本と猫好きの日日社会メモ

本当の豊かさって何?などとたまに考えつつ、日日生活に流されながら、猫と戯れ本を読む・・そんな毎日を時々アップします。

「日本語が亡びるとき~英語の世紀の中で」再び

2008-11-30 10:46:47 | 本・雑誌、読書

読み終わり、脱力感を感じています。エネルギーを使う本でした。
梅田望夫さんのブログで存在を知りましたが、教えていただけたことに本当に感謝です。まさしく「すべての日本人がいま読むべき本」であると思います。

作者は、既に「読まれるべき言葉」を理解できない人が増えていることがわかっているからか、あるいは多くの方に読んでもらう必要があることを感じてからか、英語との対比で日本語を論じていますが、これは日本で「国語」あるいは「読まれるべき言葉」が失われていることに危機感を持って書かれた本だと思います。

梅田さんのブログから始まった議論で見当はずれな意見が出てきていることを見ると、「読まれるべき言葉」を理解できる人がかなり少なくなっていて、作者がこの本を書いたという行動がもう既に遅きに失しているのではないかと思っています。

梅田さんのブログを読んでいる方々が「社会的にこれから何者かになりたい人」、「情報を即何かに活かしたい人」が多いためにたまたま筆者の言葉が通じていないだけであればいいと思ったりしています。

かつては存在した「何のために生きるか」「なぜ生きるか」を考え、悩み、ひたすら先人の本を読むという時期、たぶん思春期とか、青年期という時代にひたすら本を読み、もがき苦しむという経験が失われてしまっていること、若い世代ほど「国語」と向き合う時間が減っていることを感じます。
夏目漱石や森鷗外など極めて優秀な人がものすごく努力をして書いたものを理解しようとする人がいた。あるいは理解しようとする時間を持てた時代が失われてしまったがために、「読まれるべき言葉」を理解できる人が育つことが難しくなっているとも感じます。

それでは教育がカバーできるか。それは、作者が指摘するとおり、「国語教育の理想を〈読まれるべき言葉〉を読む国民を育てるところに設定していない」とすれば、まさに作者も言われるとおり、教育でも「文化が継承されなくなって」おり、まさに絶望的な状況です。

筆者は文学論から現状を嘆いたかもしれない。楽観的に読めば文学だけの話かもしれません。しかし、人間は言葉で思考します。頭で構成した高次の考えを他人に伝えるためには、作者がいうところの「国語」で書き表します。日本の国語がなくなるということは、日本人が延々と積み上げてきた「日本人の知的遺産=世界共通の数式や曖昧な解釈ができない定理などとは違い、言葉を解釈することでしか伝えられないもの」を理解する人がいなくなり、遺産がただのゴミとみられてしまうことだと思います。

ブログで見られる的外れな議論は実用ばかりを重視し、考えるべき本質が忘れ去られている「今」の象徴のような気がします。

この本にはたくさんのキーワード、キーフレーズが出てきます。それを自分の経験と重ねながらじっくりと読んでいけば、いろいろな発見があります。自分の過去すべてを動員して向き合う本だと思います。いまはやりの速読やフォトリーディングでは理解できることが限られる本だと思います。

「暴走する資本主義」が資本主義の本質を見抜いた本として多くの方に語られていますが、水村さんのこの本は、インターネットの普及や普遍語の拡大により、一つの国が築いてきた文化がなくなることを見抜き、警鐘を鳴らしている本だと思います。

この本に対し、あるいは梅田さんに対し様々な意見・議論がだいぶ出たように思います。次に梅田さんがどう書かれるか、とても楽しみです。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 決意表明 | トップ | 「ローマから日本が見える」 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

本・雑誌、読書」カテゴリの最新記事