なんとも不安定な気象情報に振り回されて、この9月も終わりそうである。思い切って強力に物事が推し進められない歯痒さが残っている。久しぶりに洗濯物を干して日の当たるのを待ち、漸くにして陽光が射してきた。同時に木犀の香りが窓から入ってきて室内も爽やかな香りが満ち満ちていて清々しい。昨日からパソコン周辺や居間の隅の一辺を片付け始めてきた。気分を一新してこの10月から出直そうかと思う。
愈々明後日から神無月である。今朝も夜来の雨で玄関が濡れていたが、大した雨で無かったものの、曇り空が引き続いている。尾長鶏の喧しい鳴き声が観音さまの木々の梢を貫いて響いている。こんなに尾長がうるさい季節はあまり記憶に無い。その昔、故郷では熟れた柿の実を探して、尾長が民家の柿の木を跳梁していたことを思い出す。メイは缶詰に嫌気がさして朝の食事を昔の本物のササミを折角料理して与えたが、あまり興味を示さず、朝の食事は進まないことと推察している。天候異変で家の中の小動物までが食欲は進まないらしい。今日午後は畳の部屋のルームコンディショナーが、新旧入れ替えの日でもある。これだけが故障して水漏れが激しかったため、見てもらったところ、排水管とこkの機種の不具合が判明して今日の取り替えと相成った次第である。新築家屋も28年もすると、あちこち綻びが目立つようになる物だなと、気になるものである。その都度補修を重ねていくと、未だ未だ十分保全できるものなのであると思う。
月日の経過は早いもので今日から早や3日で10月(神無月)である。天候不順で人の心や行動に、得てして大小の変化が起こっている可能性がある。心が晴れないという言葉は、古今様々な場面で頻用されてきたが、今年ぐらい風物詩的に不穏な天候に左右された年月はそう無いと思う。本来清々しい筈の人心が、気分の転換や、それこそ霽れない心が頻発して、天候不順だけが原因であると断定できないとしても、心ない悪戯や事件が起こっても已むを得ない現象かも知れないと思われる。閑話休題:今日もこれから登学である。今月の課業は各種学年試験のほか、来年度入学予定者の入学試験の迫りつつある受験期である。教職員の苦心努力が効果を発揮する月なのである。昨日から、メイはいつもの缶詰の食事を約半分しか食べなくなっている。同じ味の食事に飽き飽きしたのかも知れない。家内の病後の回復は順調であるが、食事内容によっては、足背に浮腫が夕方から生ずる傾向が見られると言う。食事内容を玩味選択しているところである。
昨日の天気予報では今日は晴れ上がって快晴の由であったが、秋雨前線の影響からかあまり当たらず、どうにか曇り空で、洗濯物は干せなかった。それを見越して昨日は2回ばかり洗濯機で乾燥までを実施してしまって本当に良かったと思う。午後から幾分霽れ上がってきた。これから手紙を書いたり身の回りを整理して過ごそうかと思う。
容易にお天気情報が掴みにくいため、思い切ってたくさんの洗濯物を乾燥機に投入したところである。しかし、その後は徐々にではあるが霽れ上がって太陽が顔を出してきた。今日は登学の日であるが、出発まで様子を見ることとしようと思う。曇り空の予報であったので、もしか屋上に干したら小雨でも取り込みに屋上まで急がねばならず、止むを得ず洗濯機の乾燥に委ねたわけなのである。スーツを着てネクタイ無しでの登学は、この9月に入って2度目である。さて、そろそろ身なりを整えて準備して登学することとしよう。メイは今朝の朝食は約3分の2ほどを食べたが、完食では無かった。でも大丈夫であろう。国会が今日から開会である。
昨日は京都薗部在の娘のドッグランを見物し体験した。住居より高速道路と一般幹線道路を約1時間ばかり車を走らせて、道路沿いの杉林に囲まれた300坪ほどのせせらぎが右側を通過している閑静の平地であった。娘の3匹のワンコは固より家のメイも一緒になって散歩や駆け足で遊んでいた。遂には水の流れに入って水浴したり、せせらぎに入って、遊んでいる始末であった。動物達はこんなところが大好きのようである。名も無き草花やトンボなども飛んできて、それは格好のドッグランであった。その先には民家園の集落もあって眺めの良いところでもある。今朝は娘と二人で長岡天神にお参りし、その公園や池畔を散策して、清純な自然にも触れて気持ちが良かった次第である。正午前の新幹線で午後2時半過ぎには、メイも一緒に帰宅できた。
昔からお中日に曇り無しとそう信じていたのだが、夜来の雨が到頭豪雨となってしまった。午前中も驟雨になったり小雨のあったが兎に角天気予報道理に雨が休みなく到来した。この分だと午後2時からの特攻平和観音の追悼記念祭が大変気になって居た。近くのため傘をさして、一度観音様の会場を見に行ったが、喪服を着た人々が雨の中、沢山既に集まっていた。さぁー大変と引き返し喪服に着替え、一応正装で傘をさして出かけた。二つ目のテントの最前列に座して、時間待ちと雨降の雫を避けていた。ところがどうだ !会式が始まると同時に、あれほどの大雨がピタッと止んでしまった。昔流に言うと正に天佑神助である。厳粛な気持ちでの感謝の祈念式であった。市川から来た斎藤氏とは式後別れるまで歓談し旧交を温める事ができた。帰宅後身支度を変えた頃息子が一緒に夕飯をどうぞと言ってくれたので、大変好都合であった。随分と美味しいすき焼きご飯を、楽しく美味しく食べてられて、幸せそのものであった。今日は雨は霽れるし、夕飯が楽しかったなどで、本当に幸せな良い1日であった。
伊豆から帰って当夜は昔の恵比寿講であった。室内の恵比寿様に活き鮒を大きな水盤に泳がせ、飾ってお祈りをし、商売繁盛を図ったものである。憶えば昔の仕来たりが懐かしい。身の回りを整理して静かに寝んだ次第である。今日から学務で学校へ出かける事になっている。幸い台風も去って台風一過とは言えないが、今日1日中曇り空らしい。明日はまたも雨に見舞われるらしい。本当に変な天気で、行動の予定が取れない始末である。
息子の孫の医学部学生が、8人で伊豆の別荘を使いたいからと依頼を受けた。それから、さぁー大変!学生用に作っていないし。寝具も足りないし全部が足りない事ばかり。息子夫婦と止まり掛けで準備に出かけた。部屋のお掃除や、夜具のケインズでの購入や、庭の椅子テーブルの買い付け等々手分けで実施した。それに例年秋口に実施してもらう庭師への期限付きでの庭や樹木の剪定には、相当配慮したつもりである。一寸無理な願いを聞き入れて呉れたものの、不行き届きは免れなかった。でも、その日を只管に待った。合宿は3日間上手くいったもの、今度はその後片付けが大変である。これも3人で行った。ずべての配置や状態をを元どおりに直した。寝具の敷布は洗濯もして、すべて乾燥仕上げをした。畳み直して押し入れに格納し後始末を終えた。雨が間断なく降るので大変やりずらかった次第である。息子夫婦は車で、私は特急踊り子号で帰京し自宅へ帰った。時に午後6時半であった。雨がそぼ降る中であった。これでやっと、ほっとしたところである。明日は登学で、明後日は世田谷観音の戦没者慰霊顕彰会の追悼祈念祭である。25日から京都の娘のところへ行って、2〜3日遊んでくるつもりである。
来る日も来る日もまたも曇天、台風が引き続いて発生襲来しつつあるのでこの悪天候は止むをえないものであろう。しかし人間の行動は方向転換させられるし、また挫折する者も出ないとは限らない。天道正に崩れんとすと言うべきか? そうは言っても自然の摂理がそこに蠢いているのは事実で、止むをえないものであろう。中秋の名月を見ずして、今日はもう早くも翌16日となって仕舞った。森羅万象も風物詩的な人間性が入り込む余裕がなければ、矢鱈、無味乾燥化して、味気ないものになって終いそうである。謂わば人間砂漠である。天災を止むを得ざるものとして享受してしまう農作物関係者の遣る瀬なさを、ついぞ感得して仕舞い、種々の感慨を誘いそうである。