夢七雑録

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稲荷百社詣その三十二

2008-03-20 10:03:59 | 稲荷百社詣

(89)花園神社(新宿区新宿5)★★

 花園の名は、尾張藩下屋敷の花園があった場所を敷地にしたことに由来するという。江戸時代は三光院稲荷、四谷追分稲荷などとも称したが、大正時代に花園稲荷神社となり、後に大鳥神社を合祀して現社名となる。新宿の総鎮守であり、地の利もあるので、例大祭や酉の市はかなり賑わうらしい。この日は何も無い日で、普通の神社として本殿を参拝、ついでに境内の威徳稲荷にも一礼して帰りかけた。その途端、年配の見知らぬ人から呼び止められた。何でも、藁しべ長者を趣味としているらしく、何か交換できるものがないかと言う。妙なことを言うなとは思ったが、土製の団子とダーツのミニチュアを渡すと、代わりにもち米の団子と小さな矢を呉れた。損をしたような気もしたが、相手が藁しべ長者なら、こちらが得をするわけはないのだろう。


(90)稲荷鬼王神社(新宿区歌舞伎町2)★

 元からあった稲荷社に熊野から勧請した鬼王権現を合祀した神社という。鬼王権現そのものは熊野にも現存していないため、鬼王が何なのか分からない。一説に平将門の幼名から鬼王の名がついたともいう。鬼は敵に回すと恐ろしい存在だが、味方につければまことに頼りになる存在だ。稲荷も強い味方が欲しいのだろうか。よく分からないなりに、鬼は内と唱えながら頭を垂れる。豆腐を供えると湿疹、腫物が治るという言い伝えがあるが、そちらの方は今回はパス。その代わりに、新宿七福神の一つ、恵比寿神の方を参拝。ついでに、こちらを睨んでいる三毛猫にも会釈して立ち去る。

(91)皆中稲荷 (新宿区百人町1)★

 新大久保駅と大久保駅をつなぐ道の途中にある稲荷。この付近に鉄砲百人組の組屋敷があり、その隊士の一人が稲荷の霊夢を見て百発百中の腕前になったことから、隊士達が崇敬するようになった稲荷という。ところで、稲荷の始まりは、餅を的として射ったところ白い鳥になって飛び、その止まった所に稲がなったという故事からきているらしい。とすれば、射撃と稲荷とは関係が無いわけではない。今では賭け事や籤に御利益があるとされ、参詣者が早朝から訪れている。他力本願のギャンブルに御利益があるかどうかは不明だが、ダーツの試合に勝つには効能がありそうなので、ひとまず拝礼しておく。


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