かなむぐらの一束の姿は、奇妙で奥深く何とも言えぬ絶妙の色彩と形を整えている。また何とも言えぬカナムグラという名前である。昔中学時代の古典の片隅にひっそりとその姿色彩形が載っていて、人目を引いたものであるが、垣根の内外に蔓状に垂れたその姿には目じりが注目させられる。その葉と花その一連の連鎖、愼に絶妙なのである。
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かなむぐらの一束の姿は、奇妙で奥深く何とも言えぬ絶妙の色彩と形を整えている。また何とも言えぬカナムグラという名前である。昔中学時代の古典の片隅にひっそりとその姿色彩形が載っていて、人目を引いたものであるが、垣根の内外に蔓状に垂れたその姿には目じりが注目させられる。その葉と花その一連の連鎖、愼に絶妙なのである。
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不安定な連日が此処続くようである。それにしても矢張り小動物たちの姿が見えない。小鳥たちは一体何処へ行って仕舞ったのであろうか。気候やこれらの小鳥や動物たちの異変が、その数や種類の変動にも大きく変化が見られることに遇ったのであろうと思われる。時節や季節の移り変わりの変化は、鳥獣の生活にも微妙な変化を既に大きく展開されており、政治内部に調整をうまく実施してほしい。テレビを見ても興味が湧かず生活に潤いも生まれない。ぶろぐの周辺に題材と思える何かが生まれて、犬たちの遊びの具材にでもなったらよいがなと思う。
晴朗な天候に恵まれ温和な5月を迎えられそうである。コロナも感染者数も幾分落ち着いた数にとどまりつつあって国内の情勢も行く部の様りつつある様であるが予断を許されない。コロン、感染者、天候とこの3者、お互い影響し合って気節と共に推移してゆく。順風駘蕩の渦中にあって何らべき言うべきことを語るべきことを知らず、一人佇みて思索するのみ。
殆ど家内に蟄居して周辺を見回して取りあげる話題左程多いものではない。ましてコロナウイルス感染下の相当指導下の現状では、地理上げられる項目とても非常に少ないのが実情である。折から季節的に曇天が迫り晴れの爽やかな時期が過ぎつつ在り、心配である。ウイルス感染の下での鬱陶しい天候の下での、いよいよ到来の時期梅雨と重なったら果たしてどんな人々の生活が待ちけているのであろうか、大変気になり心配でならない。
京都へ束の間の移住を決め移り住んでから、既に約50日が過ぎた。確かに人の動きには多かれ少なかれ人心も移り変わり易いものである。何といっても娘一家の隣家への移住だけに、最初左程気にしなかった事柄でも.いざ事実住むとなると、それ相応の人の心が動いて初めてうまく生活できるものなのである。人生94歳と年齢を重ねるとロイロs事に出会う身になのですね。でも過去に気随て経験が何処でも人を明日けることが起こるものなのである。機種が変わり扱いが多少変わっても思いきや、其処が素人の流の浅はかさであった。今日は5月5日子供の日である。コロナが世界中感染拡大中で、外出はおろか散歩もままならぬ現実世界である。挙げて病魔に取り組み中である。
今迄遠慮して間違ってはいけないと、無料通話とスマホだけに限って二人(育代さんと恵美子さん)にかぎり、しかも偶々先方世田谷からの電話を貰い、今日珍しく会話したわけである。間違いに怯えて、ここ京都へ移住させてもらってから、電話やスマホなどとの交信通話が億劫になったようある。折角の京都、しかも娘夫婦の所へ同居させてもらえるなんて、こんな幸せなことは、生涯滅多に起こることでは無い。スマホを相当調べて簡単な文章は書き加える事が出来るようになったところで、ペンを全部新規に取り換えたので斯様な結果になった次第である。これまでの経緯を、ひとくさり述べた理由である。
今迄遠慮して間違ってはいけないと、無料通話とスマホだけに限って二人(育代さんと恵美子さん)にかぎり、しかも偶々先方世田谷からの電話を貰い、今日珍しく会話したわけである。間違いに怯えて、ここ京都へ移住させてもらってから、電話やスマホなどとの交信通話が億劫になったようある。折角の京都、しかも娘夫婦の所へ同居させてもらえるなんて、こんな幸せなことは、生涯滅多に起こることでは無い。スマホを相当調べて簡単な文章は書き加える事が出来るようになったところで、ペンを全部新規に取り換えたので斯様な結果になった次第である。これまでの経緯を、ひとくさり述べた理由である。良く書き善く長文を記し整え、10数年間に亘リ、多くの論文に仕上げたものであった。思い出の論調は尽きない。交信は相互交流が自然の流れなのである。明日から週2-3回程度の自然な交流を心がけようと思う。
様々な情報が乱れ飛んで沢山のそれは確かに多い、聞きたい掴みたい情報は多くの人の耳目には到達していない。何とかコロナに隣接する情報は無いものかと模索しても、中々に到達できない。核心に触れるものは無いかと探すが只今の所はぎょっと無駄のようである。
雨が上がったら早速もう待ったなしの自宅のドッグランだ!雨粒が濡れた葉先を陽光がはじいて、もう社内のケージで、どの犬もそろって毛繕いである。家中皆そろって元気だ。此方はゆっくり休んで、日記の後追い書きである。コロナウイルスの感染拡大で、行動は制約されるし大幅に人間生活が制約されし、地球が揺れている。
人のスマホの操作見ていて感嘆かと思いきや、仲中習得には容易でないと知った。今初めから教本を見直して、あまt理高いところを目指さずに、歩一歩ゆっくり進むことを目指したいと、遣り始めてる。確かに教本を調べて一歩一歩進めて行くと容易でないことを知った。低位置で家人同士のやり取りがどうにか、出来れば、そこを目指せば好かろうと思う。世間の意向や自然の有様を観察して行けば楽しいであろうと思う。