本軍が保管する、という3条件の承諾を前提にその要望を受け入れた。
このようにして終戦まで3年半日本軍の占領が続くなかで、東ティモールにはさまざまな傷痕が残された。ポルトガルやオーストラリアでは、日本軍占領時代に数千人のティモール人が殺され、さらに多くの人が飢えで死んだと伝えられている。近年、日本側からも占領の実態に関する証言が出はじめた。たとえば、バギアで軍用道路の建設と地区の警備を担当していた岩村正八は、軍の徴用した人々に食糧を与えず、自弁のトウモロコシの粉と水だけで重労働にたずさわる人々から餓死者が出たこと、自分たちの食糧や弾薬輸送用の馬は人々から強制的に供出したこと、同じ部隊の将校が「試し切り」と称して日本刀で捕虜の首を切ったこと、部隊の者がキサル島から女性を連行して「慰安所」を開設したりしたことを報告している。島東端の漁村からラウテンを経て、内陸部の高地アビスに進駐した揚田明夫もまた、強制労働と慰安所開設について語っている。
「進駐してまず始めたことは飛行場や道路の建設、敵の上陸に対しての陣地の構築であった。現地の住民が動員され、作業には痛々しい老人から5,6才ぐらいの子どもまでが駆りだされた。……島の女たちは乏しい食糧のなかから、毎日のようにヤシの葉で編んだ袋に、畑で取れた果物や豆などを入れて背負い、軍の経理部へ納めていたが、代金は払うあてのない紙屑同然の軍票であった。……こうして最前線にも慰安所が開設された。キサル島から、『アビスで食堂の給仕をさせる』と偽って連れてこられた娘たちであった。敗戦直前、ティモール島から撤退する際、彼女たちは『こんな体になって恥ずかしくて島へは帰れない。ジャワでも日本でもどこでもよいから連れていってくれ』と泣いて懇願したという。」
プアラカという石油の産地には、日本軍がティモール人を虐殺して埋めたという長方形の穴があると伝えられている。日本軍は異常な関心をこの地に払い、「石油情報を敵に渡した」という理由で多くのティモール人を殺した。
生き残ったオーストラリア人兵士は、インディペンデント・カンパニーという抗日戦線を組織した。彼らに協力するティモール人およびポルトガル人は「抗日分子」として日本軍に追われ、逆に日本軍に協力したティモール人には、大戦後ポルトガル支配が復活すると、さまざまな制裁が加えられた。
敗戦とともに日本軍は、連合国側、とりわけオーストラリアの介入を嫌うポルトガルの意向を尊重し、すみやかに武装解除をすませ、ポルトガルに行政権を移譲した。この結果、占領中ティモール人が多大な損害を被ったにもかかわらず、ポルトガルから日本へ賠償請求は行われなかった。
外務省の幹部たちはインドネシアの東ティモール侵略問題に対して日本が原則的な態度がとれない言い訳として、「日本は大戦中アジア諸国にたいへんな迷惑をかけたので、それらの国の人権問題について大きな口をきく立場にない」ことをあげる。これらを解釈すると、「お互い都合の悪いことには口をださない」ということになるのだが、彼らは東ティモール人もまた日本軍占領の被害者であることをすっかり忘れている。
http://www15.ocn.ne.jp/~hide20/ に投稿記事一覧表および一覧表とリンクさせた記事全文があります。一部漢数字をアラビア数字に換えたり、読点を省略または追加したりしています。また、ところどころに空行を挿入しています。旧字体は新字体に変えています。青字が書名や抜粋部分です。赤字は特に記憶したい部分です。「・・・」や「……」は、文の省略を示します。
最新の画像[もっと見る]
- 尹錫悦大統領は自ら「出頭」したのか? 5時間前
- 搾取・収奪による格差拡大がもたらす悲劇 4日前
- 世界の犯罪首都、ヨハネスブルグの格差と暴力 7日前
- 「力の支配」、阿諛追従(アユツイショウ)の国際社会 2週間前
- 覇権大国による国際刑事裁判所に対する制裁と力の支配 2週間前
- シリアのクルド人問題と、佐伯氏のSNS論 3週間前
- アサド政権崩壊の次は・・・ 3週間前
- アサド政権報道、メディアは権力の道具? 3週間前
- ウクライナ モルドバ グルジアへの内政干渉 1ヶ月前
- アサド政権崩壊の報道を考える 1ヶ月前
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます