夢七雑録

散歩、旅、紀行文、歴史 雑文 その他

9.田島から野尻へ

2008-05-21 21:50:27 | 巡見使の旅
(13)享保2年4月8日(1717年5月18日)、晴。
 田島を出立。上塩澤で岩神と云う岩を見る。金井澤を過ぎると、河原田大膳と家来の塚があった。伊達政宗の会津侵攻の際、伊達氏に従属した長沼氏との戦いで討ち死にしたという場所である。その先、黒澤では杵岩などのある大岩を見る。この日は針生で休憩する。

 第一回の巡見使に対して提出された国絵図には、針生から入小屋を経て山口に出る道が記載されている。この道筋の最大の難所が、馬も止まるという駒止峠であった。この峠は、駒戸峠とも書き、また大峠、箕の輪峠とも称し、倉宮や西行、宗祇も通ったという伝説があるぐらい、古くから利用された峠である。現在、駒止峠を越える旧道は、地元の人の手で「巡見使の道」として整備が進められているとのことである。

 巡見使の覚書によると、針生から小窓峠と、郷境の大窓峠を越えたとし、途中に前澤清水と、かつか清水があったという。日記役の記録から、一行は駒止峠を越えたと思われるが、小窓峠は小馬止峠(小峠)に、大窓峠は大馬止峠(大峠)に対応しているのかも知れない。なお、宝暦の巡見随行者は駒戸峠上下五里と記し、天明の巡見に随行した古川古松軒は針生峠と記している。針生峠は駒止峠とも考えられるが、戸板峠とする説もある。

 駒止峠を越えた一行はへつり道をたどり、玉椿の大木があったと云う入小屋に出る。さらに進み中小屋で戸山川にかかる波滝を見ている。そのあと山口を経て古町に出るが、途中の青柳に河原田治部の久川城跡ありと記す。この日は古町で宿泊。この日の行程は峠越えを含む六里余24Kmであった。

(14)同年4月9日、晴。
 古町を出立。山口、富山、下山を経て、簗取観音のある簗取に向かい、ここで休憩。この辺り、右手に尾張兵庫の古館跡、左手に五十嵐和泉守の古館跡を見る。また、この地の産物として麻布をあげ、鱒を割り串刺しにして焼く名物についても記す。小林を過ぎて布沢口からは渓谷沿いの道となる。古川古松軒が、心おどろき目くるめき、肝を消す桟道なりと書く道である。古町から七里、布沢で宿泊。布沢上総介の古山城ありと記している。

(15)同年4月10日、晴。
 難所の吉尾峠を越え、野尻に出る。途中の休憩はとらなかったようである。布沢から三里余、この日は野尻に泊まる。野尻の近く、中丸に山内信濃守の古城跡ありと記している。

コメント