この8月5日には約一日半掛かって、弄り過ぎで元通りにならなかったこのパソコンを元通りに出来た。今日も又先般と同じ迷路に差し掛かって先に進めない。Windowsは親切ながら、多くの人を対象にしていることから、ずばり質問には答えてくれない。原則や例示を提示して下さるが、残念ながら、答えが右往左往して仕舞い、先に進めず用にならない。もう一度ならず何度も繰り返し本を見続けても解結には至らなかった。もう一度勉強し直してこの先を考えようと思う。
貼り薬や噴霧薬を購入して、部屋の隅々を清掃消毒した次第である。所が翌日朝未だき、寝室の脇机の横面に虫の死骸が散逸しているではないか?大変吃驚して清掃の上当日又噴霧を重ねた始末であった。清掃と消毒を完璧に実施して様子を見ながら、部屋を毎日窓を開放し続けたわけである。そのうち吾が背中に掻痒感を覚えるようになって、これは大変と色々薬を貼薬したわけなのである。それから2か月我が闘争は続いたのであった。それが昨日から点薬もしないで、あの掻痒が全治と言って良いくらい消失したのに気付いた次第である。快哉を叫ぶ気持ちが沸き上がり本当に嬉しかった。これには、夫々医師であるわが娘と息子の、献身的な教示と施薬と指導とが何と言っても奏功したのであり、二人に感謝の気持ちを捧げ報恩したい。
高齢者の身体情報は単純な様で、事実は複雑多岐に渉り、それが叉比較的多い様でもある。愁訴と称する患者の訴えは、口外しないだけで、本人の感覚的な身体情報は、人生の長年の経験者故に、それは複雑多岐と言って良いと思われる。約一か月に及ぶ掻痒症の体験は、確かに患者本人でなければ詳述できない程、些細でそれだけに口外して口伝できないものが有る。もどかしさが患者治療者に存在することは、ある程度止むを得ないことかも知れない。幸いの私の場合、子供二人共に、臨床経験を多年経た内科医であるだけに、自他覚の訴えが即座に以心伝心的に相手に伝わる故に、速戦即決で治療方針や貼薬や、病状との関連性など、相互理解が速やかに理解納得できたので、従って治療も推進し症状改善も速やかであった。あれ程の掻痒も改善され、日常駅な便秘なども即座に服薬出来るなどして、その対応も迅速な流れであった。閑話休題;自分自身の医師験経験70年の体験も、無論応用できたものと思惟している。
二百十日や十五夜、敬老の日、重陽の節句、そして彼岸の入り、秋分の日などが連綿と連なる。それが長月の行事の特徴である。今日は当たパソコンいじりの一日であった。これがあると色々研究心も沸いてた惜しい時間が送れる。午前中便秘があるので風呂に入って腹部をもんでっ売りを促した。午前中にリンゴと野菜を買いに出かけて来た。動くことも大事であろう。夜分には息子が楽々軟膏塗りを買ってくれた。何やかや本当に助かる。明日は又もっと良い日になるつもりである。
天気の動向は確かに日常生活を左右する。だがこうも不安定な天候が天気を支配するとなると、その変化に対応する手立てを日常生活で講じねばならない。もう半年も前にWindowsのリーダーとテキストブックを最大限網羅研鑚したつもりでいたが、ここへ来てデスクトップ画面その他に、新たな局面や従来と異なる文字などが出て来たので戸惑うことが多い。昨日も盛んにテキストを再研鑚し見直したが、明確な自信は得られなかった。しかし大部分はこのパソコンの仕様に、支障はないのだからと思いつつ、今日も弄り続けている。閑話休題、中々に終息を告げて欲しいと思いつつ、あれこれ苦心してきた背中の掻痒症、やっと峠が見ええ来た感じである。初めから娘・息子の世話に成り、今も内服を続けて来ているが、睡眠が普通に取れるようになった。もう一息であり頑張ろうと思う。貼付薬も不要になればと、思っている次第である。
大凡の病態が回復して日常の昼間には左程この痒みの為の支障は見られないものの、夜間床にはいると寝かえりの度に、背中の痒みが気懸りである。常々一緒に生活している息子にとって、私のその一寸した訴えが気になるらしい。痛みと異なり痒みは微症状での訴えであるので、患者もその訴えを聞く方でも病態の限度が不明である。でも丁度今日は息子の連れ合いの啓子さんが医歯大での検診の日だそうである。その序の車に便乗させてもらって、こちらも序でにちゃっかりコンサルテーションとセカンドオピニオンの意味を含めて受診することとなった。息子の立ち合いの上で、日常的な注意が主で、内服も投与を受けたが、背中への塗布が難しい。時に息子が背中への塗布はして呉れるとのことであった。もう一息の痒みだけに周囲も苦心惨憺であったようだ!本人は本当に辛い症状だけにこれから快方に向かえば勿怪の幸いである。帰宅して昼食を摂る。まだ3日前からの便秘もお通じしない。今日は昼間如何にか頑張って如何しても通じたい。相当胸や額に汗だ出るくらい頑張った。やっと通じた少し。それから約30分また頑張った。中々通ぜず旨く行かなったが、ついに1時前にやっと通じた。便秘解消である。植木に水をやってから落ち着いて、午後2時昼寝を開始、嬉しくて容易に値付けなかったと言う事であった。体の不調が回復することがとっても嬉しい。
国際国際と叫んでいるものの、会議は纏まらずてんでに主張が交錯するだけで方向性は不安定の侭である。果たして此れで良いのであろうかと、市民は心配している。G7は枠組み事態の希望は変わらないが、自国優先主義が罷り通っているようである。中国の政治姿勢の歪みが出て来ているようであると、朝のテレビの政治討論会は述べている。中々に難しいことが多いこの世に中になってきたと言う思いが強く感じられる。それはさて置き、今朝の玄関の涼しい風の動きは正に秋風と言って良いくらい涼しく爽やかで、あぁこれが秋の涼風を運んできてくれた秋なのであるなと言う、思いが強い。久振りに公園に立ち寄って、自然の秋を眺めて来ようかと思う。帰途若干のお買物をしたい。
秋を称えるにはまだ少し早いと思われるが、彼方此方に急いで忍び寄ってきた秋の気配、その早さに驚かされる。如何しても季節の風物詩には心惹かれる思いである。草叢にはチチロが鳴き始めている。さながら早秋の気配が推移し動き始めて、人々の心を静かに惹き付け落ち着かせてくれている。菊の花はまだ旬にはならないものの、何時でも菊花は花屋さんのお店を彩って美しい。落ち着いて読書や書籍の整理には持って来いの季節の到来である。
雨に濡れた葉月の終盤、あと一週間で8月ともお別れである。娘と息子とが連絡し合って、話しあったみたい。まだ僅かに症状として痒みが背部と腰部周辺に残っており、内服を続けているものの、完治とは至らぬもどかしさが残っている。創傷ではないが起伏部があり、本来の皮膚の傷なら略一週間ぐらいで跡形も、無く消え去って仕舞うのだが、一寸ばかり粗造感が残っている様である。痒みが無ければ、それで全て良しと言う訳であるが、夜間の就寝中に掻痒感に気気付くことが屡々あるので、完治ではないのかと思いつつ、内服は続けている。早く如何にかなって欲しいと願って居るところだ!気が付くと今日はお地蔵様のお祭りの日である。夕方から地蔵様像の周りに祭壇と果物が供えられて、御燈明が点けられ、町の子供たちがお線香を手に手に捧げ持って、参拝者に奉仕をすることでも子供たちにとっても嬉しいお祭りの日夜である。夜9時半過ぎには参詣者も途絶えるので、お祭りも終えると言う事に成っていたのである。想い出は、兎に角楽しく嬉しい地蔵様のお祭りであった。
その季節折々の事がらや、自然の推移、動植物の生態などを調べて生活を豊かにしようと思いつつ、億劫で中々に本屋さん迄足が回らない。生草坊主なのである。街中には八百屋さん、本屋さん、文房具屋さん、果物屋さんなど、欲しいものが身近に買えて便利だった。スーパーと称して各種を取りそろえて売っているが、丁度良いものに見当たらない。クリーニング屋さんがお店を出している位なものか、と淋しく思う。神田の古書店にでも行かないと格好の書物が見当たらない。車社会で便利になったものもあるが不便になったものもあって心残りがして堪らない。矢張り足を運んで頑張る外無いものと思われる。そろそろ昔のメイの犬小屋を探し整えて、11月に赤沢へ京都から皆が参るまでに、取り揃えておかねばと思いつつ、準備に取り組もうかと考え初めている次第である。