昨日は曇って今日は朝から春の雨だ!降るとも見えじに近いが、卯月は今日でお終いで明日から春の雨が晴れ上がって、五月晴が徐々に近ずいて来るそうである。愈々この2日から娘達との連休となる。赤沢で存分に、わん子達との交流交歓が始まる。天候も上り坂だし、きっと五月晴が連日続く事であろう。楽しみである。急ぎ身辺整理をして持ち物を用意しておきたいと思う。夕刻から近くの東天紅で進学院長の就任祝いが行われた、同時に会議中事務部長から、正式に私の理事長の認可が、知事から認可された事が報告された。感慨無量であり、皆とともに学校を挙げて努力し、本校の発展に傾注して行こうと覚悟した次第である。
新聞を見て叙勲の記事が出ているのを見て、今日がこの春の天皇誕生日である事を知った。自分の叙勲は遥か10年前に遡る事となった。思えば78歳時の、今日の良き日であった。毎年毎年受勲者の年齢が上昇して、人数は4千余名であるが、4歳も上昇してしまった。3人程知っている人が載っていた。お目出度い事である。今日一日が曇り空で天気が徐々に下り坂と報じられている。でも連休を前に、夏のジャンバーを洗濯して屋上に干して来たところである。来月の2日から娘を迎えて伊豆の別荘で悠々自適してから、皆で京都へ帰って行く予定である。そして3−4日逗留して京都を楽しみ、12日に私だけが一足早く東京へ帰ってくる予定である。今日の公園でのメイの散歩も普通通り実施出来たが、子供の遊びがあった為に、ボール投げは残念乍ら不能であった。これから本屋さんへ約束の本を求めに行き、序でに靴直しを依頼して帰ってくる予定である。静かな祭日である。書店に依頼しておいた本が届いたと言うので、午前10時会に行記、序でに昼食も買って来て家内と美味しく頂いた。午後からかった本を約5時間かけて読了したところである。一般的で若干専門的な医学啓蒙書なので、注意深く読んでしまった。参考になったものの不安が過った次第である。
4月の緑豊かな光風霽月があっという間に過ぎ去ろうとしている。あと3日で皐月である。巷ではオオムラサキノ躑躅が咲き乱れ、これから本当の皐月が咲き出す事であろう。そしたら文字通りの皐月となろう。今朝のメイは、昨日より稍元気が回復して、公園でのボール投げや町中の散歩も楽しむ事が出来た。2−3のわん子達にも会えたが、夫々に簡単な挨拶?だけで、後は飼い主同士との会話だけで時間が過ぎて行く。気候が良いので過ごし易いのは事実であり、ゆっくり散歩を楽しむ事が出来た。これから服装を整えて、いざ学校へ出勤である。散歩してからの朝食後のメイは、今ゆっくり寝んでいるので、出勤前のいつもの廊下での見送りは、こっちが遠慮し、そっと玄関を出て来て学校へ向かった次第である。
メイは、急に2~3日前から「ゆっくり歩行」に変わってしまった。今朝は珍しくハッピーちゃん一家と回合した。飼い主は相変わらずベンチでタバコを燻らし、メイのボール投げを眺めていた。メイは此処2−3日前から何故か歩きが鈍く、リードは家内が握って歩んだ。ゆっくりゆっくりで歩きが遅いので、もう「矢張り年を取ったのだな」と感じざるを得ない様だ! そう言えば夕方頃の食事の後に、すぐに寝室へ家内を促して連れて、早々と寝てしまう姿も、目に着く。今日も天気は快晴で、清々しく爽やかである。観音様の道路沿いの皐月の真っ赤さが目に着いて、とても綺麗である。今朝は鶯の声が未だしないが、きっと日曜雑貨市で、境内が人だかりのせいであろう。午後になって鶯が啼き出したが、昨日の午後程ではなかった。昨日は約2時間半程間断はあるものの、啼き続けて、午睡の邪魔をしたのであった。
何時の間にやら春は立ち去り、後5日で皐月である。今年の立夏は子供の日であり、世界一の鯉幟が、利根川沿いに100メートルの巨体を風に靡かせて呉れるであろう。そんな初夏も訪れようとしている。春日遅々で軈て皐月到るとなるであろう。昨日の亡父の命日は、楠木正成の誕生日でもあった。春風が屋上の干し物を掠めて通り過ぎて行く。とてもよい天気である。未だ鶯も啼き続けているが。雀が5−6羽が公園の植木に群れ止まり、時折地上に降りて砂や砂利を啄んでいる。砂嚢の機能を賦活させる為であろうか。軈て卯月の天候が、これから爽やかな皐月の空に繋がって行く事であろう。
今日は亡父の54年目の命日である、自動車が無いせいか。このところとんと墓参は愚か田舎への帰省は年に一回ぐらいしか無い。この年になると、矢鱈に子供時代の小学校の唱歌が思い出されて、つい口ずさみたくなってしまう。故郷、朧月夜、鯉のぼり、牧場の朝、朝、若葉、旅愁、焚き火、等の懐かしい歌詞の数々である。歌の文句とリズムが独りでに出てきて、鼻歌まじりの唱歌が身の周りを取り巻いて、季節夫々に語り継がれて来た。それらの情景や風物詩が、走馬灯の絵の様に展開されて来る。何とも思い出深い懐かしさが一杯となる。このところメイの騒痒症も、やっと一段落を迎えて、今朝は後ろ脚で体を掻きむしったりなど、してはいない。今も大人しくベットに踞って、静かに寝ている。天候は晴れで、先程お香を焚いて亡父を偲び、哀悼の意を表した次第である。半世紀以前の父の事どもが、甦って来てならない。
昨夜オバマ大統領は専用機で来日し、銀座の寿司店で日本の安倍首相と晩餐をともにし、旧懐の弁と親身の話し合いを開始された。誠に時勢に合った美しい麗しい両国首脳の交流である。今朝のメイは公園での鞠投げも実施して手足を綺麗に洗って、朝の行事を済ませてこれから狂犬病の予防注射に行く予定である。今小憩中であり、もう暫くして獣医さんへ向けて抱っこして出発する。爪切り、尻摘み、ヒラリアの予防薬投与、前進検査、採血と、種々検査して帰宅した。私は約3ヶ月の間隔を置いて病院での検血と診断である。懸念はあったが、後日更に検査と診断を行う事を決めた。これからは、Dr.として自身の健康にも、更に積極的に取り組んで参ろうと、強く意識し覚悟した次第である。
今日から快晴の日和が続くそうである。5風10雨ならずとも適当なお湿りと、晴れがつづくと万物特に人間はとても有り難い。孫達も一人は、楽しく「お医者さん」をしている様だし、もう一人は医学の勉強に、自信を以て励んでいる様で、御家万々歳である。メイもこのところ、大分皮膚掻痒症が回復傾向になってきた様だ。今朝の鞠投げも大部分消化出来て、喜ばしい状況にある。私は、今朝から夏の革靴に履き替えて、心気一転してゆっくり頑張ろうと思う。今年は珍しく1年振りに赤沢へ行き、学校での疲れを癒したい。その脚で京都を訪ね何日か逗留して、5月13日には、病院行きの予定が入っているので、家内とメイより早く、前日の12日には単独で帰宅する手筈になっている。家内とメイと娘は、娘が学会へ出席する関係で、その3日後の15日には上京する予定である。この5月の連休を含めて、これからは、ずーっと快晴が続く予報が出ている。それだけに、今年の連休は何とも楽しみで、今から期待に胸が弾んでいる。部屋の書棚の一隅に「互いに感謝」の額が掲げてあるが、これは私が医大助教授時代の時から自筆し、保存して来た箴言である。本箱片隅に今も鎮座している。
昨日の寒い春雨、今朝は一転快晴なり。されど通り雨に見舞われる恐れありと言う。メイの上肢腋下の紅斑による皮膚炎は、昨夕発見してステロイドと抗生剤の軟膏を擦り込んで一夜様子を見た所、今朝は相当程度紅斑が消褪して症状も改善して、本当に治療の甲斐があった。良かった。今朝は公園でボール投げの後に、生理現象も終えて、元気で帰宅出来た。快晴の天気故に、メイのベットも洗ってこれから屋上に干すつもりである。そして干したものの、軈て曇り空となって、太陽は顔を引っ込め、その後の午後になって、小雨さえ降って来てしまった。幸い早めに取り込んだ為、メイのベットの「あんこ」は、洗濯乾燥機で110分乾燥させたので事無きを得た。今居間に綺麗に設えてある。メイの皮膚炎の解消治癒を願っている。
降るとも見えじ春の雨!水に輪を書く波無くば、煙るとばかり思わせて、降るとも見えじ春の雨! 正に今朝の雨はその通りで、メイとの散歩も傘を家内がさして、私はコートで、ゆっくり公園を散歩しただけであった。家の中でのボール投げはとても元気で安心した。掻痒症が未だ治まらないので、本当に可哀想であるが、又薬湯シャンプーで予防と治療に専念して、赤沢と京都へ行く迄に何とか制圧したいものと思う。今朝には、先週からだが、私にはもう朝礼には出無くて良いので、従来朝礼のあった何時もの出発時間より約2時間遅く家を出発できるのである。7年近くの苦労が実を結んだと言えそうである。午後の驟雨を想定して、靴に防水のクリームを塗って、傘をさしてゆっくりと家を出た。10時半には学校に着いて執務を始めた次第である。書類整理がまだ残されていて、探したい学用品がまだ見つからない。その分自宅から用意して来たけれども、十分間に合った訳である。今日は偶々忠犬ハチ公像の設置80年記念の日である。丁度先日、関係の民家から初代ハチ公の石膏像が見つかり、東京都の記念館に展示されるそうである。写真はその像である。