もう21年間もMacを使用して講義に講演にあらゆる場面に大変便利に活用して来た。購入後5年経ったものだが、立ち上がりが最近悪くなってスリープの付けっ放しにしていた。最近娘のパソコン新購入と軌を一にして、私も息子や娘のサゼストもあって、今日いよいよwinndowsに切り替えた次第である。まだ教本が来ていないので、ゆっくりとした初歩の勉強にはなっていないので全容は不明であるが、新開拓が楽しみである。もちろん従来の旧Macも使用可能なだけに、さぁー!これから勉強である。不安であり又楽しみである。私が43歳で医学部教授になった際(凡そ50年前)、東大の河野庸雄教授から「立ち上る葵の空の広さかな」と言う激励の句を頂戴し、甚く感激したことを、今もなお懐かしく有難く、追・回想している。写真は立葵である。
早いものであと一日で此の皐月はもう終わりである。天候不順に振り回されていたので、ついぞ行動が矛盾だらけに成ってしまったのであろう。そんな中で色々考察すると、出て来たものは、日課と言うもの一応作って、森羅万象に左右されないで、自分の日課の範疇の中で、それを基準に、準拠した日常を清々と辿って実行して行ったら良いと思う。今朝は就寝中に考え付いた日課を、早速早朝に片付けて、これから郵便局に行って二人の友人にお礼と自叙伝を贈ろうと実行に移すこととしている。午后から夕刻にかけて雨で、その後大雨に見舞われるらしい。不順な天気の連続である。
今日午后からはずーと下り坂だそうだ!そんな天気の様子なのである。午前8時早速、枕カバーや、枕の高さ調節の敷布8枚を洗濯して屋上に干してきた。午后からの天気は晴れを保証できないと、気象予報士がテレビで語って居たからである。先程から故人の仏壇の部屋の配置換えを実施した。故人と共に、落ち着いてお線香の香りを体感したいという願いからである。今日もゆっくりと故人と一緒した散歩道をこれから辿って散歩してこようかと用意している。あと2日の皐月の日和である。此のホストパソコンが立ち上がりが不安定で、付けっ放しのスリープ状態で此の2ヶ月を過ぎた。パソコンに詳しい息子が娘と相談したのかは不明だが、一昨日今度はウィンドウズのパソコンを買ってきてあげると言ってきた次第である。そう言えば娘も最近パソコンを買い替えたばかりなのであった。嬉しい限りだが、新たに勉強しないといけないので、楽しみと心配が一度に来襲するようである。
天候不順で天気が儘ならない。何故にこんな悪天候が続くのか自然現象だから止むを得ないと考えがちである。が、もともと気候温暖化を招来させたのは、吾々人間共なのであろうから仕方が無いと思う。人間の行動の積極性を欠落させるような気もする。温暖化によって様々な自然現象に変動が起きることを、最近新聞やテレビで知ったわけなのである。午前中雨の来ない内に一寸散歩でもして来ようかと思う。
中曽根元首相が今日100歳の誕生日を迎えたと新聞テレビは報じた。元気で今なお文書や生活活動が進んでいるそうであり、偉いものである。斯く有りたいと思うのは私一人ではあるまい。今日までが晴れで明日からはまた雨天が続くようである。これからが蝉の季節に入るわけであるが、上述の生き様は大したものである。参考に致したい。息子は大学病院の医局旅行で明けて今日は、皆でゴルフコンペだそうである。天気は快晴でホントに恵まれた皐月の月末の佳き日で何よりである。うんと健康的に皆で体力の錬成に努めて欲しいと思う。私は、これから散歩に出かけようとか思う、町並みは車が通り狭いので、歩行が不便であり、矢張り緑道を通って、世田谷公園の往復辺りが適当であろうと、昨日の散歩で感じ得た教訓なのである。緑陰のベンチの片隅に腰掛けて皐月の涼風を心地よく受けて約45分後頃ジャックラッセルを連れた人が通り過ぎた。何とも可愛く又買って育てたい気持ちになってしまった。その後ベンチを譲ったら若い夫婦から礼を言われてしまった。爽やかな皐月の空が綺麗に輝いて見えた。昨日実妹が故人の洋服その他を整理に来てくれた。お勝手に食器洗浄のボールがないことに気づき、帰途デパートで小型のボール(昔の食器洗い桶)を買い求めて帰宅したという次第である。
懐想や回顧などは、高齢者の戯言と受け取り聞き流す時代風潮が、現代でも同じであるが、若く精力的に活動期にある人々にとっては、立ち止まって他人の言辞に思いを巡らすゆとりや、安らぎなど、持ち合わせていないのが通例で現代社会の流れであろう。スッキリ晴れ上がらない曇天の今朝の天気、矢張りどっちつかずで人心を奮起させるものを持ち合わせていない。せめて読書でもして、昔日の文豪の気心に触れて見たいと思う。今日は夕頃約一時間10分の散歩を試みた。緑道から杉浦さんの方向へ歩み、芦毛塚を経て 三茶行バス通りを其の侭進んで、昔勤務後に夜遅く帰宅した道を歩んでみた。今はすっかり住居やマンションが立ち並び、明るく広くなっていて少しも怖いことなど感じない道路となっていた。思えば何と72年前の思い出である。今昔の念に堪えない。
今日から夏日が続くそうである。気象予報士の言であるが、データを元に発表するわけなので誤りはなさそうである。日差の変動や地域差など、様々な変動を時間差で追って行くので、それはそれは、大変なのは分かるのであるが、視聴者は細い変化を一々追いかけて記憶する訳にはいかないので、そこで、自分の地域だけの情報を生活上の指針にすれば良いだけの、話なのである。今日は亡き、家内の実妹が我が家を訪問することとなっている。故人の使っていた大事な品々を、衣服や鎌倉彫なども、使って欲しいというのが、故人を始め、残された吾々が望むところなのである。天気も晴れでもう屋上には洗濯物も干してきてある。毛布や故人の寝間着などこれから洗濯やさんへ出したいと思う。衣替えの時季はもうとっくに過ぎてしまっているので。そうして、また今日も緑道の散歩を心掛けようかと思う。
小学唱歌に「夏は来ぬ」があり、それは私にとって生涯に亘る懐旧の縁であり、思い出はいよいよ強く尽きない。前にも此のブログで記述したことが有ったものの、季節の推移に伴って、懐かしいその思いは尽きることを識らない。卯の花、ホトトギス、五月雨、玉苗、早苗、橘、蛍、あうち、川辺の宿、水鶏、夕月涼しき夏、都会の今でも、その幾つかは感得出来るものも数多くあるのである。が、故郷の田園風景は思い出すだに懐かしさと、身に迫る現実味が何とも嬉しい。昨夜の驟雨が今朝は晴れて爽やかで清々しい。自然とともに人生を歩む人の心が蘇りこよなく懐かしく楽しい。小学校の音楽室で担任の先生のオルガンに合わせて歌った5〜6年生の頃が、そして友垣の顔がいつも甦って来る。そんな懐旧の幸せの思いに、浸ることが出来るのも、高齢故の幸せの生き様かも知れない。心に響く童謡、唱歌が脳機能を活性化するようである。
家中の清掃と整理の終えたところで、正12時甥が玄間ベルを鳴らした。居間でのお茶やお菓子の接待で時間を潰し、更に久し振りの来宅で歓談に花が咲いて、約3時間半の会話が引き続いて、ゆっくりと時間を過ごせた。家内の鬼籍に入ったことは知らせていなかった為に、居間に入った途端に、家内の喜ぶ故郷の新鮮野菜を持参したのに、残念至極であったようで申し訳なかった。ほんの肉親4人での納骨を済ませた翌日ということでもあって、 私も甥も互いに吃驚してしまった。しかし、会話の中で全て理解が深まり、延々3時間半という長広舌の会話に為ってしまった訳である。男手一つの接待だけに話中心であった。お土産のお返しにマンゴー、お茶、羊羹などを差し上げて、車で車庫を出て真っ直ぐ、午后4時前に越谷に帰宅できたようであった。私は、夕飯の支度と接待の疲れで、早くも午后8時には、寝んでしまった次第である。今日はこれから雨降りが始まって、明日朝は本降りに成るとか。洗濯はしたものの、まだ干す気にはなれなかった。少し天気の具合を見てから行動を起こそうと思う。
晴れて心地よい五月晴れである。昨日の鎌倉霊園での納骨を仏事として終えて、今日は関係の肉新者は皆正常の勤務に戻って行った。娘も息子の勤務車に同情してJR駅まで送られて京都へ帰って行った。皆が今日明日からいつもの勤務へ戻って行き、お互い夫々のために、正常の勤務に服することとなった。仏となった、淑子の冥福を祈りながら! 昔以上にきっと職場での元気と信頼を取り戻すことであろう。今週は、甥の訪問を今日約束で受け入れたし、実妹の訪問を金曜日にも受けている。これからも私は落ち着いた日々をゆっくり歩もうと思う。一家の幸福を願いながら。