
淳は遠藤を見下ろした。
その表情には、ありありと憤懣が浮かんでいる。
遠藤はもう一度威勢よく彼に食って掛かろうとしたが、やはりその射るような眼差しの前で身を竦めた。
「遠藤さんはそこが問題なんです」

淳は遠藤に近づいた。
そして耳元に顔を寄せると、ゆっくりと強い口調で囁く。
「いつもその一瞬を我慢出来ない」

もう何度目です? と淳は言葉を続けた。
瞬きもせず、射竦めるように遠藤の方を凝視する。
「あの時ちゃんと話つけたでしょう。今さらこんな風に蒸し返されちゃ困りますよ。
今回は一体どうすべきですかね‥?」

二つの瞳から与えられる、恐怖とそして警告。
思わず遠藤はぎゅっと瞳を閉じた。

そこへ、再び秀紀が二人の間を割って入ってきた。
「もうやめて!なんなのホントに!そんな怖い言い方しなくてもいいじゃない!」

淳は顔を顰めながら、「兄さんには関係ない」と言い捨てる。
しかし秀紀は譲らなかった。
「いや、関係ある!カードのことも、ムキになって言い過ぎたことも全部俺のせいなんだ。
俺のためにやったことなんだよ!」

秀紀は懇願した。
もう遠藤を責めないでやってくれと、こいつをここまで追い詰めたのは俺だから、と。
必死に頼み込む秀紀の背中を、遠藤は胸が詰まる思いで見つめている。

淳もまた、胸中複雑な思いで秀紀を見つめていた。
両手を合わせ哀願しながら、一生懸命遠藤を庇う秀紀の姿を。

どうか今回は許してほしい、と秀紀は尚も淳に向かって許しを請うた。
もし殴りたいなら子供の時のように、俺を殴ればいいと言って頭を差し出す。

そんな秀紀の後ろから、遠藤が彼の襟首を掴んで引き寄せた。
そこまでやる必要なんてないと、秀紀に向かって声を荒げる。
「お前正気か?!俺はお前にそんなこと頼んでねぇぞ!みっともない真似すんな!」

しかし秀紀は否定した。
心の中でずっと思っていたこと、常に隣に置いていたその責苦を、涙ながらに口に出した。
「だって‥俺が‥俺が全部悪いから‥俺がこんなろくでなしだから‥」

全部俺のせいだ、と言って秀紀は泣き出した。
子供のように大声を上げて泣きじゃくる彼を前に、遠藤は彼の背負っていたものの重さを知った気がした。

しかし淳の方を窺うと、彼は蔑むような目つきでその光景を見ていた。
遠藤がバツの悪そうな顔で俯く。


淳は一つ溜息を吐くと、吐き捨てるように言った。
「二人は一体何なの? まさかドキュメンタリーでも撮ってるつもり?」

以前秀紀が言っていたセリフを、淳は引用した。
おい‥お前にはそんな人が傍にいるか?
一緒にドキュメンタリーに出演したい女がいるのかっつーの!

淳は小馬鹿にしたように二人に向かって息を吐くと、
腕を組んだまま遠藤と秀紀を交互に見ながら続けた。
「どんなご大層な事情か知らないけど、兄さん、家はこのこと知ってるの?自分の状況分かってる?」

淳が家の問題を言及すると、遠藤は心が痛んだ。
青田淳と同じくらい裕福だった彼を、ここまで貧窮に追い込み、苦労をかけている原因は自分なのだ‥。

遠藤が口を開きかけると、それを遮るようにして秀紀が大きな声で言った。
「そ、そうさ!これが俺の生き方だ!」

秀紀は淳の前で頭を掻いて笑って見せた。
自分の人生はお前にとってはろくでもないものかもしれないが、世の中には色々な形の人生があるのだ、と言って。
「だからさ、もう怒るのはやめて、今回だけ許してくれよ。な?」

淳は腕を組んだままじっと見ていた。
目の前の秀紀を。

ヘラヘラと笑う彼に、昔の秀紀がオーバーラップする。
笑顔でいることだ!

淳は鼻で嗤った。
目の前に居る彼が、ボロボロの状態でだらしなく笑っていることに。

以前彼から教えられた処世術、”人前では何が何でも笑うこと。”
淳はそれが見事に裏切られたことを、目の前の落ちぶれた彼を見て知った。
「俺には”笑ってれば全て上手くいく”なんて言っておきながら、
兄さんを見てると、必ずしもそうではないみたいだね」

淳のその言葉で、秀紀の笑顔が消えた。

戸惑う秀紀を前に、尚も淳は言葉を続ける。侮蔑を孕んだ視線を絡ませながら。
「兄さんの人生がどうなろうと構わないけど、よりによって遠藤さんと?
二人ともどうかしてる。見苦しいったらないよ‥」

淳の侮辱を前に、二人は俯き黙り込んだ。
言い返す言葉が無かった。

しかし続けられた淳の言葉は、明らかに行き過ぎた嘲罵だった。
「片やカード泥棒、片や下着泥棒。本当にご立派なドキュメンタリーだな」

その無情な罵倒に、思わず秀紀が声を荒げる。
「お前そういう言い方は無いだろう?!」

秀紀はもう一度、遠藤がカードを盗んだのは自分のためであることを説明し、
自分は下着泥棒じゃないと言って憤慨した。しかし淳は冷淡に言い捨てる。
「それは容疑が晴れるまでは分からないけど」

その言葉を聞いて、秀紀は暫し怒りを忘れ呆然とした。
三人の間に沈黙が落ちる。

「ハ‥ハハ‥そうだった。お前ってそういう奴だったよな」

秀紀は乾いた笑いを立てながら呟いた。
そして淳に向かって指を指しながら、声を荒げて詰め寄った。
「この前”お前は変わった”なんて言ったのは取り消すよ!
お前は何も変わってない。いや、更に酷くなった!」

秀紀は淳に向かって叫んだ。彼の抱える問題を。
「他人の気持ちが分からず、ただ仕返しをするだけで!
理解できなければすぐに見下すんだ、知ろうともせずに!」

淳は初め虚を突かれたような表情をしていたが、徐々にうんざりと首を振り始めた。
顔を顰め、己を批判する秀紀に自らの理論で反論する。
「兄さんこそ正気なの?あんな人間と惨めたらしくしてるより、家に帰った方が賢明だと思うけど」

淳の言葉は正論かもしれない。
しかし、それは秀紀の求める答えでは無かった。惨めでも、貧しくても、譲れないものが心の中にある。
「惨めでも何でも、それが俺の人生だ!」

秀紀は堂々とそう言い切った。
しっかりと胸を張って、譲れないものを誇るように。
「俺は人間だから、人間くさいドキュメンタリーを撮ってやるさ!」

「お前も人間なのに、どうして人の気持ちが分からない?」
人の情とか、気持ちとか、そういった言葉に出来ないもの、それでいて後回しに出来ないものを、
秀紀は心の中に大切にしまっていた。淳には持ち得ない、金にはならないけれど人生を豊かにするものを。
「こいつ以上に俺を愛してくれる人も、俺が愛している人も、世界中どこにもいないんだよ!」


お金はあっても、いつも孤独を抱えていた。
しかし彼に出会ってから、大切なものに気づき、与えられ、そして育んできた。
彼と居られるなら、どんなに貧しくても、惨めでも、頑張って来れたのだ‥。

そんな秀紀の言葉を、淳と遠藤は口をあんぐりと開けて聞いていたが、
やがて秀紀は咳払いを一つすると、もう一度淳に交渉した。
「とにかく俺が代わりに全責任を取るから、修くんのことは今回だけ許してやってほしい‥。な?」

そう言って、秀紀と遠藤は淳の反応を窺った。
黙り込んだ淳をじっと見つめている。

淳は暫し沈黙した。
外面からは分からないが、内面では天変地異が起こっていた。
淳の核深く根づいていた指標が、ボロボロと音を立てて崩れゆくようだった。

心の中の海は決壊し、岸に建っていた標は朽ち果てる。
淳は今まで抑えていたものが、信じていたものが、脆くも崩れ去るのを感じた。
「‥兄さん」

低く静かな声で、かつての標の名を呼ぶ。ぐっと、握りしめた拳に力が入っていく。
「一体‥」

そして遠藤と秀紀は、予想だにしなかったものを見ることになる。
声を張り上げ、動揺し、そして怒りに身を震わせる青田淳の姿を。
「一体どうしてそんな風になっちゃったんだよ!!」

目を丸くする秀紀と遠藤の目の前で、
今まで本音を語ったことのない彼の、人生初の吐露が始まった。
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<崩れゆく指標>でした。
皆さん、気づいてました?
以前就活相談で雪が凹んだ時、ケーキを食べに連れて行ってあげた先輩が雪に「笑顔忘れずにね」と言いますよね。
そして幼い秀樹が淳に処世術として「常に笑顔を絶やさないことだ」と言いますよね。あれ、全く同じ台詞なんですね‥!
韓国語で「ウッゴダニョ」!両者とも同じ台詞です。


そう考えると、あの就活相談の時の「ウッゴダニョ」は、
「そうすれば全部上手く行くよ」っていう先輩なりのアドバイスだったんだなぁと今さら気づいて‥。鳥肌でした。
そして秀紀兄さんの台詞「他人の気持ちが分からず、ただ仕返しをするだけで!
理解できなければすぐに見下すんだ、知ろうともせずに!お前も人間なのに、なぜ人の気持ちが分からない?」
というのはすごく青田淳という人間を端的に表した台詞ですね。淳本人は気づいているのかそうでないのかよく分かりませんが、
読者は思わずうんうんと頷いてしまう場面です。
そして今まで本音を晒したことのない彼が、見せかけを脱ぎ去って本性を表します。
というところで次回、
<彼の本性>へ~(^^)/
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