日々是好日

懐かしき過去、期待の未来を希んで!

卯月も終わり明日から皐月

2011年04月30日 | Weblog
 東日本大災害から約一ヶ月半が過ぎてこの卯月も終わり、先行きの見えない三重苦の日本列島、罹災者には本当に辛い大変な苦痛で思うだに自然災害と人災との複合は情けない。早くこの災害苦から解放されることを望むや切なりと言うべし。明日から愈々皐月だ!これを契機に原発事故が収束することを国民全体が希求している。
 伊豆へ来て早速竹の子狩りを楽しむ一方。庭のアメリカハナミズキ、石楠花、白花ズオウ、皐、ツツジ、、藤、八重桜、そして椿など、写真を撮るのに暇が無い程である。
 昨日は息子がジデジのTVと、3つのテレビにチュウーナーをそれぞれ取り付けて呉れて、大変便利で本当に大助かりであった。よその家より一足先に全て完備して我が家は完璧嬉しい。

起床5時伊豆へ出発

2011年04月29日 | Weblog
 息子が送ってくれると言うので、車で一緒に5時15分過ぎに家を発った。天候に恵まれ早朝だったせいか道路の混雑も左程でなく、伊豆には8時過ぎに到着出来て、幸いであった。娘夫婦も疾うに到着しており、皆で荷物を整理などして、落ち着いたところで朝食となった。清澄な空気、青葉若葉に輝く太陽の光を体一杯に受けて、皆で庭先の椅子に掛けて、初夏を味わった。小憩の後に、10本程頭を出している竹の子を掘って、一汗かいたところである。とことん初夏の高原の清冽さを、心行くまで体感したところである。3匹のワン子達も皆仲良く庭を走り回り、花咲く皐月に、戯れ付いたりして楽しげであった。伊豆へ来て後何日か逗留し、うんと健康と元気を増進させようと思う。

起床5時伊豆へ出発

2011年04月29日 | Weblog
 息子が送ってくれると言うので、車で一緒に5時15分過ぎに家を発った。天候に恵まれ早朝だったせいか道路の混雑も左程でなく伊豆には8時過ぎに到着出来て幸いであった。娘夫婦も疾うに到着しており皆で荷物を整理などして、落ち着いたところで朝食となった清澄な空気、青葉若葉に輝く太陽の光を体一杯に受けて、皆で庭先の椅子に掛けて初夏を味わった。小憩の後に、10本程顔を出している竹の子を掘って一汗かいたところでまたまた初夏の高原の清冽さを心行くまで体感したところである。3匹のワン子達も皆仲良く庭を走り回り、花咲く皐月に戯れ付いたりして楽しげであった。伊豆へ来て後何日か逗留してうんと健康と元気を増進させようと思う。

さぁー明日からいよいよ連休

2011年04月28日 | Weblog
 昨夜の雨は明け方には止んで,今朝は素晴らしい五月晴れだ!天気予報士によれば5月一日は春と夏の気圧配置がぶつかりあって天気は崩れるとの由、昨夜遅くメイをお風呂に入れてシャンプを丁寧に行った。ここ一ヶ月くらいの間、全身掻痒症で、メイはあちこちを掻き掻きしている。それが少しは快方に向かっているようだが、完全に収束せず軟膏塗布で対症療法に終始していた。昨夜は獣医さんから求めた消毒剤入りの止痒用のシャンプを使い、全身的に注意してシャンプしてみた。ところが今朝はどうであったろう!? ほぼ8割くらいは痒みが止まってしまった。嬉しい事だ! 今朝の散歩の後、今はソファーでゆっくり寝んでいる。やっと一安心だ! 明日から連休の為の伊豆への旅行であるから、早い完治を期待している。
 車庫脇の片隅に置いておいた君子蘭、今年も丁度今、見事8株に花が咲き出した。オレンジ橙色でとても綺麗だ! あと一週間ぐらいは花期を保ってくれるであろう。写真はその真橙色の花弁である。ベランダの7株のブーゲンビリア、多くの花をつけてくれた。水と肥料を与え続けたことで、例年より花弁が多い。これも嬉しい。

清明で爽快な毎日

2011年04月27日 | Weblog
 この季節になると全てが爽やかで気持ちが良い。そこに良い人間関係がある時には、尚更一入その実感が有るのである。昨日は家内の検診も無事終わり、また車の修理も一通り済んだ。その間に携わった医院や車の会社の方々の、好意と善意が実を結んで、全てがスムーズに上手くいったことに、このところ、喜びと幸せを感じている。人間の感情なんて他愛の無いものなのであると人は良く言う。一寸した親切が、お互いの心情に快く反応して、良い感情から良好な人間関係に発展するケースが多いからである。一方、長年の親交ある良い人間関係が永続していたとしても、一寸した油断で、態度や言葉から、簡単にその関係が崩れ去る事など日常茶飯事として、耳にする事なども少なからず聞いている。例えば医師と患者さん、売り屋さんとお客さん、などなどを取り上げて見ても、共に良好で大事な人間関係こそが、その天職を全うする上での基本的な事柄なのである。このようにして、清明で爽快な毎日が送れることこそが、人生での生き甲斐であり、幸せなのであろうと思う。
 天皇皇后両陛下は今日27日午前仙台の被災地を慰問された。誠に有り難く貴重で勿体ないことである。写真は直立不動の宮城県知事に、慰労と県民の慰問をされる両陛下のお姿である。

陽春の朝公園はさながらドッグラン

2011年04月26日 | Weblog
 今朝の公園は早めに出たが緑道まで足を伸ばし帰って来てまた公園で遊んだ。何と次々に9頭のワンコ達に会って夫々に鼻突き合わせ、あいさつし交歓していた。さながらドッグランのように思い思いに遊んでいた。陽春の朝の一時である。飼い主も夫々会話が弾み、のどかな春の朝の風景であった。帰りがけに4匹のワン子がまたやって来た.全部で13匹だ!陽春の日和が人出を誘うのかも知れない。
 この日検査の為に家内は留守、私一人でメイを連れて行った。それで、あちこちから奥さんは?と声をかけられた次第である。「検診のため」と正直に答えた。が、家内からは「用事で」、と簡単に言っておけば良いのに! と言われてしまった。成る程!その通りだ!。家内は内視鏡で精査してもらい午後一時近く帰宅し、すっきりしたとの感想だった。「3年後くらいにまた定期検診を」との事で、ほっとしている。そう言えば、私もそろそろ来年に入ってからが、検査を受ける時期ではなかろうかと思う。さて、そろそろ、おやつそれも甘いものを全廃して、ほぼ10日になった。お買い物が、し易くなったという副産物が生まれた。
 米コロンビア大名誉教授のドナルドキーンさんが、最終講義で、「日本人は驚く程親切だ」と語り、東日本大震災を契機に、日本に帰化する事を決め、東京に住む事になった。写真は同教授である。


父53年目の命日

2011年04月25日 | Weblog
 憶えば53年前の昭和34年4月25日、午前4時54分、脈を取っていた私の示指中指から、父の脈拍が静かに消え去っていった。一年間の臥床の末であった。34年間愛育されて恩返しもしない侭の死去が、今悔やまれてならない。激動の一生であったと感じている。日支事変、大東亜戦争、終戦と続き、国内的には、穏やかで平和な時代背景ながらも、二つの戦争をその間9年間経験し、経過していった時代であった。内田屋旅館、羽生市の内田屋旅館支店、長養舎牧場の経営に、相当の努力苦労をしたものであろう。陸海軍諸官衙指定旅館の指定取得や、町内3名筆跡と詠われた墨跡は、太字の大木、細字(草書)の峰岸、楷書の内田玉吉として、町中で評価されていた。その他、不動岡町は行政上当時1区から4区に分たれ、その第1区長としての采配は、町民から尊敬されていたようである。
 小学校の卒業式に出席して、私の卒業生代表答辞を聞きながら、来賓として暖かく見守り、眼差しを注いでくれていたことを昨日の事のように、はっきり思い出している。そのように考えてくると、亡き父は、その時代の颯爽たる町民代表の快男児であったような気がしてならない。年月の経過と共に父への敬慕の年は深まるばかりである。果たせるなら、今一度、ここで向き合って会話を交わしたい気持ちで一杯である。
 今日は奇しくも、楠木正成の誕生日である。神戸市で講演の折り、市内の湊川神社に参拝したことを思い出した。また10余年前、大阪富田林市四條畷の、正成生誕の地を訪問し、将又、吉野の金峰山寺の正行の鏃の筆跡など、歴史探索をしたことを憶い出し、感概無量今でも想いは深く、胸を打つものがある。
 最近探し物をしている時、娘の小さい時の迷子札を発見した。その裏表を撮ったものである。これまた55年位前の時代物である。

爽やかな緑、ホホジロの高啼き

2011年04月24日 | Weblog
 昨日来の悪天候も今日はすっかり晴れて、春風爽やかである。朝の散歩を済ませて選挙に行ってきた。空はすっきりと青空になって。ホホジロのさえずりが高く透き通って響く。木の天辺に止まって、天空を睨んでの高啼きは、季節感をいよいよ深くしてくれる。
 欅の青葉若葉も空に向かって伸び伸びと、丁度 “竹箒を逆さに立てた形” の綺麗な樹形の緑を空に向けて広げている。とても美しい。最近気付いた事だが、欅だけは植木屋さんは絶対に剪定しない。公園だろうが、街路樹だろうが、屋敷林だろうが、どこの欅も。その為自然の樹形を保ち続けている。世間で、この事実を知っている人は、先ず少ないと思う。何故だろうか?!
 東日本大地震の原発事故の影響が、かなり長期的に甚大な災害影響を及ぼし、終息の予測が中々に着かないらしい。科学立国日本の名が泣く。原発だけは先進国があり、フランス、アメリカに頼り、有らん限りの指導と尽力を仰ぐべきと思う。政府の後手後手の非科学的な対応が、どうもうまくないらしい。残念で堪らない。写真は大津波が襲来した名取漁港の様子である。こちらは原発の影響は少ないらしいが、津波で壊滅的な被害を受けた名取市である。

久し振りの大雨

2011年04月23日 | Weblog
 大雨の晴れ間を縫ってメイの散歩をした。公園、そして日大校舎裏手の緑道を往復であった。帰宅してメイの腹部を徹底的に、雨に濡れた水気を払い、汚れを取って、タオルで擦って乾かしたところである。折しも、また黒い雲が低く広がり、あっという間に驟雨が降ってきた。良い時期に散歩したものだと、幸運を喜んだところである。朝のメイの行事が全部済んだところでの雨、今日1日はこんな大雨の天気だそうだ。予報が良く当たってきている。
 さて午前から昼食を挟んで、今日1日は地下室の物の出し入れに終始したい。旅行の為の持ち物の整理である。あと一週間後には、伊東方面にメイを連れて旅行に行くことになっている。それはそれは、安息の為の連休であり、心身ともにリラックスできる日々としたい。待ち遠しい。

“春は曙”を過ぎてツバメ飛ぶ、皐月近し

2011年04月22日 | Weblog
 春も酣そぞろに初夏の気配が! 今朝バス停で待っていると、近くのビルの軒先をツバメが高く低く、ビルを翳めながら«ツバメ返し»に飛翔していた。もうそんな季節なんだな!と思う。街の風景が初夏の訪れを告げている。木々の緑は日毎に若葉を広げ、緑を色濃くしてきている。自然も人も、身心ともに健康増進、飛躍発展の絶好の季節到来である。皐月がもうすぐだ!
 福島の原発事故など無ければ、東日本大震災の早い復興の槌音が疾うに響き渡って、海岸よりの街や漁村をはじめ、津波被害の町並みの再建復興は、も少し早く手をつけられていたかも知れないと思う。今頃は復興に向けての建設の段階であった筈である。残念無念で堪らない。被災者の健康と再起を心から祈念したい。