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人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか (新潮新書) |
クリエーター情報なし | |
新潮社 |
「悩む」ことは、
苦しいときもあるけれど、
一つの財産になるような気がしています。
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「人間関係が上手くいかない」と悩んでいる人は、
それだけでもう、
人間関係というものを見つめられる能力を持っている証拠である。
そういうものに悩まない人の方が鈍感で、
また周囲からは困った人だと思われている場合が多い。
悩む人は優しいし、割り切れる人は冷たい、という傾向もあるはずだ。
思う存分、悩めば良いと思う。
悩ましいものを自分で見つけたことが、その人の能力であり、
その発見にまず一番の価値がある。
悩める問題を抱えていることは悪い状態ではなく、
それを放棄して、ぱっと忘れてしまう方が
「馬鹿になるための方法」で、好ましくない方向性に見える。
もちろん、馬鹿になることが絶対に悪いとも断言できない。
たとえば、あまりに悩んでしまって自殺するよりは、
馬鹿なふりをして、少し生き続けてチャンスを待つ方が多少は良いように思う
(これも断言する自信はないが)。
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森博嗣さんの著書、
「人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか」(新潮新書)に
上記の記載がありました。
森さんは、物事を「具体的」にではなく、「抽象的」に考えることを勧めています。
人間関係についても、「抽象的」に考えることを提案されています。
例えば、
互いに理解を深めようとする人間関係には、相手の立場になって考えてみるなど、「抽象的」な思考があります。
一方で、損得のような具体的な何かをやりとりする関係は、上辺だけの関係にすぎないです。
仲たがいをするのは、相手の言葉とか行動とか、解釈の違いとか、タイミングのずれとか、
そういう「具体的」なものが引き金になります。
でも、「その人が、自分にとって本当に必要かどうか」という基本(抽象的な思考)に立ち返ると、冷静になり、細かいことはどうだってよくなるかもしれない、と言います。
勉強でも、ビジネスでも、ゴールを明確にして、
そこへ向かうための方策や計画も、より具体化していくことを求められる傾向があるように思います。
それは、より効率的な考え方かもしれません。
でも、「具体的」な思考ばかりではなく、
「曖昧さ」や「抽象的」な思考も、持っていたほうが、
心豊かに過ごせるような気がしています。