9月の悪天候に苛まれて、やっと今日で長月を終えた。6月が水無月であったものの、この9月は水有月であった。雨水から離れてやっと神無月で、明日の台風で悪天候におさらばを告げて、爽秋の晴天を希求して止まない。そうあって欲しい。今日からいよいよ原稿の執筆開始である。落ち着いて言葉を前に進めよう。
今日から午後大雨が予想されるが、昨日は台風前の貴重な秋晴れの爽秋の日であった。明日夕頃から大雨で、夜半は猛烈な台風が襲来するようである。ご用心ご用心である。猛烈な台風だけに気象庁は用意周到を呼び掛けている。明日日曜日30日の夜からは、猛烈な台風の暴風雨で心配である。
朝身の回りを片付けている時故人の実妹から電話を受け、自然に親しむには最高の秋日和を目黒自然園は如何と電話を受けた。この春行った故人の思い出を回顧しながら、久しぶりの目黒駅近くの自然園を選んでくれた訳である。またその脇の大木鬱蒼の自然公園をも散策して植物の名前を記銘しながら歩いた次第である。約一万歩余りを秋の涼風に吹かれて散歩した今日の自然散策は、思い出深く気分が爽快で、秋の気配を満喫出来て、また家内とも過っての思い出も回想出来て、本当に良かったと思われた。実妹に感謝したい。秋の日本晴れの好天気で幸いであった。両園共に金木犀の香りが心地よかった。
このところの雨には心身ともに相当落ち込んでいる。誰しもその様であろう。本当の秋晴れが来て、心身ともに爽快な毎日を過ごしたい気持である。今日弟子の里見君が欧州の学会から帰国して、お土産を届けに私宅へ来るとの電話が午後入った。最愛の弟子故に出張談を楽しみに、今待っているところである。きっと嬉しい話が聞けることであろう。原稿を書きつつもいろいろの思いが募る。2~3日前から、このパソコンで写真を3つのファイルに纏めて、夫々スライドショーを試みて見た。中々面白く3~6個の枠組み場面も見応えが夫々多く、興味津々であった。これからもこれらのバリエーションを考え工夫すると、更に見応えが増し楽しみである。
秋の祖先崇拝の行事も済んで、いよいよ十月の神無月である。異常気象もあと一つ台風が過ぎれば、やっと平穏な月日が望まれよう。この7~8月は異常気象の大変な月であった。高温・多湿・豪雨・台風など、身体が休む日も無かったようであった。これからは落ち着いた日日が送れそうで、心なしか頼もしい。秋の虫たちの声も楽しく聞けるようになってきた。自然に順応した人々の営みが普通に送れるようになって欲しいと願っている。ブログを書いてこれから原稿の執筆である。曇りのどんよりとした秋の午前中の日和である。
このような不順な天候は、最後の24号の台風が今週末の土曜日には、迫っている所為かも知らない。肌寒いこと夥しい、この4~5日である。明日は晴れで明後日は又も雨で、その夜には上述の強い台風が日本列島を縦断するらしい。強烈な暴風雨が又また襲来するらしい。本当に困ったことである。ワイシャツに上着を付けないと、外出できない程の涼しさである。依頼原稿の資料の目通しを昨日約一日かけて実行したが、23年も前の事柄だけに、忠実に蒐集は難しい。原稿用紙10枚ほどと写真数枚で宜しいと言うけれど、これが中々に容易ではない。期限が11月30日と言うが徐々に記述してまいろうと思う。今日は亡き父母の月命日である。遥か故郷の地蔵院を望んで父母に冥福を祈った次第である。
これ程に国の内外が不安定な情勢に、国民誰もが呆れ果てている。誰かこの乱世?を狂瀾を既倒に廻らす救世主は、世界には居ないのか?怪訝でならない。然し唯一人の市井人が、いくら国の将来を憂いても、起死回生の思案は始まらないと思う。せめて自らを律して、人の道を真っ当に歩む方途しか、無いものと思われる。今日はこれから、午後には雨が降り始めて夜間には大降りとなるとの天気予報である。晴れているうちに、数々の懸案や原稿に手を付けて行こうと言うのが、これからの日程である。
今日は秋の彼岸の中日の日である。再わい太陽が良く日差しを照り始めて、終日の好天気であった。午前中書類の整理に精を出して午後からは近くの観音様の平和記念祭に顔を出してみた。知人は居ないが寺院の副住職やその兄弟が、良く采配を振ってくれて午後3時半に終了した。年月を振ると多くの知人も少なくなって、会話する人も僅かであった。昨日からパソコンの使い勝手が面白くなって、写真のスライドショーが気楽に見れるようになった。興味が湧いて楽しみである。
雨模様のこの月のお彼岸騒々しい世間の様子を尻目に、今日からもゆっくりした生活を時節と共の送ろうと思う。昨日故人のお墓参りが済んで、この秋を思い出深い故人の追想と共に静かに落ち着いて暮らそうと思う。風物詩、歳月人を待たず、自然と人生など、人の営みや生活は極自由で自然であって欲しいと思われる。自然の風物こそが人の心をやさしく和らいでくれるものと皆人はそう思う。矢張り時には都会を離れて、鄙なる故郷や田舎などへ訪れて、散策し思索することも良しとし、実行することも良いと思われる。日増しに涼しい日和となってきた。時節に順応した生活を今こそ身に着けようと思う。
昨夜9月20日の周永さんの65歳の誕生日のお祝いを、三茶東京飯店で和やかに祝福して、家族一同と共に今後の健康を祈願。今日は小雨降る初秋の彼岸の初日、娘恵美子の上京を契機に、甥姪が進んでの参加もあって、故人の初の墓参の為、鎌倉霊園へ午前8時半に家を出発した。すでに甥姪は到着しており、小雨模様ながら久闊を叙し合って、約6か月間の再開を、親しく互いに睦みあった。集会所ですぐに花卉を購入して墓前へ向かった。10時半お花とお線香を墓前に手向け、皆で懇ろに故人淑子を追悼しお線香を上げて、故人の冥福を心から祈念した次第である。集会所に戻ってしばし故人を偲んで追憶し話し合って散会した。こじんまりガ好きだった故人の、肉親だけの墓参、故人もきっと喜んで呉れたことと思う。小雨がしとやかに降り注いでの、静かな追悼の墓参の一日であった。小雨そぼ降るお昼過ぎに帰宅、共に昼食をとり、娘夫婦は午後一時過ぎには早東京を後にした。思い出多い追悼墓参の日であった。