天候不順から月日の様相が不確定となった。だが月末となり明日から冬の11月である。幸いに今朝は晴れて今陽光が差し込んでいる。週間天気予報を見れば今週は雨の日が無くずーと曇り揃いで時に晴れる日も多くなるという。果たして予報通りとなれば良いがあまり当てにならない。昨日で学園祭も終えて学校はいよいよ後期の学力発揚の時期に入ることとなる。学生はそれが本来の大事な仕事であるので、皆大童で勉強に勤しむこととなろう。
天候不順から月日の様相が不確定となった。だが月末となり明日から冬の11月である。幸いに今朝は晴れて今陽光が差し込んでいる。週間天気予報を見れば今週は雨の日が無くずーと曇り揃いで時に晴れる日も多くなるという。果たして予報通りとなれば良いがあまり当てにならない。昨日で学園祭も終えて学校はいよいよ後期の学力発揚の時期に入ることとなる。学生はそれが本来の大事な仕事であるので、皆大童で勉強に勤しむこととなろう。
遥かなる昔の明治時代、この日教育勅語が下賜された。戦時下の小学生だったころ、学校では記念の日に、この勅語が披露され読まされたものである。それからずーと戦時中この思考が流布されていた。時代が変わって古今東西に亘って普遍的な人の道を説いたものという。しかし逆説的に、そのせいか、戦後は顧みられず敢えて口にするものは無かったようであった。一人静かに生活信条としてこの気持ちを修務することは問題は無さそうであり、気持ちとしての要と考えたい。さて今日も不順な天候で朝のうち、まだ曇り空であるが、午後から少し晴れるとの予報である。すっきりした秋空を望んでいる。もうこのまま、明後日から寒い11月に突入するのであろうか。天候不順が普通になることを願う。
今日は我が校の学院祭である。本年は取り分け生きつく暇も無い程の悪天候で、今日の日がどんなであろうかと思いやられた。が、曇り空でどうにかうまく開催出来そうである。校舎内の開催なので大丈夫であろうと思う。身支度をして午前11時頃までに登学しようと思う。世事が煩雑でゆとりのない日々が続いているようで何とも情けない。昨日は日の光が差し出すようなさっぱりした明るい話題がヤフーに写真入りで報じられた。それは中3の中学生が夏休みの宿題で、電気行火で市中のスーパーで買い求めた「うずらの卵」が孵化して、元気に掌の上で、餌を啄ばんでいるではないか。あまりにも自然と人間の共生した美しい情景に接したわけである。こんな人間味溢れた話題が最近あったであろうか。心和む晩秋いや初冬の情景である。
平成11年のこの日全日空ホテルで日本学術会議50周年祝賀会で両陛下台臨、「歯学代表として皇后陛下と会話の光栄に浴し握手を為す」と日記に記してあり。その際の白い手套は今もアルバムの該当ページに残されている。昨日は三笠宮殿下が薨去された。13歳年上で戦時中を共に生きた私にとっても感慨無量で、哀悼の意を心から表したい。今日からまた悪天候である。ただし午後から夕頃に掛けてのようである。今のうち洗濯を屋上へ干してこようかと思う。午後になって寒さの襲来と共に小雨が降り注いできた。急ぎ洗濯物を取り込んで、浴室へ干した。幸い浴室はタイルの床暖房が点いているのでわずかの湿気は間も無く乾燥できた。ツワブキが黄色い花を今を盛りと咲き始めている。葉っぱが光沢があって綺麗である。
秋空と言えば秋霜烈日の語呂がすぐ様浮かぶ。スッキリした秋空、涼しい秋風、爽やかな空気など、それは昔日の名残なのか?と思ってしまう。明日は雨だという予報である。昨日は家内と久しぶりに京王デパートでの買い物をした。現在のショッピングカートが不便で使い勝手が悪いため、新品の使い易さを求めたためである。幸い格好な品が見付かり満足できた次第である。今朝はそれを使って近郊のスーパーまでお着物に出かけた。果たして満足できるかどうか、帰宅してからの話を聞きたい。秋風から初冬の薄ら寒い風に変わって、今朝の屋上は恐らく良く洗濯物が乾くことであろう。あれやこれや楽しみである。近頃夜間の睡眠の微睡む中で、矢鱈にご先祖の事どもが夢に出てくる。秋の彼岸には墓参りをしなかったためであろうか? 今になって、亡き父母やお先祖様の偉功が思い出され偲ばれてならない。只管「感謝」あるのみである。時間を作って墓参に参るべきと心掛けている。
月日の経つのは早いものでもう後2〜3日で年末の11月である。天候不順が続いて気分が晴れず予定も狂って生活に区切りが付かない日々が続き、ここいらでやっと晴天がどうにか続くようである。メイの今朝の食欲は少しく弱く、まだ私の身の回りに付いて来ないが、やっと7時20分纏わり付いた。いつもの70%を食べたところである。家内がショッピングカートを日常使いやすいものを買いたいというので、午後2時過ぎからデパートで待ち合わせをすることとした。果たして適当で格好良い物があるかどうかである。
昨夜何の気なしに触れたキー、今朝午前10時頃まで指南書を紐解いたり苦心して、やっと回復した。今その画面でブログを書いているところである。色々な書籍を読んでもなかなかに名解答がなく謂わば苦心惨憺であった。朝のうちは晴れていた天候もお昼前の今はすっかり曇って来て、屋上の洗濯物も乾くかどうかも不明の気配である。メイの今朝は半分ほどの朝食を食べたものの、その後頻りに眠っている。今朝早朝午前2時には屎尿を突然粗相して、謂わば夜中に始末したことがあるので、若干ではあるが胃腸状態があまり良くないらしいものと見ている。もう間も無く16歳を迎える年なので体調不良なのかなと思われる。家内が久し振りに三茶にお買い物に行ったので、只今はその帰りを待っているところである。パソコンが回復できたので気持ちが良い。
このところ関東地区は何とか晴れて秋晴れがが引き続いている。おかげでこの3日間屋上で洗濯物がすっかり乾燥できている。洗濯日和である。変わった動きというものはないが、敢えて言うならば補欠選挙ぐらいなものである。メイがお腹の具合がちょっと悪いものの、食欲はあり便が少し緩いだけで左程心配は無いものと思われる。晴れてはいるが富士山は今日は望めない。下空が一体に曇り霞んでいるので見えていない。今日からスーツを着替えて愈々登学である。清々しく気持ちが良い。家の前の道路と左右燐家の道端の落ち葉を清掃して居たら、通りがかりの人が挨拶をして行った。お互いが気分が良いのかと思うと気持ちが清々する。善行は誰にも認めてもらえると感じた次第である。
昨年は10月4日転倒して翌5日に入院、早速6日に血腫除去の手術を受けた。そしてその10月24日には再発のため、翌25日に手術を受けたことを思い出す。顧みて思えば、昨年は厄年であった。今年は風邪くらいで、さしたる病変もなく、順調に健康を回復維持している。家内の手術も順調で、今は家事も出来て健康回復中である。お互い生活に注意して過ごせば良いと思っている。健康こそが何より有難い。日頃の生活に注意して過ごして行きたい。
時代を遡って、5年前にはこの日渋谷駅前のハチ公の碑が、新たに上野博士の出身地の三重県の久江駅前に建てられた。関連はないもの、歴史絵巻として今日はまた、今尚伝えられ実行されている京都の平安神宮の時代祭りの日でもある。京都と言えば何と言っても、あの大鳥居の平安神宮と共に、清水寺を誰でも想起し、まずお参りする位、人口に膾炙している。それだけに代表的な名所史跡である。今日がその神幸列であり、時代祭りの催行がある日なのである。やっと不順な天候から解放されて、明日からは曇り時々晴れの天候が続くらしいので安心である。メイも元気が出て普通の生活に戻っている。午前9時日差しが出始めて来た。明日は登学なので衣替えの洗濯物を沢山クリーニング屋さんへ出したところである。