五月最後の日で今日は禁煙デーということである。禁煙に関して世界で最も最低の国なのだそうだ。 公共の場や駅等には未だに禁煙場所が設置されて来ているが、一体これはどうなっているのであろうか? 場所指定が徹底されたせいなのであろうが、世界では、喫煙で700万の人が命を失っているのだそうだ! 受動喫煙の被害をも含めた数字であるそうな。健康への意識、喫煙の害などが、一般に周知徹底していない所為であろうかと思われる。明日から六月水無月である。5日が芒種、11日が入梅、そして21日が夏至なのである。月末は夏越祭りである。こう書き並べて来ると、まこと月日の経過は早いものである。
初夏は何となく好きだ! 季節の風物詩が目にも外気にも、青葉若葉を初め、季節の花々に感ぜられるからであろう。佐々木信綱の「夏は来ぬ」こそが、その真骨頂であろう。卯の花、ホトトギス早も来鳴きて、忍び音もらす、橘の香る軒端、楝散る川辺の窓、水鶏声して、夕月清しき、五月闇蛍飛び交い、水鶏鳴き、卯の花咲きて、など。これら一言一句皆夫々に風情があり、心地良く感ぜられ、何とも気分が晴れ晴れとし、爽やかさに打たれるのである。東京には、今年もツバメも来ず、ホトトギスなど、トンとその姿は無論、鳴き声すら聞かれない。雀も年々その姿が減少している。自然や小鳥たちの可愛い囀りさえも疎らとなってしまった。今や何とも味気ない人間の暮らしとなってしまったのである。この過少となってしまった自然を何とか取り戻そうと、苦心惨憺し知恵を働かして、自然探訪を試みるより他は道は無いものと思われる。写真は竜舌蘭科のユッカ蘭であり、昔県立不動岡中学時代の中央花壇に、この花が咲いていたことを懐かしく憶ひ出す。
栴檀、卯の花(空木)、箱根空木、半夏生、など季節の花々が咲き誇って、我が世の初夏を彩っている。誠に綺麗で季節感が溢れ出ている。今それぞれの花をブログに登場させて、いつでも初夏から夏への意気込みを、これらの花々の如く持続して生きたい。半夏生は私の誕生日頃に咲く花葉である。それだけにこの季節は、一年の丁度半分に相当し、その7月3日こそは、意味が深長で、懐かしくまたこよなく愛くるしい貴重な花である。
今日は、静かな休日の日曜日なのである。あと二ヶ月の勤務はあるものの、殆どの大役が済んで身軽の身となった。気楽に今後は今までの苦労を挽回すべく気軽な生活を楽しんで送って参ろうと考えている。身も心もやっと掴んだ生活であると思う。明日は地下室に保存してある4枚の絵画を学校に寄贈すべく午後から荷造りを始めたいと思う。気軽で気楽な期待する楽しい人生の門出となるよう、心掛けをしっかり持って生きて行きたい。今日も曇り空ながら、どうやら晴れ上がってくる空模様で、また、メイと散歩を楽しみたい。写真は福井地方の麦秋の風景である。
昨日学校の理事会で私の理事長として役割を実質終了した。勿論議長としての役割をも無事恙無く終えて、ホッとした今日である。今朝は午前6時には起床し、ホテルでの朝食を終えてから、食後の散歩に出掛けた。ホテル前を縦走して太平洋に流れる大淀川の堤防の散策である。河岸を大型石材で築き補強した上、堤防までに幅20メートルの歩道も設置されている。其処には白詰草の綺麗な草叢が河岸に沿って長く続いていた。散策のついでに涼しい夏の朝風に吹かれて、四葉のクローバーに憑かれ、その四葉のクローバーを摘む幸運探しを実施した。約40分余り歩行し、果ては蹲踞したりして、何と5枚の四葉のクローバーを見付け採取出来た。本当に幸運であった。私の無事息災での現役引退を、祝福して呉れた様で、大変な嬉しさに付け加え、無常の喜びであった。その上、昨日は学校の理事会で静かに穏やかに身を引く決意も、自然に全役職員の前で表現でき、幸いこれに過ぎるものはなかった。憶えば医師として68年の生活、そのうち3回の現役を閲した懐かしい人生でもあった。帰京し帰宅して、故郷の方角を向き直し、亡き父母・祖先に感謝の誠を捧げた次第である。写真は、今朝採取した5枚の四つ葉のクローバーである。夕頃にはメイを連れて公園とその周辺の散歩を行ない、爽やかで楽しい時間、久し振りの嬉しい散歩であった。約1時間の散策、メイはとても元気で嬉しかった。
明日で3回目の現役を実質上終えることと成ろう。事実この7月末日が勇退日である。思えば長い“ダブルライセンスの旅”であった。昭和24年に歯科医師となってから、更に初めからやり直して、医学の道に進み7年、終えて医師になってから医学部大学院も終えて、ついに教授となり、短大学長をも経て、専門学院長より理事長となった。この7月の末日をむかえ、3回目の現役の任期を満了して、穏やかに静かに身を退くこととなった。憶えば、長い「ダブルライセンスの旅」となった長旅なのであった。各種多彩な憶い出は尽きないわけである。思えば78年間中、3回49年間の現役勤務だったのである。今日は本校での理事会であり、これが議長として最後のお勤めとなった。憶い出は数限りなく多く、沢山の人々に感謝の念は尽きず。それはそれは、思い出多い人生であったと、懐旧と感謝の念に駆られている。
明日は宮崎で本校の理事会が開催されるので事務部は一足先に今朝もう出発している。但しこれから日本列島は大雨に見舞われそうで心配である。私も明日の9時45分のソラシードエアーで出発の予定である。雨が一日でも早く治ってくれることを願っている。今日はゆっくり明日の議長としての役目を総覧すべく下調べをしている。メイは朝早く起きて、すぐに小用をたした。朝食も十分に食べて今は布団の中でゆっくり仮眠をとっている。雨模様の我が家の朝の風景である。明日の準備の衣替えのスーツを整え、出かける準備もこれから行って、万全を期している。
歴史を紐解くと国内各地で神社祭が催行されている。明日は湯島天神祭であり各地の天神様は菅原公を偲んで様々な慰霊のお祭りが催行されるであろう。二十五日は楠公の父子の別れで有名でもあり、湊川の戦いで戦死した楠公祭が神戸の湊川神社でも執り行われる。この二十五日は我が父母の月命日でもある。季節は急ぎ初夏から夏に変遷してきているようである。昨日の館林は35度一分の真夏日になった様である。ダンボール箱を整理し徐々に書斎の整頓にかかっている。植え替えた玄関の南天も毎日の水遣りで生き続けており、大変楽しみである。玄関もきれいになったし、家内の喜びは一様ではないらしい。いよいよ夏である。写真は梅雨が近づく頃に花咲く「ばんまつり」である。紫や白の花弁がとても綺麗である。最近あちこちで見かけられる。
当時の昨朝は、正に午前0時、競争の姿で暗闇の中を用意ドンで校門を出発した。遠行競争である。不動岡から秩父神社までの強歩の競技である。往路は確か64㎞である。校門から熊谷辺りまでは駆け足が続くものの、その先は徒歩になったり疲れて、連続終始走り続ける訳には行かない。波久礼から長瀞あたりまでは、徒歩の学生が目立つようになる。この競争で順位は兎も角、秩父神社に到着せねば、大事な教練の点数や体育などが合格出来ないからである。それこそ皆一生懸命に走り続けた次第である。4年間毎年この競争に参加した成果が教練の成績に跳ね返るので、皆真剣になるのである。それは当時戦時下の挙国一致の国民総動員体制下なのであるからである。戦後76年の今、当時の事柄は、全く想像も付かないくらいの、緊迫した国民皆兵の軍事体制下なのであったからなのである。ただ、その競争を終えた15歳くらいの中学生の心境は、誠に、清々しく達成感に燃えて居た様で、私自身その様な自覚であった事を具に憶い出している。
月初めの月曜日理事長も朝礼に出る事と自分で決めていたが、先週は忘れて欠席したので、今週は、週末にはこの学校の理事会も有るので、その概要報告も兼ねて朝礼に出席して教職員の皆さんと顔を会わせようと思って早く出掛けて来た。朝7時に近くのバス停で乗車した。昔学院長時代にはこの午前7時には海兵出身の某氏と、良くご一緒したのであった。今朝は居なかった。何しろもう3年余過ぎて、お互い環境も変わっているのであろうから! 今朝はその他事務部長との打ち合わせなども有り、小文書を用意して来たので、その相談と言う事もあった。30分も早く着いて午前8時半迄にブログは書けるし様々な雑用もなんとか出来るので、朝の時間こそ有効適切に使用出来る事を今更又も知った。写真は立川昭和記念公園の今時のシャレーポピーだ!