静かだった。
暗くなった夏の夜道を、雪はヒタヒタと一人で歩いている。
こっ‥怖い‥
付近で変態事件や暴行事件が起こってからというもの、周辺は輪をかけて静まっている。
夏だというのに窓を開けている家も無く、明かりさえあまり目につかない。
雪はふと、靴紐が解けているのに気がついた。
まだ家まで遠いのに‥と一人思いながら、しゃがみ込んで紐を結ぶ。
すると雪の足元に、硬貨がコロコロと転がってきた。
雪がその動線を目で追っていると、何の気配もなく目の前に人が現れた。
「ああ、こんにちは。うちのアパートの入居者さんですよね?」
男は転がった小銭を拾いながら、大家の孫ですと雪に言った。軽い調子で世間話をする。
「この辺真っ暗ですよねぇ。ハハ」
雪は心臓が止まるかと思った。あまりにも突然現れたこの男に、言い知れぬ不気味さを感じる。
身を凍らせたまま立ち上がった雪に、大家の孫は「窓の具合はどうです?」と声を掛ける。
「お陰様で」、「それはよかった」と紋切り型の返答が続き、
また何かあったら言って下さい、という男の言葉に雪は頭を下げ、その場を後にしようとした。
しかし男はその後姿に声を掛ける。
「送りましょうか?最近物騒ですし」
男の提案に、雪は大丈夫ですと笑顔を浮かべて答え、男はそうですかと返答した。
別れの挨拶を交わした後、二人は背を向け合って別々の方向を歩き出した。
雪の心臓は早鐘のように鳴っている。
あービックリした‥超ビビった‥。早く帰りたい‥この街危なすぎる
すると後方から、男が何か歌っているのが耳に入ってきた。
「♪トゥトゥルトゥトゥトゥトゥトゥ、ラビンユベイベ~♪」
雪の背筋が、ヒヤリと凍った。
その歌はいつか雪が、一人この道を歩いていた時に歌っていたものだ。
この夜道の恐怖を紛らわすために‥。
身体中から冷や汗が噴き出すようだった。
雪はギクシャクと手足を動かしながら、必死に前へ前へと歩を進める。
い、いや有名な歌だし!過剰反応過剰反応‥
そんな雪の後ろで、男は笑っていた。
肩を揺らし、嬉しそうに‥。
雪は歩いても歩いても、何かがついてくる気がして怖かった。
それは暗い自分の影、いや誰もいない空間に伸びる、孤独の影‥。
暗く狭い道、明かりは無い、誰もいない。
自分の吐く息の音しか聞こえない。
急いで帰路に着く雪の姿を、一人の男が目にして声を掛けた。
「おい!」
身を縮こまらせながら、つと立ち止まる。
コツコツと近づいてくる足音に、恐怖心のメーターが振り切れた。
「きゃぁあああ!」 「ダメージヘアー!」
叫び走り出す雪の背中に、聞き慣れた声がした。
「お前何してんの?」
振り返って目に入ったのは、不思議そうな顔をした河村亮だった。
亮は呆れたような口調で、渋り渋り雪に近付く。
「何叫んでんだっつの。またオレが変な誤解を受けたらどーしてくれんだよ」
先日刑事からあらぬ疑いを掛けられたことを根に持っていた亮は、
そのことを苦い顔をして雪の前で愚痴った。
しかし雪はそんな彼の言葉は耳に入らない。縮こまっていた心が、徐々に解き解れていく。
雪は無意識の内に、彼に向かって手を伸ばしていた。
その服の端を、思わず掴んでいた。
「か‥河村氏‥」
亮は目を見開いた。
気がつけば彼女のほっとしたような笑顔が、目の前にあった。
二人は暫し互いに顔を見合わせて佇んでいたが、その雰囲気を壊したのは亮だった。
「お前変なもん拾い食いでもしたか?!何しやがんでぇ!」
亮は彼女の手をバシンと払うと、雪も一瞬にして正気に戻った。
ホッとしてつい‥とアワアワしながら亮に謝り、弁解した。
「さっきあっちで男の人が‥」 「何?!何かされたのか?!」
雪の話に亮は身を乗り出したが、続けられた説明はどうにも納得出来ないものだった‥。
「いえ、ただ挨拶されただけで‥。その人が歌ってて、前に私が歌っていたやつをここで‥。
♪トゥトゥルトゥトゥトゥトゥトゥ、キッシンユベイベ~♪‥」
説明すればするほど、亮の顔色は曇っていく‥。
雪はただ一人で歌っていた変な女だと思われ、その話は終わった。
「そ、それでここで何してたんですか?」
雪の質問に、亮は「ああ、まぁ何かあったらいけねぇと思ってな」とここに居る理由を話し始めた。
事件が起きたというのに犯人も捕まっていないし、自分もこの近所に住んでいるから落ち着かないのだと。
そして「道端で歌ってる変な奴とかいないか見に来たんだ」と冗談を言って、雪を慌てさせた。
そんな雪に、亮は少し皮肉を含んでもいる疑問をぶつけた。
「てかお前何で一人なわけ?彼氏だか何だかは送ってもくれねー‥」
亮がそこまで口にした時、雪は視線を泳がせて俯いた。
何かを抱えた彼女が、言い出せずに口を噤む。
亮はそんな彼女を見て、言葉にならない空気を察してそれ以上は言及しなかった。
雪の顔を指さして、話題を変える。
「何だよその怪我は?」
雪は「不注意で‥」と答えた後、「何で?」と亮に突っ込まれ、
「ボランティアで‥」と詳細を答えた。
「え?そんなんもやってんのか?すげーじゃん!」
亮の素直な反応に雪は少し照れたが、その後すぐ「オレにも奉仕しろ」と言う亮に、
「何でですか」と雪は呆れた‥。
彼女の前で静かに笑う亮は、どこかいつもと違うように雪には思えた。
「河村氏も浮かない顔してますけど‥」と声を掛けてみる。
亮は青筋を浮かべながら、このイケメンのどこを見てやがると反発する。
しかしやはりどこかいつもと違う。
「具合でも悪いんですか?」 「いや?オレは生まれついての超健康体だから」
雪の質問が核心に触れる。
「じゃあ何で今日塾に来なかったんですか?」
塾に来なかった理由‥。
「‥‥‥‥」
今亮の心を悩ましているその理由が、再び彼の感情を揺さぶった。
畜生、と言いながら頭をグシャグシャ掻く亮に、雪は少し身を固くした。
そして亮は口に出した。
その災いの元凶を、たった一人の肉親の名を。
「静香‥。あのバカ女がお前の半分の半分でもまともだったら‥」
結ばれた口元に、口惜しさが滲む。
歯噛みした唇に、悔しさがつのる‥。
亮の脳裏に、河村静香と口論になった昼間の記憶が蘇った。
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<孤独の影>でした。
雪ちゃん大胆~^^!
しかしこのあと普通のラブコメならハグに繋がるはずが‥コレ‥。
本当掴めない漫画ですね‥。
しかし上の亮の台詞、直訳すると「月夜に薬を大いに食ったか!」になるのですが、
これは韓国の慣用句か何かなのでしょうか?
どなたか~!ヘルプです~!
次回は<河村家の問題>です。
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