真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

HPは hide20.web.fc2.com
ツイッターは HAYASHISYUNREI

東京裁判における被告二十五名の断罪表

2020年09月02日 | 国際・政治

 東京裁判における検事団の立証に対する弁護団の反証は、ほとんど受け入れられず、日本は満州事変以来、一貫した政策を以て侵略戦争を企て、実行してきたとされました。また、共同謀議に対する日本側弁護団の主張も受け入れられず、 松井石根大将と重光葵外相以外の被告すべてが、侵略戦争の共同謀議で有罪とされました。
 弁護団の反証は、検事団の集めた膨大な資料や証言、捕虜虐待や残虐事件の数々によって否定されることになってしまったのではないかと思います。
 一例をあげれば、「東京裁判NO5 オランダ領への侵略」に取り上げたように、1945年ニ月二十四日、マニラで米軍が入手した岡田部隊の大隊命令には、
フィリピン人を殺すのは、極力一ヶ所にまとめ、弾薬と労力を省くように処分せよ、死体の処理うるさきをもって、焼却予定家屋または爆破家屋にあつめ、あるいは河につき落すべし
 とあり、また、
人肉を食っても、戦いぬけ、ただし友軍の肉をくったものは死刑に処す
 との命をうけた柳沢元上等兵の口述書や、ニューギニアのアイタベ地区における支隊長の布告文によって、飢餓のせまった戦争の中で、原住民の人肉を食うのはもちろん、ついには友軍の戦友を倒しても飢えを支えようとした事実なども明らかにされたというのですから、日本側の責任逃れは、通用しなかったのではないかと思います。

 下記は、「東京裁判 大日本帝国の犯罪 下」朝日新聞東京裁判記者団(講談社)から抜萃しました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

                第二十三章 判決下る

                  大法廷の終幕

    断罪表
 刑の宣告をうけた、二十五被告の断罪表をあげればつぎの通りである。

            年齢(出身地)         前歴
絞首刑   東条英機   六五(東京)   陸軍大将、陸相、内相、首相、参謀総長
絞首刑   広田弘毅   七一(福岡)   駐ソ大使、外相、首相
絞首刑   土肥原賢二  六六(岡山)   陸軍大将、在満特務機関長、陸軍航空総監
絞首刑   板垣征四郎  六四(岩手)   陸軍大将、中国派遣軍総参謀長、陸相
絞首刑   木村兵太郎  六一(埼玉)   陸軍大将、陸軍次官、ビルマ派遣軍司令官
絞首刑   松井石根   七一(愛知)   陸軍大将、上海派遣軍司令官
絞首刑   武藤章    五七(熊本)   陸軍中将、陸軍省軍務局長
終身禁固  木戸幸一   六〇(東京)   文相、内相、厚相、内大臣
終身禁固  平沼騏一郎  八二(岡山)   首相、枢府議長、国本社会長
終身禁固  賀屋興宣   六〇(広島)   蔵相
終身禁固  島田繁太郎  六六(東京)   海軍大将、海相、軍令部総長
終身禁固  白鳥敏夫   六二(千葉)   駐伊大使
終身禁固  大島浩    六三(岐阜)   陸軍中将、駐独大使
終身禁固  荒木貞夫   七二(東京)   陸軍大将、陸相、文相
終身禁固  星野直樹   五七(東京)   満州国総務長官、内閣書記官長
終身禁固  小磯国昭   六九(山形)   陸軍大将、朝鮮総督、拓相、首相
終身禁固  畑俊六    七〇(東京)   元帥、陸相、中国派遣軍総司令官
終身禁固  梅津美治郎  六七(大分)   陸軍大将、関東軍司令官、参謀総長
終身禁固  南次郎    七五(大分)   陸軍大将、陸相、朝鮮総督
終身禁固  鈴木貞一   六一(千葉)   陸軍中将、企画院総裁 
終身禁固  佐藤賢了   五四(石川)   陸軍中将、陸軍省軍務局長
終身禁固  橋本欣五郎  五九(福岡)   陸軍大佐、赤誠会統領
終身禁固  岡敬純    五九(東京)   海軍中将、海軍省軍務局長、海軍次官
禁固二十年 東郷茂徳   六七(鹿児島)  駐独、駐ソ大使、外相
禁固七年  重光葵    六二(大分)   駐英、駐華大使、外相
 重光、東郷の禁固は罪状認否の日(昭和二十一年五月六日)より起算す

 さらに、起訴状中最後まで残された罪状項目十項について、各被告がどのような責任を負わされたかを次の表によってみよう。アラビア数字は、起訴状中の訴因(「東京裁判NO3 五十五の訴因と政治的免責」を参照)
 Gは有罪 Xは無罪 〇は判定せず △は絞首刑 2─36(平和に対する罪) 
54─55(通例の戦争犯罪)

被告名 1 27 29 31 32 33 35 36 54 55  
荒木  
土肥原 0
橋本        
   
平沼  
広田  
星野    
板垣 0
賀屋        
木戸  
木村      
小磯      
松井  
       
武藤  
       
大島        
佐藤        
重光    
嶋田        
白鳥            
鈴木    
東郷      
東条   0
梅津        

 

 起訴状は、訴因第一より訴因第五十五までをあげ、第一類平和に対する罪(一より三十六まで)
第二類殺人(三十七より五十二まで)第三類通例の戦争犯罪および人道に対する罪(五十三より五十五まで)に分けられていたが、判決はまず、侵略戦争の共同謀議を(訴因一)もっとも悪質な犯罪であるとみとめ、ついで各戦争の遂行(二七、二九、三一、三二、三三 、三五、三六)を有罪とし、つづいて第三類通例の戦争犯罪および人道に対する罪(五四、五五)を有罪としたのみで、第二類殺人の項を無視し、その他残虐行為の共同謀議その他四十五訴因について大幅の削除をおこなった。
 とりわけ第二類殺人の罪は、日露戦争の旅順攻撃以来の例をあげ、真珠湾奇襲開戦による殺人は、当然殺人罪を構成すると主張され非常な注目をひいたのであったが、判決はこれをあつかわず侵略戦争の遂行という範疇にふくめばたりると断定し、注目された。
 右表(上表)の訴因第一は、共同謀議の罪、二七は、中国に対する侵略戦争の実行、二九は、アメリカに対する侵略戦争の実行、三一はイギリス連邦(オーストラリアを含む)同。三二は、オランダ同。三三は、フランス同、三五は、ソ連同(張鼓峯)。三六、同じくノモンハン関係。五四は、残虐行為の命令授権、許可。五五は、故意または不注意による防止の怠慢。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ルーズベルト大統領の天皇あ... | トップ | 東京裁判、二十五被告に対す... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

国際・政治」カテゴリの最新記事