今回は、”金時山、6月と7月の尾瀬、木曽駒ケ岳、木曽御岳”と組み合わせる山の歌として、次の曲を選んでみた。「箱根八里」「夏の思い出」「この広い野原いっぱい」「いつかある日」「木曽節」
(8)箱根八里・金時山
箱根の金時山(1212m)に登ったのは平成になってからで、仙石原から矢倉沢峠経由で頂上に出て乙女峠経由で仙石原に戻っている。上の写真は、その当時コダックから発売されたレンズ付きフィルムによるパノラマサイズのプリントである。
金時山に組み合わせる山の歌として「箱根八里」を選んだ。この曲は「箱根の山」というタイトルで呼ばれていたが、「箱根八里」が正しいらしい。格調高い歌詞は東京音楽学校(現・東京芸術大学)教授の鳥居忱の作詞で、当時はまだ学生であった滝廉太郎の作曲である。
“ 第1章 昔の箱根
箱根の山は 天下の険 函谷関も物ならず
万丈の山 千仞の谷 前に聳え後に支う
雲は山をめぐり 霧は谷をとざす
昼猶闇き杉の並木 羊腸の小径は苔滑か
一夫関に当たるや万夫も開くなし
天下に旅する剛毅の武士
大刀腰に足駄がけ 八里の岩ね踏み鳴らす
斯くこそありしか往時の武士 “
“ 第2章 今の箱根
箱根の山は 天下の阻 蜀の桟道数ならず
万丈の山 千仞の谷 前に聳え後に支う
雲は山をめぐり 霧は谷をとざす
昼猶闇き杉の並木 羊腸の小径は苔滑か
一夫関に当たるや万夫も開くなし
山野に狩する剛毅の壮士
猟銃肩に草鞋がけ 八里の岩ね踏み破る
斯くこそありけれ近時の壮士”
(9)夏の思い出・6月の尾瀬
20数年前のことになるが、6月の尾瀬にミズバショウを見に行ったことがある。この時は大清水から三平峠を越えて尾瀬に入り一泊して尾瀬沼と尾瀬ケ原を歩いている。写真は至仏山を背景に池塘とミズバショウを撮ったものだが、尾瀬では定番の撮影ポイントになっている。
尾瀬に組み合わせる山の歌は、むろん「夏の思い出」である。中田喜直作曲・江間章子作詞のこの曲は、NHKの委嘱によるもので、1949年に石井好子が歌っている。歌詞に出てくるミズバショウは夏の季語で仲夏の花である。最近は山に行かなくなっているため、尾瀬は歌詞にあるように、夏が来れば思い出す遥かな尾瀬になってしまった。
(10)この広い野原いっぱい・7月の尾瀬
7月の尾瀬にニッコウキスゲを見に行ったことがある。コースは鳩待峠から尾瀬ヶ原を経て三条ノ滝に立ち寄ってから一泊し、翌日は尾瀬沼から大江湿原を経て沼山峠に出ている。写真はニッコウキスゲの大群落である。ニッコウキスゲは夏の季語で晩夏に相当している。
このコースに組み合わせる歌は、「この広い野原いっぱい」にしたい。小薗江圭子作詞で森山良子作曲のこの曲は1967年にリリースされているが、広い野原いっぱいに咲いているニッコウキスゲは、この歌詞にぴったりである。ただし、尾瀬では植物の採取は禁止されているので、小薗江圭子の歌詞の“この広い野原いっぱい咲く花を、ひとつ残らず”の後を、“あなたにあげない。だって尾瀬では採取は禁止”という替え歌にでもしないと、いけないかも知れないが。
(11)いつかある日・木曽駒ケ岳
木曽駒ケ岳にも登ったことがある。この時のコースは、ロープウエイ終点の千畳敷から乗越浄土を越え、中岳を経て木曽駒ケ岳(2956m)に至り、馬の背から濃ケ池を経て乗越浄土から千畳敷に戻っている。写真は木曽駒ケ岳山頂から見た鎗・穂高方面の眺望である。
木曽駒ケ岳に組み合わせる山の歌は、「いつかある日」とした。この曲は昭和38年の「山のうたごえ」というソノシートに載っているが、フランスの登山家ロジェ・デュプラの詩をもとに登山家の深田久弥が訳詞、同じく登山家の西前四郎が作曲している。この歌は“いつかある日 山で死んだら”という一節で始まるが、ロジェ.デュプラ自身もヒマラヤのナンダデヴィ登頂中に若くして消息不明になっている。
(12)木曽節・木曽御岳
20年ほど前に木曽御岳に登ったことがある。コースは田の原から王滝頂上を経て木曽御岳山頂の剣ガ峰(3067)に登り、この日は二ノ池に泊まって翌日は御来光を拝んだあとロ-プウエの駅に下りている。上の写真は山頂から見た二ノ池である。
木曽御岳に組み合わせるとしたら木曽節になるのだろう。この歌は御岳山節をもとにした盆踊り歌と言い、歌詞の中に木曽御岳が出てくる。
“木曽のナー なかのりさん
木曽の御岳さんはなんじゃらほい
夏でも寒いヨイヨイヨイ ”