きんちゃんの観劇記(ネタバレだよ)

思いつくまま、適当に。

「プリデスティネーション」

2015年04月25日 | 映画
タイムトラベル物だと思っていたのに
突然に半陽陰の女性の半生が始まり
「間違えた?」と軽くパニック。

途中から時空を飛び始め、話が繋がって来て、
なるほどな!と。
勘の良い人ならすぐにわかると思うけど
鈍い私はラストで唸りました。
過酷過ぎる運命だわ。

タイムトラベルの機械が発明されたのが1981年ということは、
元ネタはかなり昔に書かれたんだろうな。
彼女の「身体」も現代なら
もう少し選択肢があるんだろうけど、
世の中に男性と女性しかおらず、
男は男らしくなければならない時代には、
あれしか方法が無かったんだろうな。
だからこそ、ああなるんだな。

SFとしてだけでなく、
ジェーンの孤独さが強く伝わってくるので
ラブストーリー部分も美しい。
彼女の幸せを願わう方へ誘導されので
いろんな事情を知った時、
見ている方はジョンと同じ気持ちになる、
そういう「作り方」が上手いですね。

穴だらけの話なので人にはすすめないけど、
見て良かったです。

穴だらけ、というと語弊があるね。
現代では女性の宇宙飛行士が普通にいるし、
タイムパラドックスを発生させない基準も
なんとなくできちゃっている現代から見ると、
なんで?と思う部分があるんだよね。


見た後に調べたら、原作はハインラインの59年の作品なのね。
だからタイムパラドックスがあそこまで哲学的なんだ。
パラドックスが続くことに意義がある。
まさしく輪廻だったよ。
古典SFに馴染みがあれば楽しめると思います。


サラ・スヌークの演技が実に素晴らしかったです。
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「バードマン」

2015年04月25日 | 映画
役者の自己愛ぶりと肥大化した承認欲求、
「芝居を見た感動は流されるネットの中だけでなく
 見た人の心にちゃんと残るよ」
と観客に思わせたいあざとさ、
舞台人は映画人を本物では無いと馬鹿にする、
大作アクションにばかり金をかけるんじゃねえ、
魂の解放、
ときて、
娘がなにを見たかを考える。

バードマンの成り行きは、
自殺が成功して、彼が夢見たように
世間の皆が彼に注目し敬意を払うようになるとも、
過去のバードマンをトイレに流し
自身は新たなバードマンになり
英雄的に人気者になる、とも考えられる。
娘はラリって父のように幻影を見ているとも、
父が安らかに召されたことに安心したとも、
単純に父が生きていたとも、
いろんな説は成り立ち、
はっきり結論を見せないのが
良いとも思うし、
あざといとも思う。

かつての人気スターの自尊心の滑稽さも
主題の一つだと思うんだけど、
「アメコミ原作のヒーロー物がもてはやされるけど
 俺達がつくる映画はあんな安易な軽い作品とは違う」
という制作者の自尊心の滑稽さも滲み出てるところは
狙っていて笑いを誘っているのか、どうなのか。


あんなハゲになっても、
(かつての)スターだと気が付いてもらえるんだから
幸せじゃないの?
起死回生の売名だとしても、
お金を払うファンがいるって
すごいことじゃないの?
とも思ったけど、
自身を含めての「忘れ去られない悲劇」もテーマなのかな。
もう一般人としては生きられない悲劇。


確かなのは、同じ「元バットマン」でも
ヴァル・キルマーでは
「バードマン」は成り立たなかった、
ということだね。
暗く鬱々と悩みつつしがみつく姿は似合わないから。
マイケル・キートンがオスカーの会場で
受賞コメントメモを仕舞うところを目撃されるまでがセットだね。
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「サウンド・オブ・ミュージック」製作50周年記念吹替版

2015年04月25日 | 映画
台詞はTV版の武藤礼子&若山弦蔵、
歌声はアンドリュース&プラマーが私の基本なので
第一声に激しく違和感。
コレジャナイ!

しかし話が進んでいくとだんだん慣れた。
平原綾香の芝居は思っていたより良かった。
逆に歌はミュージカル歌唱でないことよりも、
「役」として感情を乗せられないので、
歌になると「マリア先生」がいきなり「日本人のお姉さん」になるよう。
プロの歌手にとって歌は自分を表すツールなんだな。
玉置成実ちゃんの初ミュージカルのときも
そんなことを思ったな。
上手いんだけど、本人なんだよね。

丸ちゃんは台詞はツンツンで意地悪め。
こちらも若山弦蔵が頭にいるので
最初はかなり違和感。
しかし中盤に歌い出すと、
その歌声には温かみが滲み出ているので、
ああ、大佐の本質ってこっちなんだなと納得させられた。
ギャップ感に萌え萌え。

私のとってはTV放映版が基本だったので
大人になってオリジナルを見たときは
大スクリーンの映像に感動しながらも
どこか、「確認」的なところもあった。

でも今回、キャストは違えど、
日本語吹替版で見たら、
子供の時に見た時の感動がそのまま蘇って来て
泣いてしまった。
ドレミの歌とか。
大佐が家族と歌う場面とか。
やっぱり、子供の時に映画を見ることは大切だ。
その感動は、感動でなくても心を強く動かされた記憶は
一生心に宿る。
この吹替版を、今の子供達に、たくさん見て欲しいな。


大佐は見る度に若返って行く不思議。
じゃ、ねーよな。
初めて見たときは、うーんと、
フリードリヒより下ぐらいの年齢かな。
今はたぶん、当時のプラマーより上かもしれない。
調べないけど。

アメリカ亡命以降の話が先に映画化されていて
母にはトラップ一家といえばそちらみたい。
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「セッション」

2015年04月25日 | 映画
モーツァルトぐらいの
生まれながらの天才はともかく、
芸術家は研磨しないと・されないと
育たないんだな。

魂を削りながら競争して、
ほんの一握りが世に出て、
それを私レベルの、取り柄のない一般人が
消費するのは申し訳ない気もするけど、
芸術はそんなものなのだな。

教官が理念に基づいているのか
たんなるサドなのか、
結論づけていないのがいいね。
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