「やだっ!!」

倉野愛の手が、雪の頬を掠めた。
「!!」

思わず雪は顔を背けたが、愛の爪が当たったのか、雪の頬には赤い引っ掻き傷がついた。
尚も「嫌だ」と言う愛を前にして、呆然とした雪は頬を押さえて絶句した。

しかしボランティアに来ているからには、投げ出すわけにはいかない。
雪は笑顔を浮かべ直すと、愛と目線を合わせながら彼女に話しかけた。
「愛ちゃん怒っちゃった?今日は数字のお勉強つまんないかな?じゃあ違うことする?」

雪は絵本を持ってきて愛に提案してみるが、今日の愛は機嫌が悪いらしく、
絵本は放り投げられ、机の上の教科書やノートは下に落とされた。
「おねえちゃんきらいー」

雪は呆然としながらも、ワタワタとノートや本を拾い愛に話しかける。
「あ‥私が数字のお勉強ばっかりさせちゃったから嫌になっちゃったかな?ごめんね愛ちゃん」

出来るだけ優しい口調で、
「でもね、先生とお母さんが愛ちゃんに数字をちゃんと覚えて欲しいって思ってるから」と説明してみるが、
愛は「おねえちゃんきらい」の一点張りだ。

その後も雪は謝ったりこっそりおやつ食べに行こうと誘ったりと、愛のご機嫌を取ることに一生懸命だったが、
彼女の気分が良くなることはなかった。

何度も何度も「おねえちゃんきらい」が教室内に響く。
雪は身体的にも精神的にも疲れ果て、建物の裏にて休憩を取った。
何度やっても慣れない‥。難しい‥

太陽が真上から照りつける時刻、雪は一人で座っていた。
先輩来てないな‥

いつも”やるべきこと”は着実に取り組む先輩が来ていないのは、珍しいことだった。
まさか自分と揉めたから来てないのではと、雪はぼんやり考える。
先輩が来ず自分が来ているこの状況‥。
そういえばここも、先輩の紹介だったっけ‥

ハハ、と乾いた笑いが漏れる。
今や雪の生活は、先輩からの恩恵で構成された部分がかなりの割合を占めている。
気づかぬ内に、好意を受け取り続けた果てに‥。

そんな折、携帯電話が震えた。着信画面を見てみると、母親からの電話だった。
もしもし、と電話を取ると、母親は「今何してるの?」と聞いてきた。
雪がボランティアに来ていることを口にすると、母親は相槌を打つ。
「お母さん、私今日さ‥」

雪が話し始めようとした矢先、母親はまるで堰き止めたダムを決壊させたように喋り出した。
「終わったらすぐお店に来てちょうだい!最近何で来ないわけ?
お店がもの凄く忙しいの分かんないの?アルバイト雇えないうちはすすんで手伝ってちょうだいよ!」

雪の開きかけた心の扉が、そのままに放置される。
そして続けられた母親の言葉で、その扉からは思いもよらないものが顔を出すことになる。
「あんたの高い授業料だって、勝手に湧いて出てくるわけじゃないんだから」

カチン、とその扉に何かが当たった。
その衝撃で扉は開き、秘めていた感情が溢れ出す。気づけば声を荒らげていた。
「話それだけ?」

雪は扉から洪水のように溢れてくるものを止められなかった。
少し戸惑っている母親に向かって、感情の赴くままに話続ける。
「お母さん電話掛けてくるたびに奨学金の話かお店の話か、
お父さんに怒られた話しかしないじゃん!私に話すことってそれ以外にはないわけ?
そのせいで私の頭の中そればっかだよ!」

「出来る時だけ手伝えばいいんじゃなかったっけ?
一体何にどんだけ神経使えって言うの。ただでさえここでもいっぱいいっぱいなのに‥」

雪は頭を抱えた。
それはストレスを抱えた時の彼女の癖だった。のし掛かる重圧に、押し潰されそうな時の。

流れ出る怒りが底をついて、雪の心の扉からはまた違うものが顔を出した。
それは不安そうな顔をした、幼く未熟な子供のような彼女だった。
「一生懸命勉強しなさい、仕事は大変じゃないか、外でも頑張りなさいって‥
そういう言葉は、かけてくれないわけ‥?」

彼女の背中は小さかった。
様々な問題に傷つき、色々な出来事に心を痛めて、雪はもうクタクタだった。
そんな娘の心の内を聞いて、母親は彼女の気持ちに寄り添ってくれた。
ごめんね、と。
自分の余裕の無さがあなたを気遣うまでの気を回せなかった、と。
”雪は一人で出来る子と思って、少し軽く考えていたみたい”
と母は言った。私といえば、怒らなきゃモヤモヤして、怒ったら後悔して‥。

どっちつかずの自分が揺れる。
前は、この後悔してる気分が嫌いだった。
でも最近はなんだか、怒っても怒らなくても後悔して‥バカみたいだ

頬の傷が痛む。ズキズキと、脈動に合わせて、その心の疼きに合わせて。
先輩に対して、怒り切れない自分に腹が立った。
でもこうして、母親に対して怒り切った自分にも腹が立つ。

雪は自分の行動を省みる度、常に合っているのかそうでないのか不安を感じていた。
いつまでも出ない答えが、どこまでも雪の頭を悩ませるのだ。
トボトボと暗い夜道を一人で歩く。怒りの尻尾に引っ付いてきた後悔を、引き摺りながら‥。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<怒りと後悔>でした。
先輩に引き続き、雪も本音を吐露した回でしたね。
いつもなら母親から小言を言われてもぐっと我慢してしまう雪も、あまりに色々なことがありすぎて、
感情が溢れてしまったようです。
でも本音を吐き出した後も、すぐに雪は後悔したり反省したりと、己を省みますね。
それと真反対な彼も数話先に出てくるのですが‥。
とりあえず次回は、<孤独の影>です。
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倉野愛の手が、雪の頬を掠めた。
「!!」

思わず雪は顔を背けたが、愛の爪が当たったのか、雪の頬には赤い引っ掻き傷がついた。
尚も「嫌だ」と言う愛を前にして、呆然とした雪は頬を押さえて絶句した。

しかしボランティアに来ているからには、投げ出すわけにはいかない。
雪は笑顔を浮かべ直すと、愛と目線を合わせながら彼女に話しかけた。
「愛ちゃん怒っちゃった?今日は数字のお勉強つまんないかな?じゃあ違うことする?」

雪は絵本を持ってきて愛に提案してみるが、今日の愛は機嫌が悪いらしく、
絵本は放り投げられ、机の上の教科書やノートは下に落とされた。
「おねえちゃんきらいー」

雪は呆然としながらも、ワタワタとノートや本を拾い愛に話しかける。
「あ‥私が数字のお勉強ばっかりさせちゃったから嫌になっちゃったかな?ごめんね愛ちゃん」

出来るだけ優しい口調で、
「でもね、先生とお母さんが愛ちゃんに数字をちゃんと覚えて欲しいって思ってるから」と説明してみるが、
愛は「おねえちゃんきらい」の一点張りだ。

その後も雪は謝ったりこっそりおやつ食べに行こうと誘ったりと、愛のご機嫌を取ることに一生懸命だったが、
彼女の気分が良くなることはなかった。

何度も何度も「おねえちゃんきらい」が教室内に響く。
雪は身体的にも精神的にも疲れ果て、建物の裏にて休憩を取った。
何度やっても慣れない‥。難しい‥

太陽が真上から照りつける時刻、雪は一人で座っていた。
先輩来てないな‥

いつも”やるべきこと”は着実に取り組む先輩が来ていないのは、珍しいことだった。
まさか自分と揉めたから来てないのではと、雪はぼんやり考える。
先輩が来ず自分が来ているこの状況‥。
そういえばここも、先輩の紹介だったっけ‥

ハハ、と乾いた笑いが漏れる。
今や雪の生活は、先輩からの恩恵で構成された部分がかなりの割合を占めている。
気づかぬ内に、好意を受け取り続けた果てに‥。

そんな折、携帯電話が震えた。着信画面を見てみると、母親からの電話だった。
もしもし、と電話を取ると、母親は「今何してるの?」と聞いてきた。
雪がボランティアに来ていることを口にすると、母親は相槌を打つ。
「お母さん、私今日さ‥」

雪が話し始めようとした矢先、母親はまるで堰き止めたダムを決壊させたように喋り出した。
「終わったらすぐお店に来てちょうだい!最近何で来ないわけ?
お店がもの凄く忙しいの分かんないの?アルバイト雇えないうちはすすんで手伝ってちょうだいよ!」

雪の開きかけた心の扉が、そのままに放置される。
そして続けられた母親の言葉で、その扉からは思いもよらないものが顔を出すことになる。
「あんたの高い授業料だって、勝手に湧いて出てくるわけじゃないんだから」

カチン、とその扉に何かが当たった。
その衝撃で扉は開き、秘めていた感情が溢れ出す。気づけば声を荒らげていた。
「話それだけ?」

雪は扉から洪水のように溢れてくるものを止められなかった。
少し戸惑っている母親に向かって、感情の赴くままに話続ける。
「お母さん電話掛けてくるたびに奨学金の話かお店の話か、
お父さんに怒られた話しかしないじゃん!私に話すことってそれ以外にはないわけ?
そのせいで私の頭の中そればっかだよ!」

「出来る時だけ手伝えばいいんじゃなかったっけ?
一体何にどんだけ神経使えって言うの。ただでさえここでもいっぱいいっぱいなのに‥」

雪は頭を抱えた。
それはストレスを抱えた時の彼女の癖だった。のし掛かる重圧に、押し潰されそうな時の。


流れ出る怒りが底をついて、雪の心の扉からはまた違うものが顔を出した。
それは不安そうな顔をした、幼く未熟な子供のような彼女だった。
「一生懸命勉強しなさい、仕事は大変じゃないか、外でも頑張りなさいって‥
そういう言葉は、かけてくれないわけ‥?」

彼女の背中は小さかった。
様々な問題に傷つき、色々な出来事に心を痛めて、雪はもうクタクタだった。
そんな娘の心の内を聞いて、母親は彼女の気持ちに寄り添ってくれた。
ごめんね、と。
自分の余裕の無さがあなたを気遣うまでの気を回せなかった、と。
”雪は一人で出来る子と思って、少し軽く考えていたみたい”
と母は言った。私といえば、怒らなきゃモヤモヤして、怒ったら後悔して‥。

どっちつかずの自分が揺れる。
前は、この後悔してる気分が嫌いだった。
でも最近はなんだか、怒っても怒らなくても後悔して‥バカみたいだ

頬の傷が痛む。ズキズキと、脈動に合わせて、その心の疼きに合わせて。
先輩に対して、怒り切れない自分に腹が立った。
でもこうして、母親に対して怒り切った自分にも腹が立つ。

雪は自分の行動を省みる度、常に合っているのかそうでないのか不安を感じていた。
いつまでも出ない答えが、どこまでも雪の頭を悩ませるのだ。
トボトボと暗い夜道を一人で歩く。怒りの尻尾に引っ付いてきた後悔を、引き摺りながら‥。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<怒りと後悔>でした。
先輩に引き続き、雪も本音を吐露した回でしたね。
いつもなら母親から小言を言われてもぐっと我慢してしまう雪も、あまりに色々なことがありすぎて、
感情が溢れてしまったようです。
でも本音を吐き出した後も、すぐに雪は後悔したり反省したりと、己を省みますね。
それと真反対な彼も数話先に出てくるのですが‥。
とりあえず次回は、<孤独の影>です。
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