昨夜も冬の毛糸セーターを着込んで入浴後の憩いの時間を過ごした。今朝の散歩で皆が「寒いですね」もう6月というのに!と囁き合っていた。庭師がきれいにした公園の草刈りは、肝心の根ごと刈り取っていないので、すぐ芽が伸び始めてしまう。どくだみが咲いていた。
メイは昨日と違ってとても元気、公園での鞠投げは10数回に及び、帰ってからブラッシングそして廊下での5回の鞠投げに興じた。路地庭の柿の枝、樫の枝,建物をよじ登って蔓延り伸びてきた蔦の枝葉なども、剪定ハサミで切除して綺麗にした。メイがちょこちょこと側に寄ってくるものの、家の周囲を折角走り易くしたのに、自由に飛び回ってくれない。
今日の寒さ、4月初旬の陽気だと言う。これでは走り回る元気なども起きないのかも知れない。も少し陽気が良くならないと。
メイは昨日と違ってとても元気、公園での鞠投げは10数回に及び、帰ってからブラッシングそして廊下での5回の鞠投げに興じた。路地庭の柿の枝、樫の枝,建物をよじ登って蔓延り伸びてきた蔦の枝葉なども、剪定ハサミで切除して綺麗にした。メイがちょこちょこと側に寄ってくるものの、家の周囲を折角走り易くしたのに、自由に飛び回ってくれない。
今日の寒さ、4月初旬の陽気だと言う。これでは走り回る元気なども起きないのかも知れない。も少し陽気が良くならないと。
5月は何と歴史的に記念すべき事変のあったことが多い月である。今日は山崎部隊のアッツ島玉砕の日である。明日は東郷平八郎元帥の逝去の日であり、明治38年5月27日日本海海戦で連合艦隊司令長官として、ロシアのバルチック艦隊を全滅させ日露戦争を勝利に導いた将軍である。忠誠の士の絶大な国益を発展させた数々は歴史に輝く偉大な業績である。
ところが今の政治はどうだ。国を憂うる士が皆無である。私利私欲や党略にのみ走り、荏苒日を過ごしている連中のみである。誠に情けなく残念の極みである。国憶う心無き烏合の衆である。憂国の士出でよ!と叫ぶや切なり!
快適な空の旅を往復ANAで快適な旅を満喫して帰京した。帰宅は午後12時半であった。
帰宅してメイが中学の運動会の太鼓や競技の号砲に怯えていて可哀想であったが、運動会の終了と共に夕刻には落ち着いてきて、今は横になって寝ている。安心した。写真は娘のブログからの引用で、7月3日頃の半夏生の頃に咲く半夏生の花?や葉である。
ところが今の政治はどうだ。国を憂うる士が皆無である。私利私欲や党略にのみ走り、荏苒日を過ごしている連中のみである。誠に情けなく残念の極みである。国憶う心無き烏合の衆である。憂国の士出でよ!と叫ぶや切なり!
快適な空の旅を往復ANAで快適な旅を満喫して帰京した。帰宅は午後12時半であった。
帰宅してメイが中学の運動会の太鼓や競技の号砲に怯えていて可哀想であったが、運動会の終了と共に夕刻には落ち着いてきて、今は横になって寝ている。安心した。写真は娘のブログからの引用で、7月3日頃の半夏生の頃に咲く半夏生の花?や葉である。
1193年今より907年前曽我兄弟の夜討ちがあり、兄弟の孝心と、薄幸な生涯とが民衆の間に広く共感を呼んだという。その後成った曽我物語に 1、人は巧みにして偽らんよりは、拙うして誠あるに如かず。 2、身の楽しむ時慎むべし、心の驕る時恣にすべからず。とある。人生の至言にして永遠の倫理である。拳拳服膺すべき理である。
今朝早朝家を発ち宮崎校に向かう。午前11時宮崎空港に着き学校には11時半頃到着した。早速理事長ほか各理事と懇談する。午後一時からの決算理事会で学事報告をpptで行った。夕餉を皆さんと共にして、歓談極めて楽し!
さて、就寝前政局に変化あり、tvで知る。もっともっと、まともになるべし!と期待する。
東京を離れ宮崎に在って独り家郷を憶う、父母に頂いた此の身、大事にすべからざるべけんや!と自重自愛の気持ちが、浩然と起こり、改めて亡き父母と祖父母を追憶し、しばし有り難さを味わう。本日の天気は、“平安晴れ”と気象予報官が述べていた。左の通り第一級の夏日和であった。
今朝早朝家を発ち宮崎校に向かう。午前11時宮崎空港に着き学校には11時半頃到着した。早速理事長ほか各理事と懇談する。午後一時からの決算理事会で学事報告をpptで行った。夕餉を皆さんと共にして、歓談極めて楽し!
さて、就寝前政局に変化あり、tvで知る。もっともっと、まともになるべし!と期待する。
東京を離れ宮崎に在って独り家郷を憶う、父母に頂いた此の身、大事にすべからざるべけんや!と自重自愛の気持ちが、浩然と起こり、改めて亡き父母と祖父母を追憶し、しばし有り難さを味わう。本日の天気は、“平安晴れ”と気象予報官が述べていた。左の通り第一級の夏日和であった。
天候が異変だ!おかしい。政治はもっとおかしい!そこへ大変残念なことだが、口蹄疫が感染発症してしまい,まだ感染病禦ができず感染が疫病のように、拡大している。どうにかならないものであろうか!科学万能の時代だが、中々に人間社会は上手く行かないものである。早急に対策を建てて知恵を絞り対策を実行せねばならない。そんな中、政治がもたついている.残念で仕様が無く辛い思いである。
朝から晴れて心地よい夏日の今日、散歩の後10時半過ぎ獣医さんを訪問、検診と爪切り、尻押し、薬を飲ませて貰い、シャンプー薬液を買って帰宅した、この往復で2765歩であった。午前中路地の草取りをやって、昼食後に、外の流し場周辺の雨溜りを平らにするセメント打ち工事を、一時間半ばかり実施し終了した。29度Cの都心での夏日であり、大分紫外線を浴びてしまったようだ。
新聞に楠木正成の最期と題して、[決断の日本史]が載っていた。そう言えば4月25日は正成のお誕生日であり、5月25日の今日は、弟正季と刺し違えて自刃した日である。“7度生まれ変わっても”と言い交わしたと“太平記”に記されている。今の政治家には「芯が無い」と言う論調も紙面半分を割いて出ていた。一面には何と大きく「総理 なぜ決断できぬ」と肚の無い総理の意気地無さを慨嘆し、決断を促している。日本のperspecutiveの為にである。しっかりしないと日本は駄目になる、つくずくそう思う。今日この頃である。
新聞に楠木正成の最期と題して、[決断の日本史]が載っていた。そう言えば4月25日は正成のお誕生日であり、5月25日の今日は、弟正季と刺し違えて自刃した日である。“7度生まれ変わっても”と言い交わしたと“太平記”に記されている。今の政治家には「芯が無い」と言う論調も紙面半分を割いて出ていた。一面には何と大きく「総理 なぜ決断できぬ」と肚の無い総理の意気地無さを慨嘆し、決断を促している。日本のperspecutiveの為にである。しっかりしないと日本は駄目になる、つくずくそう思う。今日この頃である。
またしても雨、今年は余程天候不順だ!何が原因だろうか? 今日は偶々、本年度最初の体験入学実施日である。雨の中早朝から参加者学生とその父兄の30余名が出席された。皆さん熱心で教職員も一生懸命に椄遇し、模擬授業やらアンケートに答えて、肌理細かな対応を心掛けている。有り難く、嬉しくよい行事である。皆さんに心から敬意を表したい気持ちだ。体験実習を終えて、午後から在校生・卒業生とのフリートークで実質的な質疑応答や相談などが行われる。それらを総合して、本校の教育の実際、医療人としての職業観などを細かく知り得て、来校出席者の皆さんは、やがての応募や受験の際の、重要で基本的な考え方を確立して行くものと思われる。
旧制中学時代の今日5月22日は、「青少年学徒に賜りたる勅語奉戴記念」の遠行競争の日である。行程は秩父神社迄の64kmの走破である。真っ暗な夜中午前0時に校門を一斉に出発、行田、熊谷、寄居、長瀞を経て正午迄が到着期限時間である。途中草臥れて歩行不可能な生徒は,適宜途中の秩父線の最寄り駅から乗車して帰校して良いことになっている。ただし目的地秩父神社迄制限時間内に到着できないこれらの生徒は.教練の点数が乙以下となる規定となっている。当時は戦時中であり、教練万能時代であった。教練の点数が悪いと進学がまず不可能の厳しい時代であった。凡そ9時間半位で到着できたことを覚えている。熊谷辺り迄駆け足で,その後は速歩か単なる歩行である。疲れたら休めるわけで,落後したら教練は乙以下になる。皆必死で秩父神社を目指して頑張ったわけである。お陰で教練は甲で,陸士へも合格できたわけである。今にして考えると、体との苦しい戦いであったが、いま思い出は懐かしく楽しい。
書斎からの柿の木、一杯花実を付けている。涼しい緑のそよ風が書斎に広がっている。
書斎からの柿の木、一杯花実を付けている。涼しい緑のそよ風が書斎に広がっている。