真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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731部隊関係者のソ連検察官による尋問要求

2008年06月02日 | 国際・政治
 下記は、「ソ連検察官による何人かの日本人に対する尋問要求」に関わる文書である。この文書を受け取る以前のアメリカによる731部隊の調査報告書(サンダース・レポートおよびトンプソンレポート)には、人体実験や中国への生物兵器による攻撃については、触れられておらず、解明されていなかったのである。このソ連の尋問要求が出されて以降、アメリカの関係機関の間でさまざまな文書のやり取りがあり、右往左往したことが「標的・イシイ(731部隊と米軍諜報活動)」常石敬一(大月書店)の資料からうかがい知ることができる。資料の一部を抜粋する。
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主題──尋問要求
発信──連合国軍総司令部 国際検察局
あて先──GーⅡ
                               日付──1947年1月9日
注一、マッカイル中佐が話し合った結果、ソ連側の国際検察局から調査部を通じてGーⅡに、同封の覚え書が送付された。覚え書についての説明は不要である。覚え書に対する適切な措置について当部に対して助言を求める。
同封書類一通(極東国際軍事裁判 ソ連よりの覚え書)。

      覚え書

あて先──ウィロビー少将、GーⅡ部長、連合国軍総司令部
経由──国際検察局調査部
発信人──ヴァシリエフ少将、極東国際軍事裁判所ソ連次席検察官
 国際検察局のソ連代表部には、関東軍が細菌戦の準備をしていたことを示す材料がある。
 これら材料を証拠として軍事裁判所にだすには、関東軍防疫給水部すなわち満州731部隊でかつて活動していた人物について、数多くの補充的尋問が必要である。
 それら人物は、
 一、石井軍医少将、防疫給水部第731部隊長
 二、菊池斉大佐、防疫給水部第731部隊第一部長
 三、太田大佐、防疫給水部第731部隊第四部長(かつて、第二部長を務めていた)
 これらの人物は、彼らが戦争に細菌を使用する目的で細菌の研究を行っていたこと、またこれらの実験の結果として多くの人びとを殺していることについて証言することとなる。この調査が完了し、材料が裁判所に提出される前に、本調査に関する情報が拡散することのないよう予備的な措置を講じるのは妥当なことと信じる。すなわちこれら証人から、この調査についてだれにも言わないという約束をとりつけ、予備的な尋問は陸軍省の建物内では行わない、ということだ。
 前述のことに関連して、1947年1月13日に前述の尋問ができるよう国際検察局を通じて助力していただきたくお願いする。尋問はとくにこの目的のために用意された場所で、本調査について口外しないという約束をとりつけたうえで行われる。
 このほかに当方は貴下に対し、国際検察局のソ連代表部に防疫給水部第731部隊元第二部長村上隆中佐、および同部隊元総務部長中留め金蔵の所在について文書で知らせるよう要求する。これら文書は彼らを裁判にかけるために必要である。
                               ヴァシリエフ少将         
                  極東国際軍事裁判所ソ連次席検察官
                                  〔R・G331〕

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極東軍総司令部
参謀部、情報局
                                  1947年1月17日 
主題──日本の細菌戦実験
あて先──極東軍、GーⅡ参謀副長
 、以下に報告する言明は東京のソ連検察局のメンバー、ソ連軍のスミルノフ大佐から得られたものである。本情報は陸軍省情報局の日本部から陸軍省に生物戦の補遺レポートとして送付するよう勧告する。
 、前記主題についてのソ連の関心がGーⅡに知らされたのは1947年1月7日国際検察局のワルドーフ氏が、ソ連から生物戦についての尋問のため日本人の引き渡しを求められている、と述べたときである。GーⅡから国際検察局に、ソ連に対して要求の理由を覚え書きとして提出させるよう指示した。その結果が添付の覚え書(同封書類一)である。そのときソ連に、マッカイル中佐がこの問題について彼らと会談する用意がある、と告げ、会合は1947年1月15日9時から東京の陸軍省で行うことになった。
 、出席者は以下の通りである。
    R・P・マッカイル中佐 極東軍、GーⅡ
    O・V・ケラー少佐 化学戦将校
    A・J・ヤヴロツキー 極東軍、GーⅡ、通訳
    D・L・ワルドーフ 連合軍総司令部、国際検察局
    レオン・N・スミルノフ大佐
    ニコライ・A・バゼンコ少佐 ソ連軍将校
    アレックス・N・クニフ ソ連通訳
 四、マッカイル中佐はスミルノフ大佐に、ソ連がこの問題で尋問を必要とすることになった材料あるいは情報の説明を求めた。スミルノフ大佐はクフフ氏を通じて次ぎのように述べた。
 「終戦からまもなく満州第731部隊第四部の川島将軍と彼の補佐役柄沢少佐を
 尋問した。彼らは次のように証言した。すなわち日本軍は細菌戦の大規模な研
 究を平房の研究所および安達の野外実験場で、満州人や中国人馬賊を実験材
 料として使って行っていた。実験の結果、合計2000人が死亡した。平房には発
 疹チフスを媒介するノミを大量生産する装置やコレラ菌や発疹チフスの病原体を
 大量に培養するベルトコンベヤー・システムが2基あった。ノミは3ヶ月で45キロ
 グラム生産された。コンベヤー1基で1ヶ月に、コレラなら140キログラム、発疹 
 チフスなら200キログラムの病原体を培養した。」
 「発疹チフスを媒介するノミの生産は次のようにして行われた。発疹チフスに感染
 させたネズミを4500個の特別な缶の中に入れ、ノミに刺させる。しばらくして、缶
 の中の電灯をつけ、感染したノミをネズミから引き離し、着脱できるノミ容器に追
 い込む。ノミを大量に集める。ネズミを刺してから7時間後には、刺したノミは感染
 している。」
 「平房では人間は監房にいれられ、研究室で培養される各種培養菌の効力につ
 いてのデータを得るため、いろいろなやり方で感染させられた。人間はまた囚人
 護送車で安達に送られ、杭に縛りつけられ、実戦におけて細菌を散布する方法、
 主に飛行機からの爆弾投下あるいは噴霧によって細菌を浴びせられた。犠牲者
 は平房に戻され、観察された。」
 「前記情報はソ連にとってあまりにも途方もないことだったので、ソ連の細菌戦専
 門家が呼ばれた。彼らは再尋問を行い、平房の廃墟を調べ、この情報を確認し
 た。(平房施設は日本軍が破壊した。それがどんな具合かについてはっきりさせ
 るため、マッカイル中佐は次のように質問した。問──大佐は『平房の廃墟』と言
 われた。それは爆撃によるのか、それとも戦闘の結果か。)」
 「平房の施設は日本軍の手によって、証拠隠滅のために完全に破壊された。す
 べての文書が破棄され、わが方の専門家は廃墟を写真に撮ろうかと思い悩むこ
 ともないほどひどい破壊状況だった。」
 「日本軍は満州人や中国人2000人を殺すという恐るべき犯罪を行い、それには
 石井将軍、菊池大佐、それに太田大佐が関与している。(ソ連側が尋問を望んで
 いる日本人の名前である。)ノミや細菌の大量生産も非常に重要である。ニュー
 ルンベルク裁判でドイツの専門家は、ノミを使って発疹チフスの病原体を蔓延さ
 せることは細菌戦の方法として最高のものと考えられる、と証言している。日本
 はこの技巧を保有しているように思える。この情報を入手することはソ連にとって
 だけでなく、アメリカにとっても意味があるだろう。これら3人の日本人の尋問を、
 戦犯となることは免れないということは言わずに行い、彼らに尋問について口外
 しないと誓わせることを要求する。」
 、会談で得られる情報は、すでにアメリカが知っていること、あるいは、これまでの調査官が疑っていたことと一致する。生産量についての数字は新しいものだ。人体実験は疑っていた。平房の施設が文書ともども完全に破壊されたという情報は、これまでに得られた情報と一致している。以下の秘密レポートをみよ。
    a、〔サンダース・レポート〕
    b、〔トンプソン・レポート〕
                               ロバート・P・マッカイル
                                     中佐、歩兵
                                    〔R・G・331〕



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一部漢数字をアラビア数字に換えたり、読点を省略または追加したりしています。
 

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