日々是好日

懐かしき過去、期待の未来を希んで!

久し振り

2006年07月30日 | Weblog
久し振りの晴天に、1年振りのお客さん。訪ねて下さって話題は尽きないものの、後で気が付くと
帰り新幹線に時間ギリギリまで引き止めてしまった。つい自分のことだけを喋り過ぎたかなと、反省頻り。帰宅を見計らい急ぎメールを差し上げお詫びしながら考えた。久闊を叙しての嬉しさ楽しさを喜び合ったものの、後の祭り。
 気心知れる間柄だけに、これからは、うんと気をつけよう。

朝のあいさつ

2006年07月28日 | Weblog
メイのワクチン注射の帰途,学校の石塀寄りの歩道を3人?で戻って来たところ、
向うから通りすがりの、相当なお年寄りのご婦人から,”先生お元気ですね”と
挨拶され、咄嗟に返す言葉に戸惑いながらも、直ぐさま帽子を取り頭を下げて、
”お蔭さまで”と返礼する。そして”背筋も伸びお二人の姿もきちっとしていて、
とても宜しいですね”と。
未だに何方なのか、家内と話し合ってもどうしても思い出せない。”患者さんでしょう”と家内。
迂闊に変な格好で散歩もできないと、深く恐縮した今朝の散歩の道すがらの話し。

改めて人の世のつながりの有り難さを実感、道すがら観音様に手を合わせる。梅雨晴れ近い
月末の朝の清々しさ気持ちの良さ
メイと歩けば幸運に当たる。06.7.28.今日はお不動さまの縁日だった。

ミミズのたわ言

2006年07月26日 | Weblog
 待望の梅雨明けか?天気予報は関東は未だだと言うご託宣。8時過ぎからすっかり晴れて
目映い程の太陽の光燦々。緑道の植え込みをメイが引っ掻くと、静かな眠りの土中から、出
るは出るはミミズ数匹の群れ、早々にリードを引き寄せてメイをセメント道へ。
蝉の初啼きに夏の到来を実感、緑の薫風に本当の夏日期待の嬉しい気持ちが重なる。
 フォトショップいろいろ操作したが侭ならず,“デジカメで同時プリント”で凌いでいる始末。
使い勝手を教えてもらうことを楽しみに。昨日は旧制中、陸士,大学夫々の校歌を懐かしく
嬉しくi-tunesで楽しむ。元気が出て無性に生きる喜びが沸き奮い立つ。愛校心と往時の懐か
しさと、元気一杯の自己像が彷彿として胸に迫り、恰も走馬灯の絵の如し。

思い出したら吉、おいそれ者!

2006年07月25日 | Weblog
 今日も雨の一日が予報された。これ幸いに早く起きて、メイの散歩のあとに居間、ダイニングルームの窓掃除を実施。先ずレースカーテンの洗濯、ブラインドの清拭、これが途轍も無く手間
どる。何と午前10時に開始して、昼食を挟んで午後3時40分終了。吾ながら大きな宿題を片
ずけ爽やかな達成感を、味わった次第。気持ち良くお三時を賞味した。
 個人情報保護法案により膨大な量の書類の廃棄を1週間かけ、木鋏で裁いた為,拇指がバネ指になってしまい,未だに回復しない。そんな中また今日右の拇指と人差し指を酷使してしまった。痛みが持続しているので、消炎鎮痛剤を塗布して同じ過ちを繰り返えさじと大事を取った。
 それに,5月下旬自宅でののインタービューが、97頁から110ページに亘って機関誌に載り、恥ずかしくもあり嬉しくありだ。定年後の歴史の一齣と言う所であろう。
 明日からやっと雨が止み、待望の晴れの天候の由。元気を増進して心身共にこの夏を楽しもう。

何か心やメモに残ることを!

2006年07月24日 | Weblog
 心掛ける、それは一年中で凡て目新しいことだけに限らない。ただ形に残る方が思い出
しやすいことは事実だ。
 今日はパソコン3機目10年にして、使いやすい、使い勝手の良いように、ディスプレイ
画面とキーボード、それに椅子と肘掛けの高さを、人間工学的に調節してみた。なるほど、
頸や目や腕が疲れない。どうして早くこんなことに気付き、それが実行できなかったことか、
吾ながら呆れるやら嬉しいやらで、いま進んでブログに書き込んで記録に止めた次第。
 億劫で手を着けないことは、山程身の回りに転がっている。先だっての1日1行の記録は、
身を慎み諌める手立てになって欲しいとの躬らの願いの筈だ。
明日もまた何かを考えよう!!

梅雨の長雨

2006年07月23日 | Weblog
 今年の梅雨は無性に長い。梅雨明けは例年7月20日頃と気象庁は報じているが。
地球温暖化の影響かしら,太陽の眩しい晴れの日が待ちどうしい。蝉の声もいまだ聞けない。
一体この地球はどうなってしまったのか。
 自然の摂理の怒りなのか? 日本社会は今やたらに陰惨な事件が多い。早く天気が晴れて、
鹿児島、長野、島根、鳥取各地方の水害が、1刻も早く治まり復旧することを心から願い、
お見舞の気持ちを表したい。

静かに憶う

2006年07月20日 | Weblog
 平和人権と言う言葉、これを唱えていれば凡そどの場面でも今の我が国では無難に挨拶ができる。戦役に従事した私、戦争の悲惨さは、体験的に身にしみて、平和の有り難さの喜びは人後に落ちないくらい貴い。現在マスコミの影響で、事実に拠らない報道や、偏倚した論調の中などで、アンケートの%で示されて、世の中凡てがこんな考え方に変化していると唱導する傾向が強く現れているようで大変心配だ。戦争で逝った人達を祀る靖国神社が,いま正に政争とイデオロギーの真っ直中に晒され,本当に情けなく淋しい。多くを言わないが国のため命を捧げた方々の心中を察するだに、涙あるのみである。有り難い、お蔭さまでいまの日本の平和があると、自然の思いがどうして抱けないのであろうか?史実を良く読んで理解して欲しいと願うのはそれこそ大多数の国民であろう。折しも昭和天皇と側近が話されたメモが新聞で大きく報道された。総理の靖国参拝を強く反対する人達に執って絶好の力を得たことになろう。敢えて、今日のブログはこの問題を取り上げ,心ある真に国を憶う方々に訴えたい気持ちで一杯である。靖国問題は決してイデオロギーや政治,外圧問題にすべきでない。静かに社に向かって手を会わせて感謝したい。

長梅雨と思索

2006年07月19日 | Weblog
 一日一歩(行)をと、毎日心掛けているが、目新しい所作や行動は家・屋敷内では侭ならない。
書類書物の整理が、その点一番積み重ねの結果として、跡に残りやすい。
 雨の中笠をさしてメイの散歩を昨日今日と続けて、メイの一日の儀式行事を曲がりなりにも実行してみた。早くこの梅雨が明けないものかと願うこと頻り。
 原稿取材を推薦してくれた友人へ、校了を終了した返礼の手書きの手紙を投函し、切りを果たす。
 すっかり休んでいた新聞への投書を投函した。採用されないだろうが、気持ちがよい。
 嬉しい事が一つ。、家の前の道路は、何やかやの工事で継ぎ接ぎだらけのパッチワーク道路だ。
お年寄りが先日も躓き、これを契機に役所に電話で実情を説明し、1週間前、道路改修をお願いしてみた。親切なよい人に巡り会え、きちんと今日午後4時、役所から返事を頂戴した。有り難いことだ。今後の予定を説明して下さった。何と気持ちのよい嬉しいことか。

温故知新

2006年07月14日 | Weblog
いっさく12日、陸士名簿から級友YJへ連絡を取り、その日彼が会うであろう教会シスターで有名なYK先生に、私も会いたいものと考えていた。YK先生は嘗ってPHPのエッセイであるべき人間のこころについて、大変役立つ論調を述べられていた方である。その論旨は、“許し”がもたらすものーというタイトルで書かれていたものである。実は唐突な面会は失礼と思い直し出かけなかった。この論文を実は今まで2人の傷心の方に紹介送付したこともあり、人間関係で回復改善のお手伝いの積もりで感謝されたこともあった。人は、誰人問わず心ならずも往々にして人を傷つけ傷つけられたりするものである。私も嘗っての友人との諍いにこの論旨を拳拳服膺して、大変助かり気を取り直した経験がある。この先生に拝眉の上人生観でも伺いたい気持ちである。聞く所では娘の学校の大先輩の由である.謦咳に接することも人生の歴史的な喜びと考えている.何れ機会を進んで持ちたい。18年夏お盆を迎えて。

静穏な日々を

2006年07月10日 | Weblog
 殆どの組織から隔絶し、さぞかし徒然なるままに孤独で淋しさを託つ日々が続くと思いきや 人間関係の柵も捨て切れず,思わぬ付き合い、相談、連絡などもあって,義理人情の狭間にのめり込まざるを得ない事どもが,ついぞ起こり、馬耳東風と言うわけにはいかない今日この頃でもある。
 考えてみると,何かしら矢張り俗人の欲得が心の片隅に残っていることに由来するものであろう。 これではいかんと、己がお利口さんでいたい囚われを払拭したいのだが、これまたそうもいかない。 思い切り世捨て人になり,メイとの生活をその時その折楽しんでいけばよいのかなとメイの散歩の行き帰りの野草にのめり込んでいる。自然との語らいこそが,静穏な生活のコツかも知れない。2006.7.10.