街の名前が示すように吾が不動岡町の今日は、お不動様の祭日である。不動様の日には山門を開け登楼が許される。そのほか8月16日も祭日である。正門左右の二つの仁王様、よく眺めながら暗い階段を登りつめて2階の回廊部に達する。そこからぐるり回って四方を眺めることができる。絶景かなとは言わずとも、年2回しか上がれない山門、それは子供にとっては大変珍しい眺めであったのである。子供心に嬉しかったお不動様の御縁日、広い境内にはその他沢山の子供用のお祭り業者が店を並べ賑わったわけである。今は閉鎖されて登楼できないのが寂しい。明日は本校の卒業式である。卒業生にとっては記念すべき大事な、区切りの雄飛の日となる。早春の快晴日、明日から弥生三月、気分も爽快、明鏡止水、行雲流水で行動だ!今日はこれから明日の身支度と、祝辞の大筋を整えようかと思う。
今朝早めに午前10時、急遽5日前に、依頼された1年4ヶ月前の原稿の突然の校正が、一昨日来済んで、その受け渡しを上述の通り今朝、取り急ぎこの学校の会議室で受け渡しが済んだ。私が現役中で用事が果たせて、間に合う異例の事柄であった。母校の大学100周年記念誌の発行行事の一つなので、僅か5分位の説明だけで幸い話が通じ、簡単に渡せて安心したところである。明後日は卒業式、さて国試の自己採点の結果はどうであったか?気になるところであったが、両学科共に100%と96.1%合格する見込みが決まり、内心ホッとしているところである。 今日の会議で役職員の定年の議題が項目に盛られた。定年と意向を会議進行からの様子で察するところ、辞任の役員も出そうであり、その対応策も取られたようでもある。多忙な新学期も開始され、期待と希望も、新たにされるようである。
今から遡ること80年前の今朝、2.26事件は起がた事件の日である。国をおもう陸軍の青年将校達が蹶起して、政府の3大臣・教育総監を払暁殺害した。あれからもう80年を過ぎている。寒い降雪の日であったようだ。終戦後私が小学4年生の時代の出来事であったようだ。今もNHK前道路西側にこの事件の哀掉記念の女神像が建立されてあり、手前の生垣小園に、今を盛りの梅の小木に梅の花が咲いていた。時代の推移に驚きを禁じ得ない。よく晴れているものの、飛行機雲が3筋富士山方向に棚引いている。明日は天気が崩れよう。
あっという間に如月も既に25日を超えた。あと3日で愈々弥生3月である。ひな祭り、啓蟄、彼岸と季節が移り変わる。同時に春が、真面に社会や人間生活に現れて来る。学校でも入学式や学期初めのオリエンテーチョン等で大忙しになるであろう。学生は無論先生方も大変である。今日明日は続いて快晴である。家内の髪結いの留守番をメイと一緒にしながら、昼寝を試みた。居間の絨毯が電熱で暖かい上に、窓から陽の光が差し込んでおり格好の休息日和であった。
確定申告に必要であったためと家内が一足先にマイナンバーを取得した爲、こちらも今回申し込みをして、今日がその受取日である。書類は万全であり会場の混み具合が気掛かりだが、指定時間のメールも届いており、少し時間前に会場に到着すれば大丈夫であろうと思われる。さて、髭を剃り身なりを整えて午前9時頃出発しようかと考えている。意外にも左の通り十分に手順手続きも済んで午前10時前には全部が終了し、マイナンバーも受け取った次第である。帰宅して今日明日中の予定は、母校の100周年記念氏への依頼原稿の校正を仕上げる事と、本校のつい先日の国試の成果の自己採点の結果が、如何であったかが気になるところだ。三月一日が卒業式の日なので、その準備も整える必要もある。手続きは無事早々に済んで終了した。そしてまだ10時までに10分ほど時間があったので街中を逍遥して10時過ぎデパートで買い物をして、早や11時過ぎには帰宅できた。準備をしていれば如何というっことはないと思う。今夜はゆっくり入浴して、依頼原稿の校正だけが仕事である。
今日で皇太子様は56歳のご誕生日を迎えられ、両陛下の益々のご健康とこの国の発展を希求されておられる。恐懼感激の極みである。今後の皇室と我が国の発展を祈るや切なるものがある。今日は天候が荒れ模様で夜来の雨と強風が今朝からは吹いてきた。低気圧の発達で今週一杯は不安定な天候が続くらしい。早春の花々が公演や個人の庭先に綻び始めている。家内がメイト同じ布団で寝んでいる為、夜間時折足が攣って痛みを伴う為、一昨夜から昔からの寝台ベットを畳部屋に移して休むことにした。メイが慣れないといけないと心配していたが。結構適応して、夫々のベットで寝られるようになって、症状が改善して、本当に良かったものと喜んでいる。もっと早く対策を講じておればと悔やまれ、遅きに失したと思われる。まだ二日目で、寝起きと足の攣れが解消しそうな傾向がみられ、本当にこの対策を喜んでいるところである。さて、医学部の教室の沿革史その校正と、来週半ばの卒業式での祝辞などで若干多忙である。
狭庭で南天や「雪の下」ばかり、早春には何か梅椿などの彩が欲しい。今春から百日紅や、夏場に咲く花類を求めて、狭い庭へ、彩りの多い花咲く植木を移植しようかと思う。近くの花屋さんへ行って適当なものを探して、夏場の彩りを1〜2追加しようかと思い、ベランダに花咲く植木類の綺麗さを考慮、今そんな事を考え付いた次第である。昨日は母校の卓球部の今年の巻頭言を書き上げメールで送付した。又、アイスホッケー部の納会の出席通知をメールで送付して、宿題を終えた気分になった。昨日の電話で、今日は弟子が午後、今の学校を訪ねて校正を依頼に来るそうである。とっくに上梓して大学の紀要等に、既に載っているものとばかり思っていたが、まだ校正の段階であったそうである。今日から気分を一新して、地道にこの早春を、歩んでいこうと思う。本校もあと一週間で卒業式である。
昨夜突然に、いつか記述した依頼原稿の校正を、遅くなったが改めてご依頼したい由の、電話を受け取った次第であった。校正は任せると言ったものの、固辞され是非伺ってお願いをしたいと言うので、明日学校で会議後に会う約束をしたところである。と言っても、その原稿は、既に2年前の開学100周年記念誌用のものであったのである。私は上梓を済んでいるものとばかり思って居たものである。その外大学運動部の依頼原稿も今月中の締め切りもあることも頭を過ぎり、この二十四日にはマイナンバーの受け取りなど。そしてこの月末、すなわち来月一日には、本校の卒業式もあるので、あれやこれや一寸ばかり気掛かりである。ままよ!どうにかなるの心算で今週頑張ろうと思う。
歴史書を紐解けば、この五にん方がこの時期薨去乃至歿している。天変地変か季節の移り変わりか、昔日の気候変動は凌ぐに大変であったようだ! 夫々に偉大な業績や箴言を吾人に遺していおられる。春風駘蕩ならずとも春の日差しが日ごとにその風合いを増してきて、今正に早春ながらも陽の光が穏やかに、小鳥の飛翔や囀りも明るく、木々の緑の若葉も色濃くなって、枝先に花目を開きつつある。春の風景や風物は、本当に人の元気や活力を増進させる。誠に良い季節を迎えたものである。花鳥風月がずべて、これからも徐々にお膳立てが整っていくことであろう。サァー元気を出して春の跫と共に頑張ろう。
氷雪溶けて雨水温み、地下に地上に草木の萌芽がきざす24節気の一つの季節である。これからは花樹の季節でもある。梅や菜の花は既に、クロッカス、沈丁花など、桜はあと半か月、その他諸々の花々はそろそろ咲き出している。このところ急にベランダのブーゲンビリアの、赤、白、桃色の花弁が咲き出している。学校でも今月末の国試を経て、自己採点で合否を自己判断できるとして、この三月一日の卒業式を迎えることとなる。早いものだ!もう3年間が過ぎようとしている。この四月からそれぞれの医療職に着任し、出発することとなる。良いもてなしの祝辞を、餞け様と思案しているところだ!一昨日転んだ怪我もどうにか縫合もせず傷の手当てだけで済みそうで安心している。卒業式には普通の顔立ちで出られそうで安心である。メイも良い子で朝食を摂って今は寝室で寝ている。太陽が家々の屋根を照らし始めている。春の出で立ちである。