日々是好日

懐かしき過去、期待の未来を希んで!

皐月闇ならぬ不安定な月末、マンゴウの美味しさを味わう

2016年05月31日 | Weblog

  遂に皐月も終を迎えた。明日から水無月で爽やかな緑濃い水無月を期待して迎えよう。友人からまんごうの贈り物を受け、早速冷やして賞味した。あまりの美味しさに食べて元気百倍である。矢張りこの美味しさでは産地でも価値は高値で売られるのであろう。今日早速お礼状をしたためた次第である。天候は昨日の、“降るとも見えじ春の雨”から、“俄に襲う夏の雨”であった。霖雨や豪雨の状況では一日が積極的な行動がとれない。昨夜の一家総出の家内の快気祝いが、嬉しく滞り無く全部済んで一段落した。家内の嬉しさも落ち着いてホットしている様子である。ただこれから日増しに快方に向かい、完全に健康回復に落ち着くまでは、皆で介抱援助せねばと思う。家族一同が益々健康で元気に暮らせれば、それが何よりである。改めて、幸福の意義を噛みしめてゆっくり落ち着いた日々を過ごそうと思う。薄曇りから本曇りになっている今日の唯今である。屋上の洗濯物が、それでも間もなく乾くことであろう。お昼休みに家内を連れ出して中華を一寸だけ食べに行こうかと考えている。

 


皐月の三十日、もう一日で水無月

2016年05月30日 | Weblog

 今日と明日でこの平成28年の皐月も終りである。気象異変で雨、風に惑わされて、緑の皐月闇は昔の風情通りには訪れなかった。暖かい春に釣られて、植物類が皆揃って早咲きを見せたり季節外れの装いを呈したのは誰しも頷ける道理であるが、この様に変化が激しいとついぞ気象に自然が惑わされてしまっている様で情けない。もう厦っての日本の風物詩は甦らないのかも知れない。今朝も大雨で一日中雨模様であると言う。午後は幾分雨が少なく上がると言うが。昨夜は家中で家内の快気祝いを行えた。今日は京都から娘が上京して退院の喜びを共にすることが出来そうである。私は雨支度をしてこれから登学である。学校役員行事が一応終えたので、今日は気楽である。その分天候が早く回復することを祈っている。また夜分には娘を交えて快気祝いが三茶で行われる予定で楽しみである。唱歌の「四季の雨」らしく情緒を掻き立ててくれないものかと希求している。これから今夜の集会お祝いの会へ、京都から態々帰省した娘を中心に家内の快気祝いをが開かれる。三茶の魚介海鮮料理中心の、ガシラ料理店だそうだ!


行雲流水一家安穏、家内の健康回復ももう其処まで軈て!

2016年05月29日 | Weblog

 丁度50日の入院と手術、一族一家皆で挺身奉仕し、名医の手術による回復、家族一同の願いが功を奏し、見事50日目に退院出来た。今は徐々に固形物を含めて食事を通常に戻すべく、本人日々努力の最中である。木々の緑が豊かに生い茂り、気候も夏日をも交えて、いつの間にか水無月6月まであと2日と迫って来た。今日は息子の意向で一家だけの快気祝いである。退院帰宅して初めての外出であるが、便利がまだ完全に回復しては居ないが、一少時間孫達も帰省して来るので、心ばかりの顔合わせのお礼を兼ねた会合である。退院後5日目の家内の体の調子が、略短時間の会合に応えられそうで、今夕のお祝いの会合となった次第である。あと一ヶ月から2ヶ月で順調に回復出来、体姿も体調も元に戻るものと期待している。快気祝いが出来ることは喜びであり幸せそのものである。


今朝も雨に見舞われたが、東京着時は晴れ

2016年05月28日 | Weblog

 宮崎の朝は雨だった。気象情報では晴れだと言っていたがそれは東京地方のそれであった様だ!昨日羽田を発った直後大贛航空機が故障して羽田は大混乱であった。一瞬の幸いで宮崎へ無事着陸し会議を終えた次第であった。今朝は若干の遅れはあったが、羽田へ11時35分着いた。、学院長と二人でモノレールから国電に乗り換えるところで別れた。常務は故郷鹿児島へ立ち寄った様だ!祐天寺駅で中食を買い求めて帰宅。ゆっくりと昼飯を自宅で食べて、旅の疲れを癒した次第である。その後夕頃までぐっすり寝込んだところだ!メイは昨晩私が留守にため探していた様で、ぼんやりじっと眺める人間に認知症の様な症状を呈したため、薬を与えたようであった。だが今日はすっかり元気で夕食後寝るまでに、何と!「廊下と居間との往復全力疾走」を20回程実施して水を飲み落ち着いた様で安心した。大丈夫である。家内も回復基調にあり食事の方法や食種など選択して慣らしている様である。今日はゆっくりと休もう。


驟雨の中宮崎へ出張、伊勢志摩サミットも無事終了

2016年05月27日 | Weblog

   G7による伊勢志摩サミットが今日で終了である。その後アメリカ大統領は広島の原爆記念館や資料に具に眼を通して、現在の世界の原爆のあるべき姿を自身の意見として開陳して世界に警告を発するようである。今日はこれから羽田をへて宮崎へ理事会の為で掛る予定で、既に準備は完了している。夜来の驟雨が一向に降り止まず、大きな傘を射して朝早々と家を発った。バスが遅れ地下鉄は超満員で身動きが出来ず、国電も渋谷から浜松町までぎっしりであった。こんな超満員の電車は此処10年来の経験である。早くでて来て本当に良かったと思っている。航空機の出発点の待ち合いには、既に2人が揃っており、今5分前に着たばかりと言っていた。宮校に着いて昼食を皆と共にし愈々13時からの理事会である。陽光が燦々と射し半袖シャツでも暑い日差しであった。校舎沿いには大きな「あふち」、とも「おうち」とも言われている栴檀の大木、その緑が雨上がりの陽光と緑風に揺れて、とても季節感に溢れる美しさであった。理事会は無事済んで夕頃早めの懇親会へと移行した。多忙な一日であったが、伊勢志摩サミットも無事済んで成功であった様だ!安倍さんの尽力に天気も味方して晴れたようである。家内とメイのことが心配であったが、退院後3日後だけに留守にするには忍び難かった次第である。


昔の風物詩が懐かしく、今体感できないのが淋しい

2016年05月26日 | Weblog

  「五月闇蛍飛び交い水鶏啼き卯の花咲きて」などなど、今では都会は固より田舎の農村地帯でもそれらを体感する事は困難である。科学や文化が進展するにつれて、素直で自然な風景や情緒が失われて行くのがとても淋しい。写真は卯の花であるが、最近では庭師さえもこの名だたる名花を知らず刈り取ってしまって平気の平左だ!情けない。況してや皐月闇や水鶏などは、それはどの料理にでてくる?等など、笑止千万である。多忙でうっかりすると起き忘れされない等の現代のスピード社会では、自然や人間性などは一顧だにされない。情緒や人間の自然との関わりなど、例えば自然文学なども放置されたままである。人間が環境と対話し親しんでこそ、円満な人間としての社会生活が送れるものと信じている。霖雨ならに驟雨が襲って来て明日の宮崎行きはどうなるのであろうかと、それが気掛かりである。


皐月25日、家族一同愈々元気をモットーに!

2016年05月25日 | Weblog

 愈々皐月も略3分の2を過ぎあと僅かで梅雨入りである。十分緑の快晴は楽しめたが、例年に比べ矢鱈に夏日が紛れ込んで来て過ごし難い日が多かった。家内も昨日無事退院して自宅での静養旁々栄養補給を心掛け健康回復を図っている。メイも昔ながらの家内との生活にも慣れ始めて、ほっとしている所である。これからは一日一日を大事にして健康で怪我の無い日々を歩もうと思っている。明日一日を置いて27日は宮崎校での理事会に出張するが、三重県でGセブン開催で警戒が厳重の中、羽田からの飛行機に障害や遅れでなければ良いがと願っている。さて今日も身なりを整えてこれから登学である。家内も少しずつ家事に慣れつつ、無理をしないように万事進めている。


家内退院の日、一統一家大喜び

2016年05月24日 | Weblog

 正50日にわたる入院、勿論年齢と手術部位の相違等で期間が長引くことは、良くある事実である。私も現役時代の執刀者の立場を考える時、ケースバイケースで予定通りの日程を組めない場合も少なく無かった。今日の如く手術機器の開発発展や、手術方途の発達の成果は、止まる所を知らない程の目を見張るものがある。取り別け精緻な手術に関しては、人智を尽くしての成果こそが人命を助け術後の良好な結果を招来し、それこそが健康回復の第一義であろう。家内は息子、娘の指示指導により、今日の良好な成果を見たことは、誠に幸運であり、また関係者の大きな努力に負うことが多い。その恩返しの為にも、今後末永く健康で長生きをして欲しいものと思われ、周囲の誰彼もが努力と援助とを十分に発揮すべきである。写真は「卯の花の匂う垣根にホトトギス早も来啼きて忍び音もらす夏はきぬ!」の、夏は来ぬの叙情詩の名文句である。


皐月の緑の快晴何時まで続く!明日は退院日

2016年05月23日 | Weblog

 昨日に比して今日も緑の快晴の日である。これは予報ではずーと続くこととなっているが、長期予報では何時崩れるかは不明で、その間の1~2日は時雨もあることであろう。明日は家内の退院日であり、寝具や畳部屋なども綺麗にして、窓を開け放して家中を空気の流通を完璧にした。寝具のうち肌掛け綿毛布や薄い綿布団や、肌障りの良い綿毛布3点を、朝早く屋上に干して、明日気持ちよく使える様に用意してある。明日の手続きは息子と本人に任せてあり、その署名だけは私の大事な役目だ! 凡そ準備万端で、明日朝早く柔らかいご飯を炊いてお昼過ぎに帰宅して家内が直ぐ食べられる様準備して出掛ける用意をしてある。幸い明日は息子の出勤の車に便乗して、少し早いものの、諸般の手続きを済ませて、愈々タクシーで待望の帰宅と言うことになる。何とも嬉しい限りである。これから新しい落ち着いた悠ったりとした生活を家族一同で送り、明るく皆で元気に健康を維持したいと思う。

 


今では誰も知らない5月22日、遠行競争その昔、家内の退院を喜ぶ

2016年05月22日 | Weblog

 その昔戦時中に、吾が県立中学は5月22日の今朝、正0時校門を一斉に出発して秩父神社までの往復64kmの遠行競争に、暗い真夜中にスタートした。「その意気や壮なり」と言うべしであった。寧ろ当たり前で少しも高ぶるところは無かった青少年であった。何しろ14歳から18歳の選ばれた中学生であるからである。全県下で五校しか県立中学は無く一中学150人定員で、一つの中学で全校750人だったのである。何しろエリートを持って任ずる若き新進気鋭の戦時中の若人達であった。その意気込みは正に天を衝くものがあった。今時こんなことを書くと笑われる方も有ろうと考えるが、戦時下の銃後の若人こそが、国を担う重責を託されていたものと、国民全部が覚悟していたのである。自らを鍛えることが心身鍛錬の最先端で要望され、それが自然であったわけなのである。当時青少年学徒に賜りたる勅語奉戴記念の日の学校行事であったのである。途中憩いは取れるが、大体9時間半で秩父神社に到達できる行程であった。午後2時頃が待機の終末時間であり、秩父電車で帰校出来る予定構想通りに、実行出来たのである。懐かしい記念すべき学校行事で、思い出となっている。退院を間近に控えているのでいろいろの打ち合わせに病室を訪ねた。家内は頗る元気で明後日のその日を待つ焦がれていた。色々憶い出すことが多く語りきれないが、退院の幸運を家族一同に完璧に伝えて行きたい。