日々是好日

懐かしき過去、期待の未来を希んで!

卯月最終の日快晴、病院へお見舞いに

2016年04月30日 | Weblog

 今日こそは卯月最終の日であり。珍しく日本晴れの快晴の日である。メイに朝午前5時30分に起こされてしまった。何やかやしているうちに、有り合わせの食彩で朝ご飯を食べつつ、メイの朝飯を取り合わせて準備して食べさせたところだ。今朝は私の食べるバナナまで少しく食べて満腹させた。ベランダの植木が喘いでいたので、思い切って沢山の水を注いで置いた。今朝は銀行に行ってから家内へ病床へお花を買い枕元を綺麗に飾って上げようと娘が提案し三茶で購入を予定した。しかし、幸い天気は快晴で途中西ヶ原の庭園を覗いてからお見舞いをして来ようかと予定を変更して、お昼前に午前中西ヶ原の旧古河庭園を娘と見学した。その後、タクシーで家内の居る病院へ行きお見舞いを二人でした上、娘は午後のレハビリに家内を先導して病棟内を3回歩行し歓談し、元気な様子を見て、帰宅したわけである。これからの回復は見通しが明るいものと思われる。


昭和の日、見舞いに娘がまた上京して病院へ、回復進歩のきっかけ

2016年04月29日 | Weblog

 今日は昭和の而も快晴の佳日である。昭和天皇は謹厳実直なお方で、それこそ激動の昭和時代を国の方向を決められた聖断は正に偉大であり、薨去後本年で28年を経過した訳である。今日から連休が始まる人が多いが、凡そ100年の辛酸をへて、今日の日本が存在していることを皆が肝に銘じなければならないと思われる。娘が母親の見舞いに今日午前京都から新幹線で泊まりがけの2度目の訪院である。娘、息子、私も共に医師であり乍ら母親の期待に応えられる様、出来るだけの総力を結集して、今日まで見舞いがてら面倒を尽くして来た。東京駅から娘が、自宅から私が家をでて、病室で3人が出会える日でもある。楽しく歓談できて病態が移送回復に向け進展するであろうと期待している。メイは良い仔で缶詰を全部平らげ、今は絨毯の居間でゆっくりと憩いを取って居る。昨日と異なりすっかり天気も回復して幸いである。家内の病状も回復を示し、昨日径鼻腔胃管も外れ普通の願望となり、今日正午には術後最初の経口食事も開始されて、目覚める程の手順で身体回復は、恐らく今後目覚ましいものが有るであろうと期待されている。大きな進歩の日であった。


卯月今日が最後の雨ならよいが!

2016年04月28日 | Weblog

 本当に気候の定まらないこの卯月であった。まだあと3日間あるが、明日明後日はどうにか晴れるそうだ!家内のお見舞いで毎日病院を訪れていたが、一日の中でどうにか霽れ間もあったので、傘を射してのお見舞いは恐らく2日間だったであろう。雨に災いされての見舞いは左程無かった様な気がする。家内の体調が徐徐に快方に向かっているので、此方も元気が出る。来週からはきっとお澄まし位から経口の食事が与えられそうで楽しみである。この連休明けにはどうにか退院と言う感じも見通しがつきそうである。息子は毎日多頻度に病室を尋ねて呉れているが、明日京都から医師の娘もまた、連休早々2~3日、遥々見舞いがてら面倒を見てくれるとの由である。家内も心待ちに喜んで頼りにしている。さて、メイは食時の種類を変えてやれば健康維持の食事量は維持できているので安心である。夜は良く寝るので心配は無いが、布団の上で真横に寝られると一寸重いので降参だ!今日も午後から病院へ行って来ることとしている。


本当に良い天候の昨日、今日は飛行機雲の予測通りの雨模様に!

2016年04月27日 | Weblog

 卯月もあと4日でお終いである。ずーと続く良い天気、ずーと続く雲雨の天気、まこと不安定なこの一ヶ月間の天候状況である。今日がその最終日で明日からはまた雨降りだそうだ!今までの悪天候を打ち消すか如くに綺麗に晴れてその分暖かく上着は要らない陽気であった。但し本日到着の不動会の校正刷り、実は4月4日の初校の時これで終稿でよいと、但し書きをして返送したのに!  当然もうとっくに編纂も済んで、今日はその雑誌が贈られて来たのかと思ったくらいであった。誰か原稿の遅い人が居るのではないかと思って仕舞った。でも止む無く、直ちにその2校を早速ポストへ投函した次第であった。さて、夕方それをポストに投函に行くときの西空、飛行機雲が二筋本当に綺麗に西日に映ええていた。この分だと27日の水曜日は、きっと雨であろうと思われよう。家内も元気で見通しが着き始めて様な気がして来た。家内も医者の言動からそう察知したそうである。もう3~4日で何か経口のお粥類が、口に入るのではないかと些々やかに考え始めている。そうなれば嬉しいことである。


歴史は甦る、昨日は正成誕生の日

2016年04月26日 | Weblog

 昨日は亡父の命日であったが、調べると楠木正成の誕生日でもあった。小学校時代国史や唱歌の文言に良く登場して、人の行くべき道を説示した挿絵や唱歌の文言は、今でも諳んじて唱えることが出来る。それ程に我が国の英雄視的な存在で、一昔奈良の河内郡の正成誕生の地を訪問して感慨無量なものがあったことを良く覚えている。今朝の新聞にもその誕生地の秘話など、これから証されるであろう、経った5年間の、歴史の重用部分が明らかにされると、もっともっとその人間像が明らかにされると憶う。「船坂山と杉坂と未跡慕いて院の庄」の一節も思い出深い。さて、メイにも十分朝食を喜んで摂ってもらったし、散歩がてら足腰を鍛えて午後には家内の病室を訪ねたいと思う。一休みして世田谷公園当たりが無難であろうと思う。快晴で散歩には丁度良い。


今日が56年目の亡父の命日

2016年04月25日 | Weblog

 今日で56年目になる亡父の命日である。存命中にもっと孝養を尽くしておれば良かったと、最近つくずく考えることが多い。日に当たり日陰になって、いつも私を愛し育ててくれた亡き父に、感謝感動である。旅館支店の新しい檜風呂に竃の火加減をしてくれた薪の音。泥鰌堀で掻い堀してバケツ一杯の泥鰌を沢山捕った夏の夕暮れ。小学卒業務式で区長として来賓席で、じっと私の卒業生代表の答辞を、見ぬ振りをしてじっと聞き耳を立てて見詰めていた父。終戦前に父母と二人で東京の新戚の家から陸士入校日に校門まで贈ってくれた優しい眼差し、などなど。数え上げれば切りがない程である。当時病院より帰宅途上の耳鼻科医師の私が、無謀なオートバイに衝突されて一ヶ月の負傷を負った事実を知って、脳卒中を起こし1年後の4月25日鬼籍に入った事実など。今もって話が出来ればゆっくりとお詫びの話し合いなどを、したい気持ちが十分である。そんな父を憶い出し、その死が今更なお悔やまれてならない。此れ等の憶いは、日毎年毎に、益々深く強くなって行くのである。あ~あぁ懐かしきわが父、憶い出はどうしても尽きない。学校の帰途家内の所へ寄ったが、昨日より良くなっているので、安心してきた次第である。

 


卯月最後の日曜日、お見舞いに

2016年04月24日 | Weblog

 このところお天気が不安定でコロコロ変化して、気分までも変調してしまう。天気予報も或時点では当たるが、あまり当てにならず。一日を通じて変化が多様で行動予測も出来ない。世界中もそうだが日本は今本当にお天気から始まって変幻自在な国情になって仕舞った様だ!平凡で安定した国柄になって欲しいと願っている。木々の青葉が日差しに映える爽やかな5月に早く落ち着いて戻って貰いたい。朝方電柱での雀の声が強く響き渡ってくる。そろそろ小雀が誕生する時期になって来る様である。何かperspectiveな心棒が大空高く打ち立てて欲しい。これから身辺を整理して新聞に眼を通して、碑文谷公園の神社に出掛け、散歩して午後には家内の居る病院へ、お見舞いに参ろうかと予定を立てているところである。早い回復を一日も早く望んでいる次第である。


4月も4週目終に近く

2016年04月23日 | Weblog

 天気は一進一退で、霽れたと思ったら翌日は曇り雨と言う始末の状況、正に天候不順である。今日は息子の教室が新入生歓迎の医局旅行と言う出で立ちで、歓迎会兼用の楽しい医局旅行で、傍目にも嬉しい次第である。私も今日午後から家内を見舞う予定であるが、息子も逸早く家内の所へ寄ってから医局旅行へ出発と言う予定であると挨拶して出掛けた。今日も夕頃から雨の予報であるので、コウモリ持参で出掛けたいと思う。メイは良い仔で、ササミとおすわり君をあげたら満腹したらしく、今は布団の上で大人しく寝ている。午後散歩がてら買い物をしてから、家内を見舞って来る手筈を立てている。一日一日快方に向かって進んで行くことを願っている。メイにはササミ、そして自分は、学校での昼食を用意することを忘れない様に心掛け、これから出発したい。


大雨の後また快晴

2016年04月22日 | Weblog

    穀雨を過ぎて今朝はまた大雨の後の快晴である。天気が良いと気分も冴えるし爽やかである。大雨で早く寝んだので今朝は5時半頃から目覚めてしまった。朝食の準備を終えて、メイに朝飯をあげて8時朝食を済ませた。身の回りを整え朝の散歩に出掛けた。昔毎朝メイと家内の3人?で良く行った所の神社の公園である。暫く散歩をしていないので、メイは連れて行かなかった。ゆっくり散歩して愈々昼食を摂って、今日もこれから病院へ家内の見舞いに勇んで行って来よう。日増しに回復基調になっているのがとても楽しみである。さて今日はどの程度先に進んでいるかが、期待され楽しみである。京都の娘も泊まりがけで一週間も毎日病院へ見舞ってくれたし、今日も病院へ行ってみると息子が既に2回も見舞ってくれていたそうで、私はたったの一日一回限りであるが、お遣い奴を担当しており、家内が「娘息子など、皆には本当に助かり、連日の病室訪問を感謝している」と話していた。ゆっくり静養してすっかり治って焦らずに退院を待って欲しいと、話して来たことを、今帰宅した息子と喋ったところである。メイには大好きなササミを十分に当てておけば、左程我が侭を言わないことも分かって来た。毎回同じ食事では飽きてしまうことも良く分かって来た。併し本当にお利口で助かり、この話題に家内も大変喜んでいた次第である。


昨日の好天気も今日から又雨、穀雨で止む無し

2016年04月21日 | Weblog

 穀雨は作物にとてこよない生育の慈雨である。夏至までもう2週間しか無いので、万物取り分け植物にとって成長発育結実の大事な時期なのである。雨をじっと我慢して優しく受け止め遣り過ごして、初夏を待つ心を人間も持つ様に心掛けねばならない。今日も午後から家内の待つ病院へお見舞いに出掛けようと思う。午後3時過ぎからの雨、午後7時過ぎには豪雨になるとの予報である。傘を忘れずに持って出掛けようと思う。経過が順調なのでお互いが元気が出る。もう1ヶ月の辛抱だと思われる。息子も毎日勤務の間を見て訪れ、元気をつけて呉れているので頼もしく嬉しい。午後2時過ぎにきょうもまた病院を訪れた。家内は元気で教授に診て貰って安心したようであった。夕頃近く雨が振り出し窓から傘をさした歩行者が目につき、家内がもう帰る様にと促したので、帰途に着いた。三茶ではスーパーで買い物をしたあと、傘をささないと歩行が出来ない程の大雨となった。