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気ままな読書感想文

【さらさらさん】質や量ではかれない、見えにくく、言葉にしにくいものについて

2013-05-02 22:57:19 | Weblog
さらさらさん (一般書)
クリエーター情報なし
ポプラ社

明確にしにくいもの、見えにくいものを、どう捉えたらよいでしょう?

例えば、「発達障害」といわれるものも、その1つ。

周囲の人に「障害」が見えにくく、

また、「発達障害者」があるという人でも、

人それぞれ、「困っている」ことがが異なり、「障害」の内容が多様だそうです。

 

私は、「障がい者」という言葉を、どうしても好きになれません。

 

できるだけ使いたくないのですが、

「発達障害」について考えるとき、

「困っている」という状況や、その内容を、

周囲の人に分かりやすく伝えるためには「言葉」が必要な気がしています。

 

その言葉が、「発達障害」という言葉なのかもしれない。

と考えたりしています。

 

大野更紗さんの著書「さらさらさん」に収められている、

熊谷晋一郎さんとの対談『「ゆらぐ」障害者』。

 

この対談の中で、熊谷さんが、下記のような指摘をしていました。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

振り返ってみれば、

これまで、障害を語るときには、

「質と量」しか言ってきませんでした。

 

たとえば、「目が見えない障害」であるとか、

「耳が聞こえない障害」であるという「質」でまず分類して、

 

あとは目が「どれぐらい」見えないかとか、

耳が「どれぐらい」聞こえないかという「量」で判定する

というように、一人の人の中での「ゆらぎ」が十分に記述されていない。

 

(中略)

 

今の自立支援法では、当事者のニーズではなく、障害の「質と量」に関する判定結果が

支援量を決めている。

 

となると、「ゆらぎ」のある人が一番割りを食うでしょう。

明らかに重度の人はお金が下りるかもしれないけど、ゆらいでいる人、軽度の障害、言語化されにくい障害や苦悩を抱えている人には、とてもとても厳しい。

 

(中略)

 

そもそも、生活というのは、障害のあるなしに関わらず、ゆらぐものですね。

急用が入ったり、体調が変化したり、何をしているわけでもない待ち時間や、

余暇が突発的に生じたりする。

 

必要な支援や制度設計を考えるときに、このようなゆらぎを考慮に入れる必要があります。

 

生活を「家事」「介護」「外出」など、スケジュールごとに細かく分けて、

それに必要な支援の量を計算するというやり方で、真っ先に削られるのが、

何をするでもなく見守りをしたり、寄り添ったりするための時間、いわば「ゆらげる時間」です。

 

ゆらぎの中でこそ、意識や、言語や、イメージや、対話や、新しいアイデアが生まれるのですから、これを無視した制度設計を認めるわけにはいきません。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

見えにくいもの、明確にしにくいものを捉えるためのキーワードが、

「ゆらぎ」かもしれません。

 

障害のある・なし関係なく、

質とか量とかでは計れない部分、要素こそ、

「人間らしさ」のような気がしています。


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