本はぼちぼち読んでいます。ビジネス書が中心で、それも最近のもの、新書モノが多くて、どれもそれなりに得るものはあるのですが、最近物足りなさを感じています。
それで今年は少し古典を読んでみようと考えております。
毎年読書特集をしている雑誌を見て、当然ながら読むべき本には古典が上がっていたり、ものすごく本を読んでいらっしゃる、まさに読書家の方々が感動した本として紹介されている本が古典であったりして、そのたびに気になる本を買っていて、自分の本棚を見ると数冊と言わず、古典が並んでいます。
ですから、決心した時点でその本の一つを手に取ればいいのですが、そこがハードルが高い。
読み始めたものの、古い表現で書かれているところに違和感を覚えてすんなり読み進められず、挫折したり、脚注の多さに嫌気がさしたりで、しおりをはさんだままの本がたくさんあります。
それで古典そのものを読む前にガイドブックを読んでみようかなと思い、ちょうど1月号の「一個人」という雑誌が論語入門だったので、買っておりました。
それで今日、雑誌の方を少し読んでみたんですが、多くの弟子たちに崇拝された孔子様が、実は出世に関心を持っていたようであったことなどが書かれていて、論語を書いた孔子という方が、人生すべてに達観してしまった、自分たちとはまったく違う世界の人ではなかったと知ると、論語の見方も少し変った気がしています。
ハードルが少し下がったので、少しずつ読んでみようかなと思っています。
同じように他の古典についても、今年は少しだけ辛抱して読み進めてみます。
皆さんよく言われるように、時間を経ても残っているものは、それだけの意味があるし、多くの方の評価に耐えてきた価値のあるものですから。
それで今年は少し古典を読んでみようと考えております。
毎年読書特集をしている雑誌を見て、当然ながら読むべき本には古典が上がっていたり、ものすごく本を読んでいらっしゃる、まさに読書家の方々が感動した本として紹介されている本が古典であったりして、そのたびに気になる本を買っていて、自分の本棚を見ると数冊と言わず、古典が並んでいます。
ですから、決心した時点でその本の一つを手に取ればいいのですが、そこがハードルが高い。
読み始めたものの、古い表現で書かれているところに違和感を覚えてすんなり読み進められず、挫折したり、脚注の多さに嫌気がさしたりで、しおりをはさんだままの本がたくさんあります。
それで古典そのものを読む前にガイドブックを読んでみようかなと思い、ちょうど1月号の「一個人」という雑誌が論語入門だったので、買っておりました。
それで今日、雑誌の方を少し読んでみたんですが、多くの弟子たちに崇拝された孔子様が、実は出世に関心を持っていたようであったことなどが書かれていて、論語を書いた孔子という方が、人生すべてに達観してしまった、自分たちとはまったく違う世界の人ではなかったと知ると、論語の見方も少し変った気がしています。
ハードルが少し下がったので、少しずつ読んでみようかなと思っています。
同じように他の古典についても、今年は少しだけ辛抱して読み進めてみます。
皆さんよく言われるように、時間を経ても残っているものは、それだけの意味があるし、多くの方の評価に耐えてきた価値のあるものですから。