夢七雑録

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稲荷百社詣その十八

2008-01-19 14:36:13 | 稲荷百社詣

(49)正木稲荷 (江東区常盤1)★

 この稲荷の名は、柾の大木から出ているらしいが、その木は現存しない。だが、腫物に効くと言う稲荷の効能の方は、残っている事になっているのだろう。江戸稲荷百番付では世話人をつとめた稲荷ゆえ、敬意をはらって参拝する。

(50)芭蕉稲荷 (江東区常盤1)★

 小名木川にかかる万年橋の近くに芭蕉稲荷がある。芭蕉庵の旧跡としての意味合いはあるのだろうが、稲荷として機能しているかどうかは不明。一礼して立ち去る。

(51)深川稲荷 (江東区清澄2)★

 稲荷としてより、深川七福神の一つ布袋尊の社として知られている。正月は参詣する人も多く町内会の人も摂待に出るが、それ以外の季節は道路の角にぽつんと置き忘れられた格好になっている。今日は布袋の方はお休み願って、稲荷の方を参拝。

(52)三穂道別稲荷 (江東区清澄3)
 清澄庭園から小名木川方面へ行く途中、路地を抜けると稲荷があった。元は敷地の大きさに因んで三坪稲荷と言ったらしいが、他の稲荷も合祀して現在名となる。この稲荷、不信心者を拒むかのように金網で囲まれている。中を覗いてみると、何故か三毛猫が居た。

(53)紀文稲荷 (江東区永代1)

 紀文(紀国屋文左衛門)が建てた稲荷とあるが、どうだろうか。近くの清澄庭園の辺りに紀文の別邸があったという話があるが、後世の作り話という説の方が本当のような気がする。明暦の大火で財をなしたという話は河村瑞賢との混同かも知れない。紀文は虚像ばかりが膨らんで分からない事が多いのである。荒天をついてミカンを江戸に運んだのが事実であったとしても、それだけで巨万の富を得たとは考えにくい。ただ、稲荷のふいご祭にミカンを撒く風習があり、そのためのミカンを運んだとすれば、紀文も多少は稲荷と縁があるということになる。ふいご祭の時に来てみれば何か分かるかも知れない。その時には、境内の力石が効力を発揮するような気もする。今は手を触れても、何ごとも起きないが。


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