今日で歯科医師、医師、医学教育医、夫々に併せて昨日で3回目の退任である。朝礼で最後の挨拶寸辞を10秒ほど述べて全教職員と別離した。ー(七月3日正式にお別れの挨拶を済ませてあるので)ーこの午前の朝礼の措辞の挨拶が済んでからデパートで、礼品の不足分を買い足して帰校し理事長室に落ち着いた。そして午後理事会の幹部会議に臨み、数多の会談を約30分喋ってから、最後に別離の挨拶を述べた。その後午後2時頃、玄関に集合して教職員全員とお別れの記念撮影を実施して、花束を頂いて事務部長らと別れ学校を後にした。色々の思いを巡らせながら、バスで帰宅したところである。家内に「ご苦労さんでした」と言われて、思わず感謝の握手をしてしまった。天候は、昨日の悪天候とは打って変わって、雲が流れ流れつつも晴れて、外は陽光が眩しかった。退任日には全てが恵まれて楽しかった次第なのである。思えば医師として69年の勤務で、悲喜交々であったと言っても、楽しい思い出多い豊かな医療人生なのであった。
昨日の天気、昼頃は真逆と思いきや、季節の待ちに待った両国の花火大会が開かれる夕頃から、驟雨が降り出して、大雨に見舞われる花火大会となって仕舞った。季節にマッチした両国の伝統の花火のこの催しは、いつも晴天に恵まれてきたが、今年の天候は気まぐれで、全く残念ながら、大雨の大会となってしまった。参加者は、きっと、残念そのものであったろう。雨中での実施は行われたものの、矢張り冴えなかった。TVでの中継も今一であった。日本列島の遙か南方に台風が3つばかり低迷しており、その影響らしい。明日7月31日の一日で、私の69年の歯科医師・医師人生は終了することとなった。想えば懐かしいことばかり、苦楽を共にした家内に満腔の感謝を捧げたい。家族一同にもその通りである。今朝の午前8時頃となって、また雨が降ってきている。
遂にあと一日の勤務で現役を終える。第1回の現役は医学部教授、第2回目は医療系短大の学長、第3回目は医療系の専門校の学院長と理事長。是等で都合73年間現役で役職に着いた侭、診療と医学教育に携わったこととなる。考えると終ぞ長い勤務であった。梅雨明けの晴れ間、昨日午後は車庫と路地の舗装面をペンキで塗り綺麗に仕上げた。午後2時半、分校の校長と教職員一同から任期満了へのお礼状と記念の品々の贈呈を受けた。合わせて、医学部同門会事務局長から、本年度の埼玉県美術協会の入選作品を額入れで寄贈を受けたところである。感謝とお礼の返礼文を午後11時過ぎまで夫々起草し、全て万年筆書きの便箋と封書で仕上げ、投函できた。また昨夜遅く、京都の医師の娘からメールを貰い、私の最後の勤務の総括の写真集を受け取った由。有り難く見開き、大事に保管すると言う嬉しい返信を、受け取った次第など。と共に此処に記した次第である。
昔の梅雨明けは晴天続きで爽やかであった。ところがここ2~3年は気象予報士でも先が読めないものが多い。地球規模の不順な悪天候が、日差で変化するからである。但し今朝は朝から晴れ上がって、蝉の声が彼方此方から聞こえ、喧しい乍ら懐かしい。風物詩さながらの夏の気配が濃厚である。今から10年前学校への就任の折の着任時、書かされた懸額の筆跡、 丁度4枚ほど残っていたので任期の最終日の三十一日 、事務部の4人に頒布し、貰って貰うことと考えている。偉くない平民の学院長それだけの筆跡だけなのである。メイガ久し振りに起き抜けに胃液の嘔吐をした。朝食は普通に摂れたので、然程の心配はしていない。此処関東地方は正午から午後3時頃までは晴れて暑さも出てくるらしい。
やっと役職の任務から解放されて、今は、ゆっくりと礼状を認めている。”発つ鳥跡を濁さず“とは、今この身に振り掛かっている事象に他ならない。 須らく私粛して後塵を遺してはならぬとの戒めである。理事長としての役職上の任務、理事長室の清掃片付けなど、早めに潔く綺麗さっぱりとすべきである。事実そのような気持ちで、昨日までに、全て大方は片付いた次第である。併し電話や贈り物など、一昨年頃より遠慮している立場なのに、未だに連絡など有って当惑していることも有難い事実なのである。返礼には、封筒や便箋など老舗の特別仕様なので、書き易いものを使用している。勢い、インク付きの万年筆書きで、用を果たしているわけである。字も少しは上手くなったかしらと思うほどである。
いよいよ今月末31日で、長年の勤務3回目の現役を満了退任。昨日は鎮守様と世田谷観音様へお礼参りの挨拶を終えた。住職さんと挨拶を交わして暫し雑談して礼を述べた次第である。学校のパソコンは全て初期化して内容は消去されており、安心である。事務部で作成してくれた私への”別離の感謝の小ブック“、担当者への感謝の文言を昨夜起草して、封筒書きして今朝投函した。今日の理事役員会では挨拶と写真撮影で終了となるであろう。其の後学校を後にしてデパートに赴き、小冊子で努力して呉れた二人に些品を購入、礼品を送付して鳧を着けた次第である。昨夕は神社へのお礼参り、世話になった人への返礼など、今年は大体皆、「便箋に封筒万年筆書きでの返礼」も終えて、さっぱりしたところである。写真は藪茗荷である。世田谷観音の池にお金子トンボと塩辛トンボも飛んでいて懐かしく楽しかった。帰途特攻観音の碑の脇にこの藪茗荷が綺麗な花を付けていた。
異常気象は今や地球規模となった。日本列島のみならず世界各地に天候異変が起こっている、それに輪を掛けるように人間の世界も異変が起こっている様である。昨日と今日も曇り空で、一向に気も晴れない。地球も其処に生きる人間の社会も、理由は不明だが自然の営みなどお構い無しに、人の心(人情)に恵まれない生活に、唯々諾々と流されて仕舞っている様である。三茶の大きな本屋さんも店を畳んだ様であるし、自然文学も今や累卵の危うさに喘いである。静かなゆとりある生き様が生起されない生活、そんな社会が現存しつつある様である。情けないが、これが現実の社会の有様である。今日の写真は秋の鰻掴みである。今日は丑の日また鰻の(蒲焼)日でもある。
七月は、私と息子の嫁の誕生月である。昨日で二人の祝福行事は凡て終了したので、後は暦齢に従って自然の推移と夏の風物詩張りの行事だけである。今日一日と明後日、そして月末の31 日に出校すれば、私の現職は全て終了である。35年間の医学部医師の内、医大教授として23年間、そしてまた短大学長として6年間、それから医療技術専門学校学院長ついで理事長として10年間、併せて役職の現役は、都合39年間ということとなる。役職の未だ着いていない時代の、歯科医師・医師31年間を合わせると、何と70年間医療に従事した事となった。人生わずか50 年の時代に比較すると 、途轍もなく長い期間、医療に従事したものであるな!と言う実感が今湧いて来る。更めて我が身を省みて、“褒めて上げたい自分”が其処にあるな!と思われる。今朝は曇り空ながら、朝からセミの鳴き声が、観音様の林の方から聞こえて来ている。今日も真夏日になるであろう。さぁーいざ出かけようと思う。あと3日の貴重な勤務なのである。
今朝は秋かなと思わせるくらいの涼しい天気であった。頬や体を擦り抜ける風も柔らかで何とも涼しい。玄関や隣接の小さな地面の植木達に水やりを十分に施した積もりである。昨日のかんかん照りと違って、これほどの曇り空であれば、そんなに水やりに力を注がなくても良かったと思われた。屋上には洗濯物を若干干して来たところである。メイの朝の小は済み朝食も終えたので、今は自分の布団でぐっすり寝んでいる。今晩は息子の嫁のお誕生日の会を三茶で行う予定である。娘からは本人宛に、既にお祝いが届いている。雨が降らずに、この侭の天気であれば凌ぎやすい。パンダの赤ちゃんがうっすらと目を開くー上野動物園ー
常日頃の箴言として、上記格言を噛み締めて居るところである。今朝も快晴無風で日本晴れである。毎日の目標を設定して、健康を維持しながら余生を慈しむ日々を送らねばと思いつつ、今日も少しずつ生活に喜びと楽しみを見出して行こうと心に決めた。昨日は性切れが間近いとみられるお勝手の瞬間湯沸かし器を新生機器と交換し、あと暫く安定した機能を安全安心して使用したいと思う。午後一杯掛かって東京ガスの作業員二人で完成した。暑さが尋常でなく大汗をかきかきの作業だったので、こちらも居間で本を片手に、ちらりちらりと作業を見守っていただけに、ほとほと疲れてしまった。夕飯後の6 時35分には寝室で早々と寝てしまった次第である。夜半2度ばかり目覚めてぐっすり丸11時間寝たことになった。珍しいことである。学校もあと3日の勤務である。心境は明鏡止水、行雲流水で変わらずとも、気分的には将来設計を立てていく必要を、直に感覚している。メイの朝晩の食事、1日3回ばかりの大小の世話、このところでは、外の“流し”で上手く行っている。暑さはまさに本番である。朝からじーじー蝉の声が聞こえ、これから更に暑さが増しつつある。写真は欝金(ウコン)である。