都内某所、地価の高いこの土地に、高く聳える高級マンションがあった。

塵一つ落ちていない綺麗な室内、だだっ広い空間。
そこはしんと静まり返っていた。

大きなベッドの上に、一人の男が横たわっていた。
眠っているわけではない。

人は寂しさや孤独を感じた時、自然と胎児の時の姿勢を取ると言う。
彼は無意識ながらその体勢のまま、もう長いことそうしていた。

その表情は気怠げで、何度か夢と現実のはざまを行き来したのかもしれなかった。
視線の先に、自分の姿を映している。

ここに寝転ぶと、自然と壁に掛かった鏡と向き合うことになる。
青田淳は静かな部屋でずっと長い間、自分の姿を眺めていた。
ふと鼓膜の奥で声が響いた。脳裏には彼らの姿も浮かんで来た。
どうして人の気持ちが分からない?!

そう言ったのは、幼い頃から生き方の指標としてきた秀樹兄だった。
その方がおかしいです、よっぽど!

そう言ったのは、自らが同族だと思っている彼女、赤山雪だった。
鏡の中の自分が、彼を見た。
目の前に居る男に、じっと視線を絡ませる。
俺がおかしい?

彼は鏡から目を逸らした。
自らの内面を覗き込むように、その静謐な闇を覗き込むように、淳は内観した。
俺のやり方が? 考え方が?

ピンと張られたような水面に、その内省は一滴の雫を垂らした。
王冠のように飛沫は広がり、水面に波紋を広げていく。
どうして? どこが‥?

視線を上げた彼は、子供のような顔をしていた。
それは小さな子供が親に素直な疑問を投げかける時のような、純粋な表情だった。
そして彼は自らの思考の中に深く潜って行く。
脳裏に浮かぶのは、彼を疲弊させる数多くの人々のことだ。淳は、彼らが理解出来なかった。
本当におかしいのは、自分達の方じゃないのか

そして記憶は、一年前の球技大会に飛んだ。
まず浮かんできたのは、口元を手で押さえた横山翔の姿。彼が自分の悪口を口を滑らせて叫んだ後の記憶。

知ってる。

あの時淳の視線を捕らえたのは、呆れ笑うような彼女の表情だった。
俺が貶された時、喜んでたの知ってる。

知ってる。

あの後横山に声を掛けていたこと。
肩を叩き、口元に浮かべた笑みを。

淳は彼女の姿に、無意識な既視感を感じていた。

自分の中にある、黒いその姿。

彼女が気に障った。
理由はいくつかあったが、自分の中のもっと根本に響くところが、居心地悪くざわめいていた。
うざ

彼女を前にする度、幼稚な姿が前に出た。
挨拶をしようとした彼女に向けた、あからさまな無視。

グループワークにて、自分よりも優れた彼女に対する嫌がらせ。

とにかく彼女が気に触った。
グループワーク後の打ち上げの席でだって、とかく彼女の振る舞いは不自然に感じた。

彼女を前にする度、静謐な泉に石が投じられ、水面は揺らいだ。
そしてやって来た、彼女との全面対決。

自分でもコントロールが出来なかった。
積もってきた彼女に対する悪感情が、それまで溜まってきた鬱憤が、他人の前であるに関わらず溢れ出るようだった。

しかし論破された彼女が見せた表情に、その反応に、淳は視線を奪われる。

怒るかと思っていた淳の予想を、彼女は裏切った。
そしてその瞳が沈んだ色を帯びていくのを、まるでスローモーションを見るように眺めていた。


心が震えた。
自身はまだ気がついていなかったが、その震えは、自分と似たものに邂逅した喜びに震えていた。
今まで彼女を目にする度に感じていた不愉快を、その違和感を、思考はなぞった。

無理に笑うのも、観察するようなその視線も、全て見透かしたかのようなその表情も、
気に触っていた全ての要素が、その時の彼女の反応で消し飛んだのだ。


水面の波立ちが、徐々に静謐に戻っていく。
それでも元と同じではない。その泉の底に何か光るものが、ぼんやりと現れていた。

その後、廊下で彼女とすれ違った。
幼稚に無視をしたあの時と、同じシチュエーションだった。

また彼女が荷物を取り落とし、それを拾うのもまた、
去年と同じシチュエーションだった。

あの時は書類を蹴った。彼女にとにかく腹が立って。

しかし今回、淳は足元に転がったペンに手を伸ばした。彼女に対する苛立ちは無かった。

目の前の彼女にそれを渡す時、淳の心の中に巣食っていた彼女への敵意が、すっと無くなるのを感じていた。

しかし、この時淳はまだ気がついていない。

彼女を同族だと認識し始めていることに。
自らの孤独の共鳴を彼女に感じるのは、もう少し先の話だ。
淳の思考の中で、彼女が揺れる。
暗く静謐なその空間に灯った、一点の光明が。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<内観>でした。
自己の世界で完結していた彼が、初めて自らに疑問を持つという記念すべき回でした!
結局結論は出ないのですが、ここで雪に対する感情が変化していくのが見て取れますね。
そして3部プロローグに繋がっていくこの流れ!セピアで紡がれる淳視点の物語は、本当に秀逸だなぁと思います。
少しでもその世界観を壊さず表現出来ていたらいいなぁと、当ブログとしては願うばかりであります‥(^^;)
次回は<迫る黒い影>です。
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塵一つ落ちていない綺麗な室内、だだっ広い空間。
そこはしんと静まり返っていた。

大きなベッドの上に、一人の男が横たわっていた。
眠っているわけではない。

人は寂しさや孤独を感じた時、自然と胎児の時の姿勢を取ると言う。
彼は無意識ながらその体勢のまま、もう長いことそうしていた。

その表情は気怠げで、何度か夢と現実のはざまを行き来したのかもしれなかった。
視線の先に、自分の姿を映している。

ここに寝転ぶと、自然と壁に掛かった鏡と向き合うことになる。
青田淳は静かな部屋でずっと長い間、自分の姿を眺めていた。
ふと鼓膜の奥で声が響いた。脳裏には彼らの姿も浮かんで来た。
どうして人の気持ちが分からない?!

そう言ったのは、幼い頃から生き方の指標としてきた秀樹兄だった。
その方がおかしいです、よっぽど!

そう言ったのは、自らが同族だと思っている彼女、赤山雪だった。
鏡の中の自分が、彼を見た。
目の前に居る男に、じっと視線を絡ませる。
俺がおかしい?

彼は鏡から目を逸らした。
自らの内面を覗き込むように、その静謐な闇を覗き込むように、淳は内観した。
俺のやり方が? 考え方が?

ピンと張られたような水面に、その内省は一滴の雫を垂らした。
王冠のように飛沫は広がり、水面に波紋を広げていく。
どうして? どこが‥?

視線を上げた彼は、子供のような顔をしていた。
それは小さな子供が親に素直な疑問を投げかける時のような、純粋な表情だった。
そして彼は自らの思考の中に深く潜って行く。
脳裏に浮かぶのは、彼を疲弊させる数多くの人々のことだ。淳は、彼らが理解出来なかった。
本当におかしいのは、自分達の方じゃないのか

そして記憶は、一年前の球技大会に飛んだ。
まず浮かんできたのは、口元を手で押さえた横山翔の姿。彼が自分の悪口を口を滑らせて叫んだ後の記憶。

知ってる。

あの時淳の視線を捕らえたのは、呆れ笑うような彼女の表情だった。
俺が貶された時、喜んでたの知ってる。

知ってる。

あの後横山に声を掛けていたこと。
肩を叩き、口元に浮かべた笑みを。


淳は彼女の姿に、無意識な既視感を感じていた。

自分の中にある、黒いその姿。


彼女が気に障った。
理由はいくつかあったが、自分の中のもっと根本に響くところが、居心地悪くざわめいていた。
うざ

彼女を前にする度、幼稚な姿が前に出た。
挨拶をしようとした彼女に向けた、あからさまな無視。

グループワークにて、自分よりも優れた彼女に対する嫌がらせ。

とにかく彼女が気に触った。
グループワーク後の打ち上げの席でだって、とかく彼女の振る舞いは不自然に感じた。


彼女を前にする度、静謐な泉に石が投じられ、水面は揺らいだ。
そしてやって来た、彼女との全面対決。

自分でもコントロールが出来なかった。
積もってきた彼女に対する悪感情が、それまで溜まってきた鬱憤が、他人の前であるに関わらず溢れ出るようだった。

しかし論破された彼女が見せた表情に、その反応に、淳は視線を奪われる。

怒るかと思っていた淳の予想を、彼女は裏切った。
そしてその瞳が沈んだ色を帯びていくのを、まるでスローモーションを見るように眺めていた。


心が震えた。
自身はまだ気がついていなかったが、その震えは、自分と似たものに邂逅した喜びに震えていた。
今まで彼女を目にする度に感じていた不愉快を、その違和感を、思考はなぞった。

無理に笑うのも、観察するようなその視線も、全て見透かしたかのようなその表情も、
気に触っていた全ての要素が、その時の彼女の反応で消し飛んだのだ。


水面の波立ちが、徐々に静謐に戻っていく。
それでも元と同じではない。その泉の底に何か光るものが、ぼんやりと現れていた。

その後、廊下で彼女とすれ違った。
幼稚に無視をしたあの時と、同じシチュエーションだった。

また彼女が荷物を取り落とし、それを拾うのもまた、
去年と同じシチュエーションだった。


あの時は書類を蹴った。彼女にとにかく腹が立って。

しかし今回、淳は足元に転がったペンに手を伸ばした。彼女に対する苛立ちは無かった。

目の前の彼女にそれを渡す時、淳の心の中に巣食っていた彼女への敵意が、すっと無くなるのを感じていた。

しかし、この時淳はまだ気がついていない。

彼女を同族だと認識し始めていることに。
自らの孤独の共鳴を彼女に感じるのは、もう少し先の話だ。
淳の思考の中で、彼女が揺れる。
暗く静謐なその空間に灯った、一点の光明が。

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<内観>でした。
自己の世界で完結していた彼が、初めて自らに疑問を持つという記念すべき回でした!
結局結論は出ないのですが、ここで雪に対する感情が変化していくのが見て取れますね。
そして3部プロローグに繋がっていくこの流れ!セピアで紡がれる淳視点の物語は、本当に秀逸だなぁと思います。
少しでもその世界観を壊さず表現出来ていたらいいなぁと、当ブログとしては願うばかりであります‥(^^;)
次回は<迫る黒い影>です。
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