『乱歩殺人事件-「悪霊」ふたたび』(角川書店)は、江戸川乱歩が雑誌「新青年」に、1933年から1934年(昭和8年~9年)にかけて掲載した小説「悪霊」の第1回から3回の原稿と、休載のお詫びがもとになっている。
殺人の犯人、トリック、殺害の動機などが明らかにされないまま、未完となってしまった作品を、作家の芦辺拓が引き継いで完成させたものだ。このため、著者は、芦辺拓と江戸川乱歩、2人の名前が書かれている。
鍵がかかった土蔵の中で起きた密室殺人。
そのトリックは、どのようなものだったのか。
現場に残された紙片に描かれた記号・マークは何を示すのか。
乱歩が書いた第1回~3回に、謎を解くための「種」は仕込まれているはずだ。
この人物が、この時、こういう発言をするのは不自然ではないか。
ここが「種」なのではないか。
この人を犯人だと想定すると、この展開は説明しやすいなどなど。
未完となった作品ゆえに、乱歩作品の研究者や推理小説マニアのような人たちはさまざまな分析をしているようだ。
乱歩が仕込んだであろう「種」を尊重し、齟齬がないように注意しつつ、彼が書かなかった部分を新たに創って物語を展開させ、結末をつける作業は、著者にとって、どのようなものだったのだろうか。
まったく新しい作品をゼロから創作するよりも、ベースとなる物語がある分、書きやすかったのか。
それとも、乱歩が描いた登場人物や環境に縛られ、乱歩が想定していた結末を推測しながら書くことは、面倒くさいものだろうか。
乱歩が書かなかった「続き」や「結末」を、私だったらどう書くだろう?、想像してみたが、まったく思い浮かばなかった。
江戸川乱歩が書いた部分と、芦辺拓が書いた部分の継ぎ目は目立たず、物語の展開が自然に流れていて、
1つの作品にまとまっている点がよかった。
小学生の頃、学校の図書館で、「シャーロック・ホームズの事件簿」やアガサ・クリスティの「そして誰もいなくなった」などのミステリーを借りて読んだことが、読書が好きになるきっかけだったことを思い出す。それらのラインナップの中に、江戸川乱歩や横溝正史の作品があった。小説の舞台や登場人物の様子は、小学生の私が暮らしている世界とはまったく異なる世界へつれていってくれた。本書を読みながらそんな体験を思い出し、懐かい気持ちにもなった。
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