今日は夏越しの大祓の日で丁度一年の真ん中の日である。この日になると、「風そよぐならの小川のゆうぐれはみそぎぞ夏のしるしなりける」、がブログに記述したくなる。この歌は、新勅撰和歌集に収載されている藤原家隆歌人の作である。季節感溢れる京都の上加茂神社の境内を流れる小川で、六月祓いの禊をしている様子だけは夏のしるしであると歌っている。この時期秋に似た風情が漂っていた様を歌っているようである。夏越の祓は、茅の輪を潜り今後の半年間の無病息災や厄除けを祈願する行事である。
学生との最後の体育祭なので、午前7時半過ぎに家を発ってバスを乗り継ぎ、駒沢の体育館へ着いたのが時に8時25分。事務の川端さんが追いついてきて、今日の体育祭の概要の説明を受けた後、会場入り口で約15分待たされた。8時45分開場であった。雨のため雨傘が邪魔であったが、雨宿りをしているうち、続々学生とともに会場にそれぞれに布陣した。準備体操の後に学院長・理事長の挨拶の後、学生の競技が開始された。思う存分色々取り取りな服装で、午前午後熱戦が展開され、午後3時過ぎ、縄跳びで全部が終了した。約35分掛かって徒歩で帰宅した。途中カルガモの赤ちゃんをカメラで撮って帰宅、あまり可愛いので、パソコンに収容した。
6月の大祓、その年の丁度半ばの時期、公園や野辺には半夏生が咲く時期でもある。一年の半ばで、明後日には、どこの神社でも玄関の大鳥居に真菰で編んだ大きな輪を括り付けて、お参りする参詣者がそれを通り抜け無病息災を祈る風習がある。これぞ大祓であり、それをこの日、今でもその風習一年の半分を総浚いして清楚にする風習を実施する神社が多い、東京ではこの輪が作れないので、この実施を見送るが、今でも故郷ではこれを実施する習わしが残っている。今朝はもう駒沢運動場へ出かける。学校の体育祭なのである。勤務の最後の学校の行事だから、是非共出席をし実行して、学生と最後の挨拶をしたいと考え、事実そうして午後4時過ぎに会場を後にした所である。帰途駒沢公園タワーの池に親子の鴨が遊んでいた。余りの可愛さに5枚ほど写真に収めた次第である。
昨夜の気象予報で梅雨の期間中は、至近の予報こそがが最も頼りと言うことである。この期間中は変動が大きく先行きが読みにくいと言う。今朝明け方からの雨、今もしとしと降り続けている。五月蝿ならぬ普通のハエが一匹部屋に迷い飛び込んで、あちこち飛び回っており厄介である。勝手の扉を大きく開けて逃がそうと試みている。やがて居なくなるであろう。例の蕃茉莉、今朝は紫色の花弁が、全く白色に変化し、とても綺麗で、びっくりしているところである。あの紫色がこれほど綺麗な白色に変化するとは? 本当に嬉しく華麗そのもであり驚嘆している。今その花弁を写真でお目に掛けたい。清楚で可憐、可愛いい。
梅雨入りが始まって、「夏は来ぬ」の懐旧に浸っていた。ところがあっという間に水無月ももう26日、来月第一月曜日7月3日の朝礼時には、別離の挨拶がしたいのだ! 後5日で間も無く文月7月である。メイを連れて路地で大小をさせるようになった為に、セメント部分の凹みがが気になっている、昨日の昼にはそこをセメントで平らに打ち直した。今朝には、もう半乾きながら硬化していて、ゴミ出しにも足跡も付かず支障は無かった。7月ともなれば、きっと晴天の暑い日が訪れるであろうと期待している。今朝も蕃茉莉の花が綺麗でとても可憐である。折角の水無月、五月雨は兎も角、卯の花、橘、水鶏など、花や小鳥の名前など都会では知る由も無い。来月5日には、お別れの会を自らの意思で開いて、そっと密かに学校を去りたいと心掛けているところである。下の写真は含羞草で、触れるとお辞儀をするので、”オジギソウ“とも言われている。
夜来の雨が今日一日も続く模様である。なんだか寒い。来月中の医学部の部活、その部誌の再発行が来月一杯で締め切りである。雨に事掛けて昨夜から原稿の執筆を始めた。息子夫婦は、孫と一緒のゴルフ!?かと、この悪天候を気遣っている。今朝からもずーと未だ降り続いている。仕方なく原稿を書き綴っている。宛先の弟子のところへ送ったものの、メールの宛先が不適というので中々送信出来なかった。止むなく電話で違う宛先を教えて貰い、そこに変更して、やっと届いた次第である。時に午前10時25分、これで7月一杯迄の宿題は皆済んだところである。雨が絶え間なく降り注いでいる。午前11時半やっと降り続いていた小雨が、止んだようだ! これから一息ついて午後からは、また書斎の整理でも始めようかと目論んでいる。今月一杯は梅雨の影響で、この不順な天候が永続するらしい。嫌になってしまうが仕方が無いのだ! 写真は嬉しいことに購入した蕃茉莉(ばんまつり)の綺麗な開花である。たった一輪だがとても美しい。何か良いことが起こることらしい。これから花の色彩が変化を示す、楽しみである。
もう月末の最終土曜日になってしまった。文月7月まで後一週間しか無い、退職をあと一ヶ月後に控えて、いよいよ身辺整理に励もうと思う。学校の理事長室の書類雑誌教本など、また机内の自己の備品文房具など、ダンボール5箱もあれば十分間に合うであろうと思われる。いざ去るともなると、一抹の寂しさをを感ずるのは、人の道の常なるかなと思われる。今月30日の夏越しの大祓を控えて、今日は先般の大雨の被害のスーツと沖縄製のゆかりしを洗濯に出して、七月を服装を整えて清楚に涼しくして出校したい。7月3日の92歳の誕生日には、偶々朝礼で別れの挨拶をする心組である。今まで原稿を読んで挨拶した試しが無いが、この日は朝礼での極めて短時間の挨拶なので、2分半だけ原稿に目を落として済ませたいと考えている。メイは今朝も元気で小は済ませ朝食も終えた。朝曇りながら今日一日は、雨は降らないであろう。
朝早く起きてメイの面倒を見てから朝食だ!よく晴れた一日、明日からまた天気が崩れるとの予報である。ベランダの植木達に、よく洗った水受け皿を配置したり、棕櫚軸には十分に水を与えたリ、その他玄関の家内が植えた植木は無論。移植した南天、葵、なども充分に施水して、約一時間半の植木の面倒見は終わった。暑気に向かって、これから皆元気を回復するであろう。さぁーこれで、こちらも気持ちが良い。君子蘭の10鉢だけは日除けを施した。家中内外が、生き返ったようである。明日絨毯の部屋とか廊下を大掃除をすれば、万全である。午前は家内は祐天寺にお買い物、午後は交代して私が、三茶へ身の回りの小品を求めに、バスで往復する予定である。家の内外が綺麗になって才気煥発である。植物も皆喜んでいる事であろう。
普通は退任する人が退任者の送別会で、お別れの挨拶をするのが通例であろう。だが、本校は違う。高齢者は私一人なので、自分からお別れの会などと言う事はあり得ず、本当は誰かが気付かなければ成らない筈だが!止むを得まい。却って此方が限られた小さなお別れ会を催すなんて、逆なのだが、と暫し黙考! 可愛い連中だけのソフトの会にしようと思う。四季の絵画はハードな面で、既に学校へ寄付して置いたので、最後の最小のこのソフトな思い出の会は、良い気持ちでの思い出のお別れの会にできたら良い!としたい、と言うのが私の本音である。多くを語らず、自然にそっと退くのが、「立つ鳥跡を濁さず」に沿う所以でもあろうと信じ、それこそが後々まで気持ちが良く、皆の心に残るであろうと思う。再来週の朝8時30分の朝礼での挨拶は、時間の短縮削減を考慮して、初めて原稿を見て喋る事とした。昨夜その原稿は800字に纏めて既に完成、手元に置いてある。机内や本箱内の書籍類は、自分でタクシーに積んで処理したい。前理事長の「九仞の功を一簣に虧いた先轍」は、決して踏むまいとの、私の強い信念の発露であるからである。さぁーこれでさっぱりし、準備できた次第である。写真はアガパンサスである。
梅雨入りの中で今日は夏至である。夏至と言えば、昔では夏そのもで風物詩的にも本当に夏到来の様々な民族行事やその他が展開されて、日本文化の良さや有り難さが称揚されたものである。今はそれが無く、ただ月日が無為無策に過ぎ行くのみと成ってしまった。せめて季節感が肌身に感ぜられる事どもがあれば、その地区の行事も盛り上がって、永続継承されることになるであろう。花鳥風月も顧みられ無い味気ない日本文化になってしまった。都市部では矢鱈に高層の建築が建てられ、科学が進歩してきている割には人間社会が、無味乾燥化してしまっている。人として生きる楽しみが喪失して仕舞った時代であると言えよう。今日は夏至である。新聞には何処にもそんな季節の移り変わりの記事は見当らない。せめて読書によって人生を追懐して、楽しむ事が生き甲斐に成って仕舞った。メイは今朝も大小を済ませて普段通りの朝食を食べ、天気の悪い所為も有って、今はゆっくりと自分の毛布で寝んでいる。今日の午後からは大雨情報が事実となって驟雨が襲来するようだ!やるべき仕事を、早めにきちんと急いで済ませたい。帰途午後3時40分見事強風雨に襲われた。風雨が強くタクシーにも乗れず、止む無くバスで帰宅した。各地に被害が出ているが、自宅に近くなって風雨はすっかり止んで仕舞った。雨に濡れたスーツは、裾がよれよれになった。