昔からこの言葉をいつか聞いたことがある。「断じてて行えば鬼神もこれを避く」、或いは、「天地を動かし鬼神を感じしめ」、とか。何故か分からないが、この言葉が、仏暁夢の中に朧げながら浮かび上がった! こんなことは未だ嘗て無い。真心を持ってこれに当たれば恐いものは無い、とのご託宣、即ちそんな意味とも取れようというものである。旧制中学、ないし陸士において習った言葉かも知れない。昨日は在京幹部会で思いきって物事を述べた。一部通ったが一部は反対を受けた。帰宅して夕食後午後8時同僚から、慰めの電話が入った。別に気に留めていなかったが、以て瞑すべしと互いを気遣い、いざという時には協力一致事に当たろうと覚悟を新たにした。そんなことで、夕食後早めの床に就いた。安眠すること9時間、今朝目覚めたというわけである。天網恢々疎にして漏らさずとか、世に先哲は貴言を遺している。天地清明以て恥じること無しとも思う。
メイとの散歩は早めに実施した。ボール投げで斜面の囲いの下にボールが入り、メイも抜け出せないで奇妙な声を張り上げていた。抜け口をメイに教えて辛うじて事無きを得た。他の犬がやっていた初めての公園の水道蛇口からの水飲み、それをメイは真似して、初めて、私の両手掌に湛えた水を飲むこともできた。驚きだった。そして暑い散歩や運動を終えたというわけである。夏場での今日は、新しい学習かも知れない。
今日は6月の末日、1年の半分、夏越の祓いの日である。「風そよぐならの小川の夕暮れは禊ぞ夏のしるしなりける」とは、藤原家隆の新勅撰和歌集の35首の中の一つである。季節柄、憶い出深いものがある。
郷里の加須市では、さぞ今頃、“浮き島の里”の水路に、船を浮かべて神官が白装束に身を固め、形代(人の形に切った紙)短冊のちぎり紙を撒き、半年の災厄を負わせて水に流す祓いの行事が、行われている筈である。半越年(一年の折り返し点)の縁としたい。
正午2分過ぎに、責任者から電話を戴き、昨日の件を深くお詫びをする旨の言葉を戴いた。矢張りこれですっきりした。また、明日から頑張るぞと言う気概が、満ち満ちてきた!思いは上記の通りであった。
メイを月末の検診に連れて行った。爪切りと尻絞り、フィラリアの内服など実施してきた。夕頃から雷鳴で怯えて震え可愛想だったが、これも年老いて臆病になった様な気がしてならない!
メイとの散歩は早めに実施した。ボール投げで斜面の囲いの下にボールが入り、メイも抜け出せないで奇妙な声を張り上げていた。抜け口をメイに教えて辛うじて事無きを得た。他の犬がやっていた初めての公園の水道蛇口からの水飲み、それをメイは真似して、初めて、私の両手掌に湛えた水を飲むこともできた。驚きだった。そして暑い散歩や運動を終えたというわけである。夏場での今日は、新しい学習かも知れない。
今日は6月の末日、1年の半分、夏越の祓いの日である。「風そよぐならの小川の夕暮れは禊ぞ夏のしるしなりける」とは、藤原家隆の新勅撰和歌集の35首の中の一つである。季節柄、憶い出深いものがある。
郷里の加須市では、さぞ今頃、“浮き島の里”の水路に、船を浮かべて神官が白装束に身を固め、形代(人の形に切った紙)短冊のちぎり紙を撒き、半年の災厄を負わせて水に流す祓いの行事が、行われている筈である。半越年(一年の折り返し点)の縁としたい。
正午2分過ぎに、責任者から電話を戴き、昨日の件を深くお詫びをする旨の言葉を戴いた。矢張りこれですっきりした。また、明日から頑張るぞと言う気概が、満ち満ちてきた!思いは上記の通りであった。
メイを月末の検診に連れて行った。爪切りと尻絞り、フィラリアの内服など実施してきた。夕頃から雷鳴で怯えて震え可愛想だったが、これも年老いて臆病になった様な気がしてならない!