日々是好日

懐かしき過去、期待の未来を希んで!

大晦日、一年の総括

2011年12月31日 | Weblog
 愈々以て、今日が今年の最後の日である。大晦日と言っても明日から新年が始まるわけであり、特別な感慨があるわけでもない。一年を顧みて公私ともに多忙であったが、持続可能な発展を目指して今年の新年を頑張り抜いて行こうと思う。
 昨夜は一家でアンコウ鍋をつついて、美味しくまた楽しく年末大晦日前の一夜を過ごした次第である。
 娘一家が暮から皆で元気に滞在していて、連日を気楽に楽しく過ごしつつある。ワン子達が3匹でメイも皆仲良く連日をわいわいがやがやと、過ごしている。楽しき哉!吾が家、吾が人生かな!である。
 朝食散歩の後には、娘婿と私二人で、珍しく最近初めての築地場外市場へと、マグロを買にバスと電車で出掛けてきた。予想に違わず人の波で大混雑で驚かされた。大間の生きマグロを購入し、タコも買い帰宅はタクシーで、その途中青山通りで金時人参を買い求め、10時15分過ぎに意気揚々帰宅できた。その留守番と、また犬の散歩に世田谷公園を往復したそうである。今夜は除夜の鐘が世田谷観音から聞こえてくる筈である。昼間の時間帯には、その前練習の為か、大晦日のお知らせの為か何かは知らないが、間引きした鐘撞きが始まっていた。メイはその鐘の音に怯えて踞っている。可哀想だが仕様がない。今夜0時からの108っつの、引き続きの鐘撞きの鐘の音が心配だが、慣れて欲しい。

年末晦日

2011年12月30日 | Weblog
 昨夜午後6時半頃赤沢から娘一家が、私とワン子二人?都合5人が車で、到着した。昨夜は一家揃って歓談して過ごしたわけである。
 今朝は、酷寒の風がとても寒い年末の晦日である。今朝6時前の早朝、息子夫婦と娘婿の3人がゴルフに出掛けた。留守居の私達は、8時過ぎメイを含めて3匹のワン子達と共に、駒繋神社公園方向の緑道を散歩した。寒さがとても強く、北風には閉口し凍えてしまったが、一応皆元気に帰って来た。
 今度は娘とワン子達を留守居にして、午前十時過ぎに家内と二人で、近くの三軒茶屋に、年末のお買い物に出掛けた。店内は大分混雑していたが、いろいろお買い物をして、お昼近くに帰宅できた。お正月のお飾りや、今夜のご馳走の数々を求めてきた。残された皆で、昼食の後に玄関に門松を飾り付けた。愈々明後日からは新年を迎えるので、気分も新たに、良い年を皆揃って迎えて、新年を一家で元気に楽しく迎えようと思う。
 3匹のワン子の中の一匹であるルークが、今日晦日の30日は、8歳のお誕生日なのである。そこで夕食前、皆でケーキを誂えて、お祝いをしたところである。さて今夜は、これから引き続き皆で、アンコウ鍋を囲んで楽しく年末の一夜を、小宴会スタイルで盛り上げようと思う。

世間が全て年末休暇突入

2011年12月29日 | Weblog
 伊豆の山荘での暮らしはあたかも別世界である。自然が豊かで小鳥の囀りも軽やかで、家屋敷と広い庭には、ワンコ達のふざけた戯れが、朝から思い出したように続いている。賑やかで見ていても飽きない。今日から世間はすべて冬のお正月休みに突入である。昨日皆で広げた庭あちこちで、ワンコ達の駆け足運動と戯れがまたも続いている。それらの写真も2~3枚撮れて、先ほどから庭での仮テーブルを設えたお十時のお茶会が持たれて、皆でワンコの遊びを眺めながらの、静かなひと時を過ごしている。庭が植木を移植しての広さは、とても新鮮で広がりが違う。今日はpもう存分にワンコ達とふざけて遊ぼう。border="0">

赤沢での一夜と、庭の手入れ、そしてワンコ達と

2011年12月28日 | Weblog
 昨日の電車での旅の終着駅は伊豆高原であった。娘夫妻の行き届いた接遇のお蔭で、いろいろ歓談やらワンコ達との庭での一緒の遊びと戯れに、元気で楽しいひと時を、夕頃まで過ごしたところである。お茶や夕食後の談話の時間帯は世間話やら、果ては政治の話が中心話題となり、あまりにも情けない現在の政治家どもの行状が、次々に明らかとなって、談論風発であった。入浴後に温かい部屋でゆっくり寝むことが出来た。すべてに行き届いた心ずかいに、驚くやら、さすが偉いと思ったりして、ゆっくり夢路を辿ることも出来て、本当に幸せそのものであった。かくて赤沢での娘一家との一夜は、嬉しく楽しく過ごせたことは言うまでもない。ワンコ達も、お互い仲良く戯れ合って、和やかな雰囲気を家中に感じさせていた。
 今朝は7時に起床して朝食後、庭で思い思いのゆったり落ち着いた時間を過ごした。途中で皆が俄かに鹿の植木荒らしの実態を発見し、さらに数か所に鹿の糞を見つけ、さては最近、また鹿が家の屋敷内に侵入したことが分かり、驚くやらびっくりした次第である。早速糞を片付けた序に、隣との植栽に絡んで育った蔓の幹や枝葉を、総出で取り除く作業を11時ころまで、実施したところである。これまた汗をかきながらの作業は、大変楽しかった。
 ところで昼食には、なんと一番好きなおうどんを娘が作ってくれた。大変美味しく東京の家内に知らせてあげようと思った。それは何故か? 東京の家で、年中一番好きで、年に何度も註文して取り寄せる『おうどん』であったからである。兎に角美味しかった事は勿論である。
 その午後庭の植木を5本ほど移植を娘と二人で、約2時間かかって実施した。その訳は、南天、みかん、つつじ3本、であり、計5本であった。これですっかり庭が広大になって、ワンコ達の運動が拡がったという次第である。移植は冬こそが好機であると昔の人は言っている。きっと上手く根付いて来春には、花開くことを期待したい。写真はインディーと庭でのスナップである。
 今年は6月半ばまでに選定をお願いしたせいか、矢張り花芽が着いた。山側の皐月園で初めてである。来年(平成24年)5月の時季にさつきの花が咲き、初めて見れることが今から楽しみである。
 


赤澤を訪ねて、ワンコ達との戯れ

2011年12月27日 | Weblog
  月末の火曜日久し振りに赤澤を訪ねた。京都の娘一家がワンコ達を連れて一緒に敷地内を思う存分跳び跳ねて、遊ばせようとの願いが実を結んで、この月末実現した、楽しい集いなのである。午前中病院を訪問して、検査と治療をお願いして投薬を受けた後、久し振りに電車で伊豆の赤沢を目指して、東京駅を旅立った次第である。天気は飽く迄も高く晴れて気分は爽快である。午後2時過ぎに伊豆高原駅に到着した。娘が改札口まで迎えに来てくれていたので、大助かりであった。山荘について二つのワンコ達と庭を飛び回って楽しく遊んだところである。娘夫婦と久闊を叙していろいろ愉快に歓談して心和む機会を満喫している。

納会で今年は〆、来年はもっと良い年を迎えよう

2011年12月26日 | Weblog
 今日は本年最後の納会である。世間ではこれを打ち上げとか言うが、どうも大学の部活動の年末の〆の会の様な気もする。官庁では御用納めは28日である。ともかくも今日で本年は全学校で明日から一斉に休みに入る事となる。今年は両学科共に国師の成績が一位だった。その為、今迄のところ応募学生の数は、今年度専門校では近隣都府県で随一になっている。有り難くも嬉しい事である。何だかんだと言っても、結局は学業成績が一番で、それが向上しない事には、始まらないし言い訳も立たない。今年から来年に掛けて愈々あと2ヶ月が、国試に向けての正念場である。学生のため、そして学校の為、お互いの為にもに頑張ろうと思う。
 今朝も寒さは格別であった。これが年末の気候として、普通かも知れない。お正月を迎える準備は大凡整っているが、後は月末30日と31日の料理のお買い物だけである。このお正月には一家が皆揃って新しい年を言祝ぐ事が出来る喜びと幸せを、今から嬉しく味わいつつ有る。今朝も暗い内からメイも起床して、玄関迄見送ってくれた。学校へ着いたのは午前8時丁度であった。今日は国試願書の提出日である。先生方が厚生省に手続きに出掛けた。どうか来年初めの3月31日、又100%が達成できる事を切に祈っている。
 石川武美は、「感謝の生活」と言う一文を草している。私も自分の部屋に「互いに感謝」と言う自筆の額を掲げている。嘗て現役の医学部教授時代、これを医局に飾ってお互いの勉学訓とした歴史があり、自分に執って由緒深い箴言である。 

母の命日、父の月命日、一統一族に感謝

2011年12月25日 | Weblog
 朝方から午後3時頃まで冬晴れのよい天気で、午前10時10分頃娘からメールが入りこれから伊豆へ出発するとの由、中京名古屋地方は雪が降るとの予報もあって、少しく心配した。午後5時頃になっても到着の連絡が入らないため、思い切って連絡してみた。そしたら既に到着していて、お掃除じ中とのことで一安心、後でゆっくり会話することとした。
 今日は母の81年目の命日である。父も同じ日の52年目の月命日である。明治大正昭和と3代に亘って、内田家の創設、維持、発展の歴史を顧みる時、大変な苦労であったことと追想するが、それも時代を超えた数々の奮闘努力の結果で、現代の誰もが回想も想像も困難であろう。父は米穀商を営み、次に旅館業それも陸海軍諸官衙指定旅館の指定まで取得できて、多くの陸海軍の将官や佐官が宿泊された盛業中のことどもを、今以てはっきり記憶している。戦時中終盤から戦後に至るまで牧場も経営して、それは内田家の最盛期であって、長養舎牧場、内田牛乳店は中々の好評で盛業を極めた次第であった。中々良くやったものだと驚き、且つは感謝の思いが一杯である。それにしても偉いことだと、今にして命日の都度、つくづく思う。当時の一家一族、取分け家長の苦労を偲んで、感慨が止まない次第である。
 僅か半世紀後の現在、文明開化も良いことであるが、科学万能の時代にも関わらず、却って人心が荒廃して止まるところを知らず、全く以て国の独立自尊さえも不如意の時代となってしまった。残念至極だが止むを得まい。それにしても昔の人は、とても偉かったことと思う。
 今週中、家内外を片ずけ、就中お勝手を特に綺麗にして、後はやる事無しで、午后は一少時間の午睡を試みた。夕頃から曇りとなったので、急ぎ屋上の干し物を取り込み、お笑い番組の笑点を、二人で30分程観賞できて、保健衛生上大変良かった一日と思う。

今宵はクリスマスイブ,メイ胃炎で獣医さんへ受診

2011年12月24日 | Weblog
 晴天で秋晴れみたいな似非冬の朝空である。メイは昨夜も吐いたので、今朝は公園で軽い散歩のその脚で、広い表通りを抱っこして獣医さんを訪ねた。案の定、精査は問診の上で、診断は急性胃炎だろうと言うことになった。当然人間と同じく、ガスター10を処方されて帰って来たところだ。朝早くは、依然として寒さは厳しく頬や手足が凍える程の寒さである。メイは大したことでなくて良かったと思う。帰り道で世田谷観音の葺き上がった庫裏(籠堂)を眺めてきた。金の鯱が左右の鬼瓦の位置に2つ輝き、他の屋根は、瓦を模した銅板で全て瓦らしく整然と葺かれてあって、素晴らしく綺麗であった。これで、お正月の初詣や鐘撞きに間に合って、本当に良かったことと思う。
 家のベランダは季節の贈り物の、紅、赤紫、ピンク色の3種のシクラメンが、陽の光を浴びて綺麗に咲き誇っている。ブーゲンビリアの花も咲いている。

天皇誕生日陛下78歳に。観音様の庫裏屋根瓦葺き替え完成

2011年12月23日 | Weblog
 秋晴れとまでは行かないが晴れ模様の今朝は、今年で一番寒い朝の散歩であった。北向きに公園方向に歩むと、寒風が顔一面に当たって、頬も指先も痺れる程の寒さであった。寒かったせいか、それでもメイと3人?は、公園でボール投げに興じ、6回を済ませ、肝腎の朝の行事も2回済ませて、遠回りもせずに早めに帰宅出来た。寒さで、これ以上は無理だったからである。
 折しも、近くの世田谷観音の庫裏、これは元々小田原代官屋敷のものを移築して持ってきたものである。この3月11日の東関東大地震に際し、大屋根の瓦がずれて落下したものが多々あって、観音様の住職が、将来この侭の屋根瓦では、危険と判断されたようである。その為、この8月末から大屋根を全面葺き替えの工事が開始されてきた。今日この日12月23日に間に合って、工事用の足場も外し撤去された。今日完成落成したばかりのものである。南北の鬼瓦に鯱が2つ金色に輝き、屋根瓦は全て銅板の浪型瓦である。これらが今赤銅色に綺麗に夕日に輝いて、偉容を放っている。素晴らしく綺麗そものである。夕日に輝く、庫裏の屋根全体の情景を、屋上から撮影したものである。
 年末を控えてお勝手のガス器具全部とフィルター全て、そして流しとその排出管を隈無く理化学的に清拭垢落としをした。この作業は、午前中一杯と0時過ぎまで掛かったが、これで一年の年末の、お掃除が完了したことになった。

一陽来復、さぁー新年へ向けて

2011年12月22日 | Weblog
 今日は冬至の日であり、一陽来復の時季でもある。日本列島は日本海を中心に、冬の寒波と荒天が予想されているが、関東地方は今日以降は、晴天続きの年末になりそうである。有り難いし貴重な月末でもある。思い切りゆっくり静かな佇まいの中で、学生への講義も全部昨日で終了したので、これから一年の整理を心掛けようかとも思う。冬至即ち一陽来復とは、冬が去り春がくること、又、状況が変わり回復して良い方向に向いてくること、などを指し示すと辞書には書いてある。新年は正にこのように明るく元気な年になるものと期待し、今から楽しみにしている。
 メイも昨夜は良かったが、2日前と3日前の夜半には、吐逆(嘔吐かも)を二日続きに起こして、吾々夫婦を慌てさせたところである。昨夜からそれが無くなり、いまホッとしたところである。今日も元気で、先に立って公園方向から日大を一周して帰って来た。玄関の植木が水涸れを起こしそうなので、位置を変えてたっぷりと水を与えておいた。これで一安心である。