日々是好日

懐かしき過去、期待の未来を希んで!

5月最後の日、五月晴れで、明日から水無月

2011年05月31日 | Weblog
 2日続きの悪天候驟雨に強風の2日間を過ぎて、今日はすっきり晴れた五月晴れ、幾分ひんやりとした肌寒さはあったが久し振りに、メイと散歩が楽しめた。金土日月とずーっと4日間、留守と早朝出勤とで丸まる、家内とだけの散歩、それも雨に阻まれて2日だけ。可哀想に!ゆっくりと朝の決まった行事も出来なかっただろうに?
 それがどうだ1今日は一遍に解決、3回も行事を済ませ、さぞサッパリした事であろう!今日これから家内は検診で留守、メイと私のお留守居番である。
 私もこの4日間は本当に忙しく早朝の連続勤務は、さすがに身に応えた感じだ。が、昨夜はグッッスリ一回も目覚めずに寝られたので、調子も良く嬉しかった。今朝の BD は139~79、P は 59であった。Af もなく爽やかで気持ち良く起床でき、また足取りも軽く散歩できて、本当に幸せなことだと思う。

今日梅雨も一休み?

2011年05月30日 | Weblog
 雨に弱い都会、そこに住んでいる吾々は長雨に弱音を吐く。そんな生活が繰り返されて、季節の移り変わりと共に我が学園の営みも進行している。昨日は日曜日の体験入学の本年度の最初の日であった。担当教職員夫々に朝早くから出勤して、大雨の中で夫々の部署に着いて務めを果たしていた。
 今日は午後から颱風の影響が無くなって、晴れ間が覗くらしい! さぁー朝礼だ!  何を話そうかと一思案中である。政治が混迷を極めている中で、このところ矢鱈に権限や任務の重複する会議や委員会を、わざと作り続けている。何を何処に意見するべき分からなくなっている。【船頭多くして船山に登ると言うことだ!】と私もそう確信している。「船頭を増やす話しは要注意」であると、識者で評論家の片山杜秀氏は、昨日の新聞紙上で警告を発している。正にその通りだと思う。上に立つ者は、これら箴言を大事にし、心して謙虚に努めるべきであると思う。リーダーシップとは何かが、何処のどんな組織でも、現代の喫緊の要事・課題として、問われている最中にある。

梅雨空のもと第1回体験入学開始さる

2011年05月29日 | Weblog
 Multi Slice CTの新設置と学舎前の新植栽の完成とによって、教職員揃って皆が意気軒昂!!
 昨日から本格的な梅雨が訪れ今朝は文字通りの五月雨となった。午前7時07分発のバスに乗って登学した。日曜日の梅雨とあって、乗客が少なく、途中のバス停は素通りが多かった。そのため予定より遥かに早く、8時10分前には学校に到着し部屋に落ち着いた。教職員各一人ずつ既に着校しており、来訪者を静かに待ち受けていた。9時過ぎ徐々に体験入学者とその父兄が来学し始めて、定刻10時には体験入学が開始された。冒頭父兄に、私は責任者として挨拶と本校の教育方針と現状を正直にプレゼンした。その間、雨は間断無く降り注ぎ、強く弱く降り止むことは無かった。昼食後来談者は、卒業生および現役学生との懇談会を、一時間ばかり重ね、質疑応答など熱心に取り組んだりして、今日の全日程が終了した次第である。
 写真は先日完成を見た校舎前の植栽の景観である。ツツジが綺麗に植えられ、校舎の佇まいが一変して素晴らしくなり嬉しい。私が着任以来の念願が、漸くにして、ここに実を結んだこととなり、感概無量、嬉しいの一語に尽きる。これから暫く長雨が続くらしい。植栽の躑躅にとっても、吾々にとっても願ってもない幸いである。私も早く生着して、来春には花開く事を期待しそれを願って、夢見る次第である。

台風を避けて無事に会議終了、帰京

2011年05月28日 | Weblog
 今朝は台風の余波で夜来の雨がホテルの窓ガラスを、曇りガラスにしてしまっていた。今日の予定は、帰京するだけが仕事なので、颱風の影響が無いよう飛行機が飛べば良いと願っていた。それだけの話であるので、気楽に空港で時間待ちをしていた。幸いにして、定刻に飛行機が出発できたので11時半には羽田に着陸できた。友人が足腰を弱め労っている様子なので、構内通路を車椅子を押してタクシー乗り場の近くまで送り届け、サポートした訳である。
 東京は正に梅雨入りが到来し、矢張り五月雨であった。皆と別れてから、モノレールと電車やバスを乗り継ぎ、午後1時半には帰宅できた。正味1日半の間、留守をしたので、玄関を入るなり、メイがすっかり喜んでしまい、足元や廊下を駆けずり回り、大はしゃぎで歓迎してくれた。何とも嬉しい。メイの全身全霊を挙げての喜びは、何とも喩えようが無く。何時も癒される事が多い。
 飛行機の旅は矢張り疲れる。帰宅して旅装を解き、家内とお茶を飲んで会話を楽しんだ。その後少しく午睡して、明日の体験入学用のスライドの準備と、その仕上げや整理をしたところである。
 写真は五月雨けむるホテルの窓から見る大淀川である。

宮崎での会議,台風の合間を縫って

2011年05月27日 | Weblog
 早朝7時03分近くのバス停を出発して羽田空港に8時15分には到着した。鹿児島や福岡行きに欠航が報じられていたが、幸い宮崎行きは正規の運行で安心した。同僚友人の一人が既に着いており、9時30分の出発間で時間待ちをしていた。台風の影響で天気が予測できないまま、遅れて宮崎空港に到着できた。
 湿気が多く蒸し暑い中学校に到着してスライドの準備をしたが、例年通り、パソコン機種の違いから、折角万全を期して用意したスライドの各画面が全てフォントが変化しており、一部は色まで変化してしまっていた。早速現場で修正を加えて、どうにか見られるように出来て、ほっとしたところである。
 午後の会議には滞りなく報告説示が出来一段落できた次第である。台風がらみの天候も先輩と私の晴れ男が効を奏して,晴れ間から陽の光が顔を出して来た次第と相成った。
夜は懇親の宴会が持たれて会議は上場成功裏に終了した。

明日から宮崎で会議

2011年05月26日 | Weblog
 明日から宮崎での会議である。今日一日を報告事項の解説を交えて分かり易くする為のスライドを作成した。いろいろ欲が出て来てより鮮明で目で見て理解し易いようなpptでのカラフルなスライドが作成できた。ただ私のパソコンはマックであり、学校のそれはウィンドウズであるので、若干の色、フォントの乱れは起こるとしても、まーまー大丈夫であろうと多寡を括っている。さー明日は出発が早いので、そろそろ早目の就寝をしよう。

あちこちの天神祭り。学校では植栽をツツジに変更

2011年05月25日 | Weblog
 入学試験の時期には菅原道真公が天神祭としてこの25日拝み奉られるものの、楠木正成が湊川で戦死された今日25日、天皇中心の時代物は懐古されないと言うことである。父が4月25に亡くなっているので。ついぞ思い出してしまうわけである。この日に因んで嗚呼忠臣楠氏云々は、このところ全く聞こえてこない。古い時代の歴史の事実も、今は全く顧みられない時代となった現今では、矢張り止むを得ないことだと思われる。片や天神祭りが、この25日、あちこちの天満宮で執り行われているのと、極めて対照的のようである。
 今日は病院に寄ってから学校に参り、いろいろ報告やら相談を受けて会議が只今終了したところである。校舎の前側の植栽を、新しくツツジを植えて綺麗にしようと試み、今日から植木屋さんが仕事に勤しんでいる。待ち遠しかったが、これで来年春はきっと綺麗なツツジが花咲くことであろう。

雨の検診の日

2011年05月24日 | Weblog
 昨日来の雨、今朝も強く降り続いている。予約していた検診の日だけに、雨傘を持って息子夫婦の車に便乗して一緒に出掛けた。病院では手際良く、予約の時間通りに3つの検査がうまく進行して午前10時10分には終了した。料金支払いの待ち時間が30分程あって、11時少し前には電車で帰途に着くことができた。
 午後昼食を挟んで、午後一時過ぎには晴れ間から太陽が、顔を出し始めていた。晴れてきてほっとした。それで早速ながら、メイを連れて午後の散歩を実行した。メイは何しろ雨が嫌いで、雨中の散歩は出来ずに、朝の排泄を我慢しているのが可哀想でならなかった。天気の好転を見定めて急いで散歩を試みた次第だ。
 昨日息子一家が買ってきた初物の西瓜、とっても甘く美味であった。家内と共に、落ち着いてゆっくり味わうことができた。

小満が過ぎて万物の発育固まる

2011年05月23日 | Weblog
 一昨日は小満の日であった。立夏後の陽気が旺盛になって、万物が生長発育し、一応満足の大きさに達するお日柄と言うことらしい。道理で家の裏の柿の木、葉の大きさも、緑の色も、緑濃くなって一応固まったらしい。そんな事で、たまたま徒長枝を昨日剪定したところである。メイが何時もの見送りで玄関を出てから、一緒にバス停迄付いて来てしまった。バスに乗ってもその場で動かずじっと見送ってくれていた。矢張り忠犬メイ公である。
 学生も入学以来一ヶ月半、そろそろ疲れや緊張の糸もほぐれかかって来たに違いないが、幸いに5月病の症候は見られていない。学校では、昨今ホームページが新生され、装いも新たにデビューした。レイアウトから色彩、内容共に格段の飛躍発展である。これで国試100%が評価されて、HPやメディアリポートなどで広報されれば、正に鬼に金棒である。朝礼でも同様な事柄を披露して教職員各位の一層の心意気を繋ぎ合わせた次第である。午後一杯掛かってスライドを仕上げて万事遺漏なきを期したところである。

思いで多い5月22日、秩父遠行競争の日

2011年05月22日 | Weblog
 戦中時代に生きた中学生、それも切っての国家主義の校長率いる県立旧制中学、軍事教練は固より全てが国のため国を守る意識の高揚に努め、そのような教育を受けた。大東亜戦争開始の昭和16年頃から毎年、この5月22日は、昭和14年の丁度この日、青少年学徒に賜りたる勅語奉戴の記念の日として、往復64キロの遠行競争が実施された。中学校門を午前0時正確に出発、秩父神社に至るコースである。あれから3年間毎年連続で、無事時間内に秩父神社に到着したものである。さもないと教練の合格点数が貰えないと言う専らの話であった。クラスの中で教練の点数が優でないと、陸士・海兵は駄目だと言う噂であった。陸海軍の軍人志望の同級生は、皆必死に遠行競争を勝ち抜き、教練の時間には必死で頑張ったものである。クラスの3人が教練は優であって、それらが皆陸士・海兵に合格できたわけであった。
 その懐かしい秩父遠行競争の日である。憶い出は尽きないし、そう話しても中々話に乗ってくれないのが、現代であり、何と58年前の戦時中の青年時代の事だからである。若さでよく頑張ったものだなと、つくずく思う。